(前回からの続き)
コミュニティは単純に「ヒトの集まり・群れ」、
私の簡単な定義です。
そして
前回ではコミュニティを機能させていく力は
「人間力」と書かせていただきました。
では・・・
「人間力」とは何なのでしょうか。
今回はこの「人間力」に関しての「私の想い」を
記していきたいと思います。
(難しく頭で考え込んで悩んでいたけれども自分
の想いにはできなかった時期を過ぎて、心で感
じるようにしたとたんに易しく私の想いが浮かん
できました。1991年頃だったと思います)
『人間力』って何なんだろう?
~コミュニティを活き活きさせていく原動力
それは「一人ひとりのもつ「人間力」の発揮~
●「人間力」を考えていた時に私にとてつもないヒン
ト、キッカケを与えてくれたもの、それは英和辞典を
眺めていた時にぶちあたった「ひとつの英単語」で
した。
★それは「MANNER」(マナー)と言う単語。
★「マナー」は「行儀とか作法」なんて教えられ、挨拶
の仕方とかテーブルマナーとか敬語の使い方とか、
名刺の受け渡し方・・・・・どちらかと言えば、「こうしな
ければダメ」(笑われるよ・・)的に子供のころから教
えられ、私もそう思って生きてきていました。
◆でも・・・・。悩み悩んでいた時にこの「MANNER」
と言う単語にぶちあたった時、瞬間的に私の心に感
じたのです。
★MANNERと言う単語、
MANNERと言う英語はすごい!!
●その時に行っていた私の心の中での作業は単純。
●今でも行っている私の癖のひとつでもあります、
数式化。定義づけの数式化とでも言えるかな、と思
います。定義づけしたい対象を「数式の左辺」にお
き、「その定義なのでは、と思えることを右辺」に
置いてふたつを「=」でつなげる、こんなやり方で
す。
★その私のやり方である意味私自身に感動を与え
た数式化、それは
MANNER=MAN+(N)ER
でした。
(E)は発音上子音を重ねている。
★MANは「人間」。「ER}は英語の動詞に付加す
ると「~する人」となる言葉。
●これだけで私の何年もかかって考え悩み探し求め
ていたものが一挙に解決いたしました。
●MANは動詞ではないので英文法的にはおかしい
と想いますが、THINK過程ではそんなこと関係あり
ません!!!!!!!!!!!!!!!!
●「自分がそう想う」ことが正解なのです。
★マナーは「人間をする人」。すごい!!!!
★そして、じゃぁ「人間するって何なんだろう」を考え、
自分で定義づけすることが必要になり、書籍とか辞
書を入り口といたしました。(調べました)
(この時には既に「ヒトと人間の二つの言葉にも絶対に意味ある
はず、意味を持たせるべきだ、と感じておりました)
●先ずは「生物学的?」に「ヒト」を調べるととてつも
なく長くて沢山の属種を重ね続けることでようやくと
「ヒト」にぶちあたる。
●これでは、「想いの構築」の助けにはなりません。
でもこの時に「そうだ!!ヒトって動物」しかも「単
体では生存確率のとっても低い弱い動物」「他の
強い肉食動物に食べられてしまう存在」なんだよな、
と感じ、それが私のひとつの想いの柱にもなっており
ます。
●「頭で」更に調べ続けました。沢山調べましたが
そこから残した一枚が下のシートとなります。
●学校でも習いました。「ホモサピエンス」。
●「知恵のあるヒト」。
★ここからは単純な想いがひとつ生まれました。
★困った状況に直面した時に「知恵をだせるのが
ヒト」。「困難直面の時に知恵をださなければ
ヒトではない」。
●そして次のTHINKING。
●いろいろな辞書そしてネットでのフリー百科事典
ウィキペディア・・・どんどん私の想いの形成にヒント
を与えてくれました。徹底的に考えていたからこそ、
普段は何の感じも受けずに眺めていた「文字」が
●動物の行動や習性を3つに分けて書かれていま
した。
①本能行動
②学習行動
③知能行動
●私はここで次のように感じました。
現代のヒトにおいては本能行動はほとんどみら
れず学習行動と知能行動が特に発達してしまっ
ている。
⇒だからこそ「正しい人間教育」が不可欠なのに
現実は・・・。
●そして、
多分「人間力」ってのは学習とか「知能」とか
で養われていくものではなく
「本能」にあるのでは!?と。
★ヒトが本来持って生まれてきている
「動物としてのヒトの本能」を捨て去り、大切にす
ることなく「誤った学習行動」「誤った知能行動」
をし続けているのではないのだろうか。
そうすとんと心に想いとして浮かんできていました。
●学習そして知能も「ヒトとヒトとの間で生活を通し
て育まれたものならきっと問題は全くない」と想い
