その、ダイレクトな

名前のインパクトか、

あるいは……な歌唱の

インパクトか、

どちらにせよ30年のときを経て、

妙な形で脚光を浴びることに

なってしまったこのグループが、

1964年に残した

2枚のシングル盤の音源集

(94年1月発売)。


メンバーは、

斉藤タカシ(Vo)、

須藤マコト(Vo)、

市川次郎(B,Vo)、

ジョージ岡(G,Vo)。


もちろんすべて

ビートルズナンバーで、

抱きしめたい」

プリーズ・プリーズ・ミー」
キャント・バイ・ミー・ラブ」

ツイスト・アンド・シャウト」

の4曲が収録されている。


カバーポップスが

全盛だったこの頃、

英語で歌うことはもちろん、

オリジナルのアレンジを

コピーするという発想は

全くなかったようで、
歌詞はカバーポップスの訳詞王、

漣健児(草野昌一)の

訳詞(作詞)によるもの、
演奏はレコード会社所属の

オーケストラの上に

ほんの少し電気楽器を

かぶせるという、
なんとも摩訶不思議、

珍妙な和製ビートルズ音楽が

記録されている。


東京ビートルズは、

この2枚のシングルのあと、

演奏が出来るメンバーを加えて

細々と活動、

数年後のGSブームと

入れ違うように解散したようだが、
あの時代に生き残っていれば

どれだけの存在感を

示せただろうか。

(★★★★)」(2006.5.27記)
 

その名も「東京ビートルズ」の

復刻音源第1弾です。

 

おそらくビートルズには

無許可で命名されたのでしょうし、

音源の報告も

されていないのでしょうが、

1964年という、

ビートルズが全米で認められた

この時期に、

早くも結成(便乗)しているのは、

注目すべき出来事だと思います。

 

もちろん、いま聞くと

あれあれ? え? なんで?

という箇所もありますが、

それでも、この時期に

あえてビートルズに挑んだことで、

その後、本家との距離を

近づけていくための、

重い門扉を開けたことは

間違いないと思います。

 

さて、東京ビートルズは、

この2枚のシングル盤で

消えてしまったような印象も

あるようですが、

その後もライヴ活動や、

ソノシートや企画盤への参加

などの活動を続けています。

 

そして、

演奏や歌唱にも格段の進歩

(英語で歌っています)が見られ、

それらを集めた第2弾の音源が

96年に出されることになります。

 

ジャズ喫茶や

日劇ウエスタンカーニバルへの

出演もあったそうですが、

どのくらいの人気だったのでしょう。

 

 *過去記事

THE SOUND OF 1965

FROM LIVERPOOL TO TOKYO