氣の考え方は梃子とベクトルを合わせたものに似ている。
梃子は距離。距離が遠いほど力が増す。
ベクトルは方向性。方向性が分かれば力がより発揮される。
梃子は身体と対象との空間の捉え方で拡張できる。これにベクトルが加わる事で位置エネルギーは自在になる。
そしてこれは稽古(訓練)によって獲得できる。

実社会に活かす捉え方としては、相手を逃げる方向を塞いではならない。活かす方向に逃がすのだ。
そのために攻める。その攻めのときに梃子とベクトルを想定してあげる。そんなものかもなと、ふと思った。

昨日、炎天下3時間ほど作業することがあった。直射日光がこれほど危ないものか、帰宅してから思い知らされることになる。

偏頭痛というやつか、眼の奥に刺すような痛みがあり、横になっても段々と耐えられなくなっていった。吐き気も出てきてどうしたのだろうと不安に感じ始めた時、


「頭を冷やせ。でないと死ぬぞ」


と、心の奥底から言葉が出てきた。わっと床から出て風呂場で冷水を被った。楽になった。しばらくそのまま頭を冷やし続けた。


ヤバイとき誰に言われる訳でなく心の奥底から湧き出てくる言葉にまた助けられた。

闇雲に怒ってはいけない。また怒るために怒ってはならない。それは怒りが強い感情を伝える一表現であるから。

闇雲に批判してはいけない。また批判するために探ってはならない。それは批判が、社会的に効果がないものは全て意味がないから。

闇雲に美辞麗句を重ねてはならない。またそれを重ねるために状況を粗探ししてはならない。それは人々を惑わせるから。

闇雲に喧嘩はしてはならない。また喧嘩相手を求めてはならない。それは喧嘩が力関係を明瞭にする方法だから。

喧嘩は決して一人でしてはいけない。必ず冷静な味方を伴って喧嘩をするべき。また喧嘩はその味方にやらせてはいけない。喧嘩はその相手との神聖な行為なのだから。