この社会福祉士の国家試験の試験日は2002年は1月27日、とむおの出産予定日は2月20日だった。
臨月近いお腹抱えて国家試験に臨む。それも「配慮のいる受験生」扱いで受けたから、教室に通されたとき、席が入口から一番近くって笑った。そうか、産気づいてもダイジョーブって。やつは試験の終始お腹を蹴り、自分の存在を存分にアピールしてた。「今出てきたらアカンでー」って言い聞かせ、昼をまたいで午後も二時間半びっちり、無事試験を受けて終了。
で、とむおをどこで産みたいかって話。
過去記事でずっと海外にこだわってたことを書いた。
このコ、海外で産んだら永住権どころか、そこの市民権保持者になるんじゃないのって。これは絶対大きいって思った。
もうひとつはずっと通ってた個人産婦人科でなんとなく産みたくないってのがずっとあって、なんかこう..こういう大きいイベントは盛り上げないといけないんじゃないかって思ってて。(「アンタだけや、そんなん考えるの」ってオットーはゆってた)
探した。国籍ついてくるとこ。だからって言葉、英語じゃないとダメだからさ、すっとんきょうなトコじゃだめなんだよ。ヨーロッパとかね。遠いし。
じゃどこよ?
ニュージーランド(当時ね、今はダメだよ)。(ここで産んどきゃよかったんだよ モーレツ後悔)
カナダ
アメリカ
。。。もろもろ。。。。
ずっと好きだったオーストラリアなんてもっとダメ。血統主義(いくらそこの地で生まれてたとしても親の国籍に準じる)すでに取ってたからね。
で、国を決めて受け入れてくれる先生探し。その前に海外出産に詳しい人とのやりとり。
これを国家試験の受験勉強と仕事をしもって生まれる数か月前からやってた。
ワタシさ、あんまり勉強できるほうじゃなかったんだよ。高校のときなんて、ろくすっぽしてないからさ、浪人しても志望してた大学も受からんくって。だけどね、こーゆーときにね、バカ力発揮して集中してやるんだよね。何せ命かかってるからさ。
このとき妊娠7か月だったかなあ。受け入れてくれる先生も見つかって渡航して産むことにしたんだよ。で、妊婦が飛行機に乗るのって出産直前って医師の付き添いがいるんだよね。それも産科医だったかな。眼科医じゃダメなんだよ、確か(記憶が薄いので不確かな情報だよ。くれぐれも鵜呑みにしてないでくださいね)。
国家試験を終えての渡航はまだ付き添い不要で大丈夫だったから、家族だけでOKやった。
あー書きだしたら長いな。エピソードはいっぱいあるんやけど。オットーの猛反対とか、生まれてから誰が付き添うとかさ。出産もそうだし、出産前後ってひとつのドキュメントだよ。実はこの前後に関しては著作もあるワタシだ。売れなかったけど。ナハハ...
ということで(まとめちゃったよ...)、
とむおはそこで産んだ(あっさり)。正味6時間の悶絶の痛みを経て、するりとでてきた。初産ながら超安産だったわさ。なんかひ弱な産声でダイジョーブか?って思った記憶がある。ドラマで見るような元気な産声じゃないなって、ひいていく陣痛を感じながら思ってた。確か。
国家試験を受けた直後にその国に渡り、渡って1週間から10日後くらいに無事にやつはでてきたよ。それも予定日より前にね(3022gだったよ)。今もじっとせず、外にすぐ出ていきたいタイプだから、やっぱそういう素質なんだろーな。で、新生児から乳児(1か月間ね)に変わったくらいに日本に戻ってきた。
帰りの便、バシネットで泣くとむお。
新米母だったワタシ。若っ。
出産も超安産だったけどイロイロあったし、現地での生活もイロイロあったけど、今回はパス。
で、3月末日、国家試験の無事合格を確認したってわけ。赤ちゃんだったとむおを抱っこしながら、自分の番号が乗ってる合格発表をパソコンで見て号泣したよ。出産も試験もよくやったよ、ワタシって。
乳児に格上げ直後のとむお。おお、カワイイ。
とむおはどっから見てもまったくの日本人(アジア人)だけど、ミドルネームなんかも持ってる。tomtomってのは、実はその産んだとこの先住民のことばで、オットーの名前の漢字一文字と同じ意味を表している。男の子だから、'Junior'ってカンジにしたかったから、これが彼のミドルネーム。それをワタシは拝借してこのブログのペンネームにしている。なのでやつは「とむお」。
やつの出生のときにすでに選択肢をワタシたちは与えた。彼が行使するかどうかは彼の問題だけど、将来彼がそこの国でがんばるってんならそれを使えばいい。放棄するなり、あるいは姉妹を呼び寄せるってことも可能だ。
それもあって、使える英語をなんとか身につけさせたいって強く願ってるってこと。
なので今、なんとかここにいられるようにstruggle(あがいてる)なワタシだ。