桃園川暗渠道を下る、上流編。荻窪〜高円寺。令和6年3月30日(土) | お出かけ&ライブのブログ

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今日は杉並区に行く用事があったのでかねてより歩いて見たかった桃園川の暗渠道を辿る事とする。

実は杉並区の阿佐ヶ谷北の出身で桃園川には昔から馴染みがある。
最も既に暗渠化されていて、石蓋の道とか面白がって探索したり。
実は中学生の頃に上流部分を何度か辿った事もあり、下流部分も途中までは辿った事もある。それ以前に移動ルートで道として使っていた部分もあったり。
ただもう何十年も前の事だからだいぶ変わってる事だろう。

そんな懐かしい思い出のある、他の暗渠歩きとはちょっと違う思い入れのある暗渠巡りなのだ。

まずは地元の隣町の荻窪へ。
青梅街道を渡る。
桃園川は荻窪にあった天沼弁天池を水源に杉並区、中野区を流れて東中野辺りで神田川に注ぐ川。今は全区間暗渠化されている。
実業之日本社刊 東京暗渠散歩より引用。
今日辿るのは上記地図の2〜18まで、全区間。
昔は流域の農業用水として使われていたため、千川上水から分水した半兵衛堀が青梅街道沿いに流れて(上記地図左側の赤い線)いて、そこから引水されて桃園川の水量を増やしていた。

青梅街道を渡り、りそな銀行の手前よりその引水の用水の暗渠が始まる。
遊歩道となっている。


緑のタイル部分が用水跡。

この道の少し手前で桃園川と合流するのだが、一旦この道を左に行った水源の弁天池跡に向かう。

水源の弁天池は後に西武鉄道の所有となり、池は埋め立てられて現存しない。
そして今は杉並区に売却されて天沼弁天池公園となっている。
写真の門の先の広場辺りが弁天池のあった場所。

西武鉄道が所有していた際に人口的に作られた池が園内に残っているが、これは水源では無い。

公園内には杉並区郷土博物館分館があり、館内には弁天池の記載された古い地図や弁天池の絵図など展示されている。
撮影不可だから撮れないが。


弁天池の島に祀られていた天沼弁天社は今は公園の端の道端に移されている。

そしてこの弁天様の向かいから桃園川が始まる。

この先で先程の用水と合流、そこから先は遊歩道として整備されている。

昔はこのように整備されてなくて普通の舗装道だったと思う。

昔はこの区間はちょっと道幅が広くなっていた暗渠とは分かりづらい辺りだったけど、今は道の真ん中に暗渠の遊歩道が作られている。

護岸の跡だろうか。

今ははっきりと川跡とわかる遊歩道になっている。


そして旧中杉通りを渡る。阿佐ヶ谷北エリア。我が地元。
昔は現中杉通りが出来る前はこの道が阿佐ヶ谷の南北を結ぶ道だった。一方通行でこの道を路線バスが走っていた。

支流っぽい路地が。
この辺りから桃園川はいくつか並行する流れに分かれるから恐らくその分岐だろう。

そして中杉通りのところで遊歩道は終わる。

道向かいは普通の舗装道に。

中杉通りに並走する裏道を越えると道に同化。右側のスペースが川の跡。
他の暗渠巡りと同じ様にやっていたらこのままこの道を行っていただろう。しかしこの辺りは知り尽くしたエリア。
この北側に2つ、より暗渠らしい道があるのだ。
一本北側には石蓋の暗渠道向かいがあるのだ。今でも改修されずに残っていてちょっと嬉しい。
暗渠マニアにはたまらないスタイル。

この左右の道が中杉通りに並走する裏道、自宅から阿佐ヶ谷駅に向かう時に毎日ずっと通っていた道、懐かしい。


知り尽くしたエリアだからこそ知っている事実、これより更に北側にも暗渠道がある。
昔は手前の舗装されている部分も石蓋で、大きく90度カーブしていた。

つまりこの辺りは3本に流れが分かれていた。
その真ん中を行く事にする。
石蓋の暗渠、ゾクゾクするような暗渠マニアには堪らない道。


途中、石蓋が空いている場所があった。
薄っすらと見えたが水流は無いように見えた。


しばらく行くと道に同化。

ここで1番北側の流れに移動。


この辺りはいくつもの流れが分かれ、迷宮に迷いこんだような区画。


川の跡に銭湯が多いが、ここも。

その先、石蓋は無くなって舗装だが、明らかに暗渠とわかる。


石蓋復活!

石蓋無くなった。

道と同化。

複雑になっていた桃園川もJR中央線の高架を越えると1つにまとまる。
そして桃園川緑道としてこの先は神田川との合流点まで一本道でずっと続く。

実際にはこの先も阿佐ヶ谷北のようにいくつかの流れがあったのだが、宅地化が進んだ事により河川改修されて直線的な流路になっている。

緑道が始まって程なく某ゴルフプレーヤーで優芽になった杉並学院高校の前を行く。
昔は菊華高校という女子校だった。
出会いのチャンスを求めて仲間とこの辺りを徘徊していたのは遠い昔の思い出。

前には桃園川の流れが描かれた地図がある。

これを見ると阿佐ヶ谷北エリアの複雑過ぎる流路がよくわかる。

緑道はこんな感じに続く。

橋の跡にはモニュメントが建つ。

少し戻って、馬橋稲荷横の支流を少し遡る。

馬橋稲荷の横を過ぎて、その先も続くが引き返す。

そして桃園川緑道をずっと行く。
桜が咲いていた。


橋の跡、コンクリートの橋が残されている。

そして高円寺へ。
高円寺パル商店街と交差する宝橋跡で桃園川下りは一旦中断。
今日の目的地に向かいます。


~追加~
パル商店街から続くルック商店街にあるECLINというパン屋へ。

カレーパンを宣伝していたので買いました。