異教徒と異端について追考。

異教とは自分の所属する宗教コミュニティ以外の宗教全てをあらわす。
一方、異端とは自分の所属する宗教において教条的に似て非なるものを指す。

「悪魔崇拝」はキリスト教異端である。悪魔崇拝という異端の最たる特徴は「反キリスト」という側面でクリスチャンなのである。

ときに「悪魔崇拝」の崇敬の対象の悪魔は元は古き神である。なので、この神々を崇敬するのは異教にあたり、本来はクリスチャンの敵にならない。
しかし異教の神々を「反キリスト」の悪魔として崇敬するとキリスト教異端の「悪魔崇拝」になる。
ちなみに異教の神々でも「邪教」は存在するが、「邪教」は「悪魔崇拝」ではない。

さて先ほどのデヴィッド・ボウイとガガを引き合いに出す。両者はアレスター・クロウリーという共通項がある。

アレイスター・クロウリー

クロウリーは「テレマ教」を説いた。故に彼は異教徒である。
クロウリーの「テレマ教」を反キリストに利用するのは悪魔崇拝者である。
翻って、クロウリーの「テレマ教」を崇敬する人は異教徒である。

異教と異端は分けて考えなければならない。
異端は異教よりも赦すまじ、という価値観がある。ただ我が国は八百万の神の国、私もほとんど多くの日本人と同じで実家は氏神社の氏子であり、浄土宗の檀家である。それなのでそういった苛烈な価値観というのは理解しにくかった。

しかしある騒動がその価値観に対して理解を示す切欠になった。それは「悪魔崇拝」である。

「悪魔崇拝」とは、実際のところ"キリスト教異端"に過ぎない。ルシファーはキリスト教の異端に組み込まれた神であり、また本来はどこかの神であった筈だ。

異教の価値観がキリスト教に組み込まれたところで「異端」となり「悪魔崇拝」の可能性を帯びてくる。キリスト教において「悪魔崇拝」の指標になるのは祈る対象の神がイエスの敵であることになろう。

サタニストに関して検索してこの方の記事に辿り着く。
リンク先のブログの引用動画ではデヴィッド・ボウイがガガの槍玉にあげられ、儀式的な思惑が指摘がされている。これにははっとするところかある。
しかしブログ主はボウイをガガと並列して述べているので誤解してるのではと思う。「陰秘学」という共通項があるにしろ、ボウイとガガでは趣がかなり違うように感じるからだ。だから息子がガガを批判したのだ。

はっきり云うとボウイは異教徒だ。悪魔崇拝者ではない。だからラザロを復活させたイエスに敬意を払うし、恐らくイエスを導いたエッセネ派の修道者たち、それまでに連なる偉大な存在が「★」なのではと思う。「★」は昼太陽の輝くところ(現在)、輝いて見えないが輝いている恒星(過去)なのだ。
前回、森喜朗に関する検索結果の偏りについて書いた。そこでアングラの重要性について再考したが、今はニコニコ動画は何となくその役割を担っているのかもしれない。


しかし動画というのは決定的な欠点がある。それは飛ばし読みが出来ないところだ。動画はストーリーを追うのに優れているが、情報を抽出するのには向いていない。だから比較しづらい。やはりテキストデータは厳然として必要だ。

ペーパーメディアをネットが駆逐できたのはそこに趣がある。テキストデータを抽出、速やかに比較考できたからだ。そして今、その部分が危機に陥っているのである。