渡辺崋山作鷹見泉石像を考察する | Yoshimasa Iiyamaのブログ

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日本刀の拵ー刀装・刀装具(鐔・目貫・小柄・笄・縁頭など)・風俗・習慣について ー 日本刀装研究所 ー

渡辺崋山作鷹見泉石(たかみせんせき)像を考察する

 江戸時代の代表的な名作で国宝に指定されている、渡辺崋山の描いた肖像画があります。西洋画の手法を加えた写実的な画風で侍烏帽子に素襖〈図1〉を着用した古河藩家老鷹見泉石〈図2〉を描いています。刀装に趣味を持つ者としては描かれた帯刀に目がいきます。角頭掛巻白鮫柄に黒蝋色鞘、赤銅鐔、家紋図の笄の立派な拵です。目貫は一部しか見えませんが「六つ柄杓車紋」〈図3〉の三所物が付いているとおもわれます。この家紋は土井家のもので、泉石の主君土井利(とし)位(つら)〈図4〉から拝領の品で大塩の乱を解決した時のものでありましょう。鐺は見えませんが、素襖を着用していることや、笄がついていることからこの拵は「小さ刀拵」であると断言できます。 江戸時代の「小さ刀拵」は、脇差を用いた両櫃の打刀拵が通例となっているからです。

図2鷹見泉石(1785生~1858没)
天明五年古河城下に生まれ、十六歳の時御部屋付御小姓役に召されて江戸に出府、天保二年江戸詰家老になり主君土井利位(としつら)を補佐した。主君が江戸寺社奉行の時、富くじを創始し寺社の修復に充てた。天保八年、主君が大坂城代の時大塩平八郎の乱が起こり、大塩召捕棒という樫の短棒を造り用意周到にこれを平定した。これにいたく感動した主君利位から、自筆の感謝状と共に腰刀一口を贈られた。老中になった主君利位を補佐し、二十年間幕政に携わった。蘭学、地理学、測量、露語に通じ、国防の必要と開国を唱えた。

 


図1「徳川盛世録」より素襖と大紋
無位無官が着る礼服で大紋と似ていますが、被り物以外では、大きな違いは生地で、大紋が絹・麻なのに対して素襖は麻のみです。また、胸紐・袖括・菊綴が絹組紐でなく革紐になっています。家紋の位置は、上前の胸と袖、袴の腰板は同じですが、他は異なります。袴の両膝の上に家紋があるのが大紋で袴の左右の相引にあるのが素襖です。






























 
図3六つ柄杓車紋 六つ水車紋ともいう。土井家では沢瀉紋も使っている。



図4土井利位像
譜代 下総古河八万石 十一代藩主  江戸寺社奉行→大坂城代→京都所司代→老中
蘭学好きで、雪の結晶を研究し、天保三年「雪華図説」を著わした。日本で初めての雪の結晶の図と評価されている。以後、雪華文は染色・漆芸・鐔など多方面で用いられた。


雪華文印籠


終わりに
このように一枚の絵画から、当時の事がいろいろ解ります。江戸期の武士のしきたりでは、拝領の品を身に着けることが名誉であったようで、葵紋の羽織を着た幕臣の写真が少なからず存在しています。


文久3年12月外国奉行池田筑後守を正使とする使節団に通弁御用頭取としてヨーロッパに派遣された、西 吉十郎(37歳)
徳川家茂将軍拝領の時服〈注〉を着ています。

〉万石以上以下御目見以上が賜る三つ葉葵の紋付で、五所に付けられた紋は通常より大きく、俗に時服紋と呼ばれた。


この原稿は、銀座刀剣柴田発行月刊誌「麗」No.587に画像等を追加したものです。