本郷菊坂の暗渠と文学散歩 令和4年3月12日(土) | お出かけ&ライブのブログ

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今日は久しぶりに予定も無くてオフなのだが、
天気も良くて外出日和なので家にいるのも嫌なので遠出はせずに近所へ。

三田線の春日から春日通りを行き文京区本郷へ。
3年位前に転居する前は20年近く住んでいた街だから新しく見るものは全く無いのだけど。

途中の春日通り沿いの理容店の壁にある、石川啄木ゆかりの喜ノ床跡の案内板。
かつて石川啄木が間借りしていた喜ノ床という理髪店の跡。今でも理容店。
なお喜ノ床の建物は愛知県の明治村に移築されていて現存している。

こんな感じで本郷は文豪達のゆかりも多い。

そして今日のメインは菊坂に並走して流れていた東大下水菊坂支流の暗渠道散策。

スタートは本郷三丁目の交差点。
転居する前は毎日通っていた場所。

今日辿る東大下水菊坂支流は下の地図で見ると本郷台地にY字を横にしたように刻みこまれた谷間の南側の谷間。その谷間の道が菊坂。

実業之日本社刊 東京暗渠散歩より

なお、すぐ東側は東京大学。
だから東大下水というと「とうだいげすい」と連想しがちだけど、正しくは「ひがしおおげすすい」。東京大学が出来る前からあり、東大とは関係ない。
そして下水と言っても排水の下水ではなくて飲水には適さないといようなニュアンス。
最も暗渠化された今は下水だけど。

交差点から本郷通りを北上してすぐ、
菊坂の入口。
水源はよくわからず、この辺りか?

樋口一葉ゆかりの地である。

菊坂自体は緩やかな坂、
少し下って路地を入ると金魚問屋の金魚坂がある。
金魚の問屋でもあるが喫茶店も兼業。
何度も行ったことあるから今日は素通り。
金魚すくいとか釣りも出来る。

菊坂に戻って。
支流自体は菊坂横の崖下を流れていたのだが宅地化していて道は無い。

地元では評判の菊坂コロッケ。
でも今は(コロナの影響か)コロッケの販売はやっていない。

その先、菊坂の両側が坂になっていて谷間であることがよくわかる場所。

北側は本妙寺坂。
かつて住んでいた頃は本郷三丁目駅に向かう裏道に使っていた。

そして本妙寺は江戸の街を大きく変えた明暦の大火の火元。
お寺は大火の後に巣鴨に移転している。

南側の坂を登ると春日通り、先程の喜ノ床あたり。
その坂の下辺りから菊坂支流の暗渠道が始まる。

菊坂に並走するが菊坂との間には高低差がありこのような階段がいくつもある。

この階段には宮沢賢治の旧居跡の案内。

菊坂との高低差はこのくらい。
階段の上が菊坂。

路地を入ると下町情緒あふれる雰囲気。
井戸も残る。
この辺りは樋口一葉が住んでいた辺り。

その先には銭湯の菊水湯があった場所。
本郷に転居した頃はよく行っていた銭湯だけど2015年に廃業。
今では住宅となっていて一角にモニュメントの様に瓦が残されている。
菊坂支流の流れはここで今まで歩いてきた裏道から更に隣の道にうつる。
その菊水湯跡の前から更に一本南側の道へ。
鐙坂という坂の下。

そこから本格的な暗渠道の始まり。

暗渠マニアにはたまらない雰囲気。
水路の部分がコンクリートに覆われてはっきりと残る。

崖下に流路があったことがよくわかる。

途中にある鉄柵からは早い流れが見える。
写真では分かりづらいが。
ただ今は下水だから臭いは凄まじい。
菊坂支流はおよそ800m、高低差は約15mだからそこそこの急流なのだ。

流れは大きくカーブ。

ここで先程の地図の北側の谷間から流れてきた支流と合流。その支流は言問通りに沿ってるのだけど跡形は無い。
この路地かと思われる。



そして菊坂支流は東大下水本流と合流。
現在は白山通りになっていて全く痕跡は無い。
ここにて菊坂支流散歩は終了。
この先東大下水は千川通り沿いに南下してくる谷端川(小石川)に合流して水道橋あたりで神田川に注ぎます。

かつて住んでいたエリアだし今でも隣街みたいな場所だから今日見た場所はもう何度も見ている場所だけど、今日は初めて菊坂支流をたどるという散歩で改めて連続して流れを辿ってみた。そういう違った角度から改めて見てみるといつも見慣れた景色も違った感覚で楽しめるものですね。