京都の伏見を散策、約1時間弱。 令和4年12月18日(日) | お出かけ&ライブのブログ

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4月以来静岡県より西に行って無かったから今日は久しぶりの遠出。
目的地は京都。

朝7時ののぞみ号に乗車。
何気に乗った号車は満席に近い混み具合。
しかし名古屋でガラガラになる。

そして9時過ぎに京都到着。久しぶりの京都、3年〜4年ぶり位か。

まずは今日の宿泊地へ。京都バス八条口のすぐ前。

荷物だけ預けて出発。
今日の予定は昼からなので少し時間があるので近鉄で桃山御陵前駅へ。伏見の街の最寄り。
約1時間位時間があるので回れるだけまわるつもり。

まず最初に駅に近い御香宮神社へ。
正面の道に鳥居が建つ。
このように建つから神社はこの道の先にあると思いきや、鳥居を越えた少し先の横(写真左側)にある。

神社の表門は伏見城の大手門を移築したもの。

拝殿に向い参拝。

拝殿左側にある御香水
日本の名水100選に選ばれた名水。
良い香りだったため、御香宮神社の名前がつけられた。

境内の石庭が有名だが本日は拝観停止中で見れなかった。

駅方面に戻り、道なりにそのまま進む。
アーケードの大手町筋となる。

同じくアーケードのなやまち通りに曲がり、少し先を入ったところの西岸寺へ。

境内にあるのは油懸地蔵尊。
かつて油商人が油を地蔵にかけて帰ったところ、商売が繁盛したという言い伝えがある。

戻って、アーケードのなやまち通りの先は龍馬通り。

そして龍馬通りの先を曲がった場所に歴史上で有名な旅籠の寺田屋


歴史上2つの出来事が起こっている。
まずはこの宿に集まっていた薩摩藩の尊攘派志士が島津久光の命令で同じ薩摩藩士に襲われた寺田屋事件。

ウィキペディア


そしてもう1つがここに滞在していた坂本龍馬が伏見奉行の役人に捕縛されそうになり、2人を射殺して逃げた事件。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%B1%8B%E9%81%AD%E9%9B%A3 


まあ、色々な事件があった場所という事で。
その時の建物が残っている。

坂本龍馬が滞在していた部屋。

柱に刀傷が残っているところがあったり。

坂本龍馬が伏見奉行のガサ入れにあった際にお龍(後に坂本龍馬の妻となる)が入浴中に裸のままこの階段を登って急を龍馬に伝えた。

そしてお龍が入っていた風呂。

先の寺田屋事件の死闘が行なわれた部屋も残されているが、色々物が展示されていたから撮らなかった。

寺田屋正面。

庭には坂本龍馬の像が建つ。

寺田屋近くにある京橋。
ここから舟を乗り降りしていた場所。


そしてこの場所は戊辰戦争の火蓋を切った鳥羽・伏見の戦いの激戦地でもある。

寺田屋から龍馬通りに戻る。
伏見は酒としても有名な街。
この地で創業した黄桜酒造の酒造場があった場所にキザクラカッパカントリーがある。


黄桜のミュージアムがあり、酒造工場が見れる。
伏見の名水。

道向かいには黄桜のレストランやカッパの資料館もある。
最近はあるのかわからないけど、黄桜の「かっぱっぱー〜」のCMを思い出す。

キザクラカッパカントリーを後にして、すぐ近くの和菓子の富英堂で酒まんじゅうを購入。

駅方面に戻る途中には、鳥羽・伏見の戦いの際に幕府軍の会津藩が駐屯した場所の碑が建つ。

先程の大手町筋に戻る。
大手町筋にあった伏見銀座の碑。
日本各所にある○○銀座の名前の元となっているのは東京の銀座だけど、その由来は銀の鋳造を行う場所があったから。
そしてその銀座は東京(江戸)に置かれる前はこの伏見に徳川家康によって置かれた。
だからこちらが東京の銀座の先輩という訳なのだ。

そして何とか1時間以内、むしろ10分位早めに桃山御陵前駅に戻る事が出来ました。