台湾ビールに描かれた人物、関連地、ついでながら・・・ | 逍遥のススメ人アキラのブログ

台湾ビールに描かれた人物、関連地、ついでながら・・・

前回の記事で紹介した女性から幾つか土産をいただいたのですがその中に台湾製の缶ビールがあったのです。その缶ビールに描かれた人物にちょっとした思い出がありましたので、記事にしました。

前記事の写真を再び紹介しますが、彼女が手にしているものをアップするとある人物が描かれた缶ビールであることがわかります。


その人物の名は・・・おわかりでしょうか・・・鄭成功。
高校生のころ、
歴史の時間に学んだと思うのですが、
鄭成功を描いた『国性爺合戦』は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃として記憶に残っている方は多いのではないでしょうか。

意外と知られていないのは
鄭成功の生誕地が日本の長崎であるという事。
中国人の父親と日本人の母親の間に生まれました。
7歳の時に父親の故郷である福建省に単身で移る。

台湾・中国では民族的英雄として描かれており、特に台湾国民にとっては、清と対抗しオランダ軍(東インド会社)を討ち払ったことから、大総統・孫文、総裁・蔣介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されている。


鄭成功が日本から福建省に移ったことで私が思い出すのは
もう10年以上にもなるけれど、私は仕事上、福建省の厦門(アモイ)を2度訪れたことがあります。
現地の日本語に堪能な人にいろんなところを案内され、その中でコロンス島にある巨像を見ることができました。
その巨像とは鄭成功の立像なのでした。まさに中国人にとっては民族的英雄と思われるほどの立派な石像でありました。





最後に、福建省と言うと沖縄では無数に見られる魔除け、石敢當(いしがんとう)の発祥地。

それで、私は現地の日本語の堪能な人(案内人)と一緒にこの「石敢當」のことを厦門の人々がどれほど知っているのかを調査してみました。
ちなみに、まずは案内人にこの「石敢當」の文字を紙に書いて示したとき、「(石敢當)って何ですか?」と返ってきました。
驚くことに、私が泊まったホテルのスタッフ、近くの公園のベンチに座っている人、通りすがりの人いろんな人に訊いて回りましたが、誰一人として、石敢當については知りませんでした。意外も意外、厦門の住人は石敢當のことは知らないようです。そういえば、沖縄にも中国人観光客が多く訪れるのですが、沖縄至る所に設置された石敢當を見ても無反応のようです。
石敢當の由来が中国だという事を知らない人がほとんどと言っていいでしょう。

 

私は石敢當について書かれている本を所持しています。小玉正任著「石敢當」。彼はこれにより博士号を取得しています。

この本によると、
石敢當は西暦770年に福建省の蒲(さんずいを取り去った漢字)田県の県令(県知事)により造立されたもので、魔除けであり、社会の安寧、民生安定を願うものであったようです。


つまり、石敢當は局地的に造立されたものであって、中国全土に行き渡った魔除けではなかったという事なのでしょう。局地的に生じたものであっても外国から見たら、発祥地は中国という事になるのでしょう。

沖縄が琉球王国という独立国であった時代、15世紀、大交易時代(大航海時代)とも言われたころに中国から琉球の人々が持ち帰ったのが石敢當でありました。琉球の人々はこの魔除けを大切に守り通し、今日まで一般大衆が家々の突き当たり、角々にそなえ付けるようになったのはアジア広しといえどもこの沖縄だけなのです。
したがって沖縄の石敢當は600年の歴史があり、沖縄の文化の一つであり、沖縄の魔除けそのものだといっても過言ではないでしょう。

※現在中国本土では石敢當を設置する習慣はありません。一般の人々は石敢當の名前すら知りませんし、かつての存在すら知らないのが現状です。中国の市街地を歩いても石敢當を目にすることはありません。