ボクは、よく「今しか出来ないこと」もやりなよと言われる。
皆さんの言うそれは、大抵「もっと遊びなよ」ということだったする。社会に出たら今みたいに遊べないから、遊んどきなよ。ということだろう。
ただ、ボクは社会に出ても、十分「遊べる」と思っている。「社会に出たら仕事が忙しくて遊べない」よくそんな事を言う人がいるけど、本当にそうなのか?とよく思う。ボクの周りの大人達は普通に「遊んでいる」と思う。みなさん、別に怠けているようには思えないし、しっかりと仕事をしているようにみえる。
それに、もともとボクは「遊ばないとだめ」と言うタイプではないし、「遊び」に場所やモノを求めるタイプではない。「遊ぶ」と言えば、友達と食事をするとか、友達の家で酒を飲むとか、そんなもんである。そのなかのちょっとした悪ふざけが遊びだったりする。

そもそも「今しか出来ないこと」ってなに?と言う疑問があった。そもそもそんなものは存在しないのではないかと。確かに、年齢や環境によって「やりやすいこと」はあるけど、「出来ないこと」は無いと思う。「出来ないこと」はいつだって出来ない。

と偉そうに当たり前のことをいってても無意味なので、素直にみなさんのおっしゃる「今しか出来ないこと」は、「やりやすいこと」だろう。と。
そうすると、ボクの今の生活というかやってることは、「将来やりやすい=将来簡単にできること、当たり前にできること」と写っているんだろうな。
確かにそういう側面はあると思う。でも、実際のところはそうでもないと思ってる。今まで、テニスコーチもやって、塾講師もやって、ベンチャー企業6社でお世話になって、今も2社でお世話になっていて、これだけ短期間で多くの企業でお世話になることも将来なかなか無いと思うし、さすがに20代半ばでそれもどうなのかと自分では思ってる。

ボクは「今しか出来ないこと」を存分にやっている。
先日、ブログに登場した妹のS子であるが、帰省したときに誕生日プレゼントにタイピンをくれた。
母は誕生日プレゼントにネクタイをくれた。
まさに、「親子」である。
母のくれたネクタイは、結構太かった。妹のタイピンも太めのネクタイ用っぽい。
まさに、「親子」である。
打ち合わせしてたのかな?して無かったとしたら。
まさに、「親子」である。
来年からは、2人に欲しいものリストを送ることにしよう。(ちなみに今年はハンカチと手袋とマフラーが欲しいなって思ってたんだよね。)
ありがたく頂戴して、使えるときに使おう。2人ともありがと。

さて、帰省中に一度家族に料理を振る舞った。色々あってそうなった訳だが、別に面白い話でもないので割愛する。
オニオンスープでも作ろうかと思いタマネギをきりまくって、バターで炒めることに。炒めてる時間がもったいないので他ごとをやるたにS子台所に招集。嫌がるかと思いきや、「OK」といい結構すんなり来た。(英語系の学部に通っているので英語が達者になってきた。)

右手には、ボクが昔使っていた旧式のipod shuffle。(こいつは結構懐かしい。昔、海にサーフィンしにいったときに、友人のSすけが「これ、スプーン?」といってゼリーを食べたという逸話を持つボクの昔の相方だ。)
「ノリノリで音楽聞きながら料理か、兄妹だなぁ」(ボクも宇多田を聞きながら料理をするのが好きである)なんて思ったのもつかの間「我が家の台所がS子ワンマンライブ」に。one ○○ rock を叫びながら料理をしている。本人はイヤホンで聴きながら歌っているのでさぞ気持ちよかろう。
ボクにとっては、音が聞こえないのでただの嫌がらせでしかない。(one ○○ rockの存在を教えたことを後悔する日が来るとは。。。)
まぁ久しぶりだし、正月だし目をつぶろうと我慢していた。(大人になったなボク。)
しばらくすると、「ipod壊れた」といって色々いじり始める。(「よっしゃ!」当然の心の叫びである。)が、幸せも長続きはしなかった。なんとアカペラで歌い始めた。ボクは再び思った。
「妹よ、たくましくなったな」
最近一人鍋にがマイブーム。
(鍋はみんなでやるから楽しいんだろ。おっしゃる通り。。。)
鍋のいいところは切っていれるだけで簡単に、野菜、肉、とかバランスよくとれる。
白菜、とネギはマストで、後は肉、その他の野菜はお好みで。
次の日の朝は残り汁にご飯突っ込んで溶き卵入れれば朝飯完成。(超効率的だね。)
自走力と鍋は全く関係ないので、本題へ。

最近、ゼミの一年生のプレゼンが某大手広告代理店であった。
いわゆる一年間の集大成的なやつ。
ボクは後期から彼らのチューターとして偉そうにしていた。
(後輩は大変うざかったであろうに。)
ちなみに、前期は結構かっちりやっていたみたいだけど、
後期は完全に「放置プレイ」。
(あれもこれも、手取り足取り教えてやるほどお人好しじゃないしそういうの嫌いだし。ってね。)

前期から、ちらほらみていたりして何となく一年生の雰囲気は知っていた。
この子達からは「自走力」を感じないなぁとなんとなく思っていた。
「自走力」とは読んで字の如く、「自ら走る力」である。
自分で、企画を立て、スケジュールを立て、調査し、確認し、改善する。
彼らは、そういう部分に少し甘えがあるのかなと。
だから、ボクは積極的にこうしようぜとかそんな話はしなかった。
何かを言ったとしても凄い抽象的なばかりだったから後輩からすればよくわからん先輩だったと思う。

ゼミの発表が終わったあと、その中の一人に「やっぱり〇〇にはwhyが足りないよ」という話をした。
こういう提案です。why?仮説はこうです。why?こういう調査をしました。why?
そうやって全てのことに「理由」を持たせる。
後期はそれを常に言い続けてきた。
ちなみに、後期はじめに彼らに「論より証拠」というテーマを与えていた。
常にwhy?を繰り返すことによって、自分で様々なことを判断し、自分で決断することが出来るようになると思う。
ボクはそうやって「自走力」が身に付いていくんだと信じている。
そういう意味では、最後に一年生に言った言葉はボク自身にも当たり前のように当てはまる。

最近になって自分にもやっと「自走力」らしきものが付いてきたように感じる。
why?さぁ?そこはなんとなくだよね。(笑)
でも、そのおかげかは分からないけど、色々な方と「お話」する機会は貰えるようになったかな。

「自走力」しばらくの間は大きなテーマになるだろうな。