ます。
でも・・・
実体験からではない学習目的を誤ったバーチャルな
学習とそこから身についてしまった誤った「知能」
そしてそれをいさめることをしない。諌めることができ
ない大人たち・・・・の現代社会。
●「動物としてのヒトの本能に戻ろう」
「単体で生きていくことのできない弱い動物として
のヒトの本能をきちんと理解して発揮させていけ
るようにしたら」・・・そんな想いが浮かんできました。
●調べを続けていくと「人間の特徴」項目がありま
した。
●「言語の使用」「思考の能力」。
●私の想い形成を助けてはくれません、でした。
●でもここで「ヒトと人間」。ずっと私が使い続けて
いる自分なりの定義がここから産まれてきています。
社会とはヒトと言う動物が生きていくために
形成する群れ・集団
生活とは社会で生きていくこと
人間とは「社会に生きる(=生活)ヒトのこと。
●だから単純。
コミュニティとはヒトが形成する「群れ・集団」
のこと。「ヒトの集まり」なんです。これでいいじゃ
ないですか、そう思います。
●コミュニティを考えていくときに「学問的」「知
能的」な定義づけにのめりこんではいけない、
のめりこむと大きな間違いを引き起こすかも、
私の想い、です。
●ヒトの「本能力」が「人間力」?。
★ヒトの本能。私は先にも書かせていただきました
が「ヒトは自分一人(単体)では生を重ねていく
ことのできない弱い動物」なのですから「生を重
ねていくためには「助け合って生きていく」ことに
なるはず、そう想います。
●助け合って、助けられて助けて・・・・
それが「優しさ」となるかな、と私は思いました。
●でも、これだけでは「人間力」の自己定義に足り
ませんでした。
なぜなら「種に対する『優しさ』は人間以外にも
みられる行動」なので・・・。
●では、他の動物になくヒトだけが持っているもの
って何なのでしょうか。
●悩み考え続けました。そしてこれまたひとつの「単
語」に自分の想いを重ねることができました。
●今度は「日本語単語」です。
『感性』の二文字だったんです。
●学問的にどうなのかは私の想い形成には関係あ
りません。私自身がそう想うことで想いは形成されて
★「感性」。この言葉を見て私は勝手に自分でこの
言葉に定義づけをいたしました。
★感性とは・・・
自分以外の存在の心の状態を
感じとろうとすること
自分以外の存在の心の状態を感じ取れる力
●ちなみにこの定義のヒントは「感性」の「性」の文字
が私に与えてくれました。
●「性」の文字は『心』と『生』のふたつの文字で構成
されています。勝手にこう解釈しました。しています。
性=心+生
●「生」は生きている・・・「今」と捉えることもできる
「心」は心。
↓
刻々と変わっている(いく)相手の心の状態
↓
だから「感性」とは・・・・・・
刻々と変わっていく相手の心の状態を
感じとること・感じとれる力。
●この「感性」と言う本能力を発揮して
優しさの行動をすることができる
これが人間力。
と私は思い続けております。
●感性をひっくり返すと「性感」になります。
よくわかりませんがこれはたぶん「本能としての
動物として自分の心を自分で感じる(本能を感ずる)」
ってことなのかと・・・。
●決して「読心術」とかのテクニックなのではありま
せん。人間が全身を使って表す心の状態を感じと
る、感じとれる本能だと思います。
手の上げ下げ・目の焦点の移動・眉の上下・
貧乏ゆすり・脚の組み換え・口の開き方・・・・
相手のあらゆる身体箇所の様子から
「どうしてほしいのか」の心を感じとれるのです、
私たち、人間は。
★そしてこれがMANNERなのでは、とも・・。
今回も長くなりましたが
今回も最終行まで目を進めていただきまして
ありがとうございました。
人間力、本当にこんな力があるのかは関係ありません。
でも
私たちは「群れ・集団を形成してしか生きていくことの
できない弱い動物、ヒト」なんです。
とてつもなく長い時間と技術革新が
人間に与えてしまった「大きな誤解」(一人で勝手に生きていける)を
解きほぐし一人一人が改めて「人間(社会に生きるヒト)」として
考え動いていくことが必要だと
素直に感じております。
決して
コミュニティ形成ノウハウ・コミュニティ形成技術・
コミュニティ形成仕掛け・・・・が入り口では絶対にない、
改めて考えております。
コミュニティ形成の入り口は一人一人の「心」にあります。
あるはず、です。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ
入道(入村 道夫)







