<<ブログ 272>>
人生って・・・・
初めと終わりはひとつづつ
初めと終わりを選ぶことのできない
選択肢がたくさんの
阿弥陀籤(あみだくじ)なのかも
~私の想い~ by 入道
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今回も埼玉県浦和市から世界に羽ばたこうと されている
ちょっとだけ私と歳の離れている画家
田中拓馬さんが
素敵な挿絵をご厚意で画いてくださいました。
田中拓馬さん、お心に感謝です。
ありがとうございます。
田中画伯のオフィシャルサイトを
訪ねていただければ、と思います。
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あみだくじ(阿弥陀籤)とは、線の端に当たりはずれなどを
書いて隠し、各自が引き当てるくじのこと。現在は平行線の
間に横線を入れ、はしご状にすることが多い。
もともとは、人数分の線をひき、一端にそれぞれ異なる金
額を書いて隠し、各自が引き当てた金額を出させ、集めた
金で茶菓子などを買い、平等に分配する仕組みだった。
現在では、用途は広がっており、何かの順番を決めたり、
何かで言い争った場合に「〇」を引き当てた方が勝ちとした
りして、幅広く利用されている。 (ウィキペディアより)
阿弥陀籤・・
あみだくじ・・・
アミダクジ・・・・
あみだくじの入口と出口の数は同じ数だけあって
自分の好きな入口を選ぶことができ
入口「だけ」を選ぶと
後は当人は何もしなくて
出口までたどり着く
でも
人生あみだくじは
入口と出口は共にひとつだけ
そして
その入口と出口は
当人が選ぶことのできない
不思議な不思議な あみだくじ
入口も出口もひとつだけなんだから
だれも どんな人でも
どんなにお金を積んでも
選ぶことはできない
変形の あみだくじ
それが 人生あみだくじ
入口と出口は 自分勝手に選べない
みんなに 等しく 同じものが
存在している あみだくじ
それが 人生あみだくじ
人生あみだくじ
入口 スタートは「生」(誕生)
そして
出口 エンドは「死」
挿絵は田中拓馬画伯 画
人生あみだくじ
入口 スタートは「おぎゃー」
そして
出口 エンドは「サヨナラ ありがとう」
みんな
だれでも同じ
生からはじまり 死に終わる
その間には数えきれない
無数の選択線が存在している
そして
ひとつひとつの選択ポイントでの選択肢は
右か左かのふたつなんてものでなく
とってもとってもたくさんの選択肢が存在している
「生」と「死」の間で無数の選択をし
そのたびに たくさんの選択肢の中から
自分で選び
自分で選択線を書き込む
それが人生
それが人生あみだくじ
入口と出口は共にひとつ
誰も選ぶことはできないんだけれど
入口から出口に向かう
その過程には
無数の あみだくじの横線
「選択」の時と場が
存在している
しかも!!
その横線は 前々から存在しているものでなく
その人がそこ(選択分岐点)に来た時に
自分で好きに選んで書いていくもの
挿絵は田中拓馬画伯 画
真横に引いてもいいし
ちょっとななめ上にひいて
斜め下にひいても
右に引いても 左に引いても
それは
自分が決めること
いつも
自分で線(選択分岐線)をひくことができる
自分で判断できる年代になれば
自分で判断できる時になるまでは
自分で選択できる時になるまでは
人生あみだくじの分岐点(選択点)に来たとき
多くの場合
「親」が本人の代わりに やっている
でも
赤ちゃんでも
生きていくための「できる」選択は
自分でやって
行動に表している
お腹が空いた 食べたい
食べようと思うと
その選択分岐点で
「泣く」と言う選択をし
大声でおぎゃーと泣く
排泄はできるけれど
その後処理はできない赤ちゃん
お腹すいたと異なる泣き方するとか
ぐずるとか 変な顔するとか
いくつかの選択肢の中から
親に報せる 動きをする
人生での「選択」と考えると
難しく考えがちだけれど
難しくない「選択」
あたりまえのようにやっていることも
実は「人生アミダくじ」で
自分で
次に行く方向に向かって
人生アミダくじの線を引いている
選択の連続
それが人生でもある
そう想う
朝起きる時間
朝ご飯を食べるのか 食べないのか
何をするのか
何を着ていくのか・・・
日常行為自体が
実は
人生アミダくじで
自分で選択線を引いて
次に向かう方向を
決めている
その選択で
運命を自分で
創っているのかもしれない
そして・・・・
人間 自分自身の選択に対して
ちょっと経ってから
「あちゃぁ」「失敗した」と
感ずること
とってもとっても多い
それが人間
自分がした その選択によって
嫌な状態
思わなかった事態になってしまうと
「○○○を選んでいなかったら」
「もし~~していなかったら」
「もし~~していたら」
こんな想いが心を占める
「もう少し早く起きていたら」
「タクシーでなく電車に乗っていたら」
「あっちの洋服を選んでいたら」
・・・・・・・・・・・・・・
「あの人に声をかけていたら」
「あんな言い方をしなければ」
・・・・・・・・・・・・・・
こんな想いになることもたくさん
これが「後悔」
人生アミダくじは
過去に戻ることはできない
できるのは
前、今この瞬間以降の「未来」に向って
選択線を引いていくこと
後悔しても
ひとつ前の段階に
タイムスリップすることは絶対にできない
嫌な状態の「今」を
どう変えていくのか
そして
変えていくために
「自分は何をしていけばいいのか」
それを明確にして
人生アミダくじの「選択線」を
『今これから』にむかって
自分で
引いていくことはできること
そうすれば
「今」を変えていくことができる
自分一人でなく
「たくさんの人たちに助けてもらう」を
選択肢に
加えていけばいい
明日に向けての
人生アミダくじの 「選択線」を
どう引いていくのか
それは
自分自身に与えられていること
自分自身が選ぶこと
だから
自分自身が
自分の「人生」の「主体者」に
なっていけばいい
挿絵は田中拓馬画伯 画
あたりまえのことなのかな
そう想うのです
今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして
ありがとうございます。
私たちは良く「運がいい」とか「運が悪い」とか
「運」と言う言葉を
良く使います、使っています。
運・・・
天が、神様がその人の運を決めているのでしょうか?
良く考えるとその「運」に近づく動きは
自分自身がしている
そう想います。
後5分早く家を出でいたら
もう一本前の電車に乗っていたら・・・・などなど
自分が
選んでいる、んですよね。
そんなことを考えていた時に
人生は
入口と出口がひとつしかない(変則)アミダくじ
そんな想いになりました。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)