2024年4月の鑑定、満員御礼です。

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占い師のゆーこです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

算命学を学ぶ一人として

いつも思っていることの一つに、

「そんな簡単じゃねーわ」

があります。

 

 

 

算命学という思想・学問・占いは

いろんなことをいろんな角度から

教えてくれます。

 

端的で簡潔な教えもあれば

複雑重厚な教えもあります。

 

例えば、年の天中殺。

 

誰でも、12年のうち2年は

年の天中殺が訪れるのですが、

セオリー的おすすめの過ごし方は

「受動的にやっていきましょう、

 目の前のことや

 誰かから望まれることを

 淡々とやっていきましょう」

というものになります。

(ざっくり言うとですよ)

 

じゃあ、

「年の天中殺のときは

 その過ごし方やってれば

 絶対にOK、安泰、無問題」

なのか??

 

そんなわけあるかいーーーー!!

という話なんですよ。

 

 

 

だってね。

例えば、

親族の借金肩代わりしちゃって

家計火の車過ぎるのに

子供がまだ3歳、配偶者は無職、

みたいなとき。

 

「受動的に、待ちの姿勢で、

 穏やかに足元だけ見て

 過ごせばいいんだ・・・」

なんて言ってる場合かーーー!!

ってなるでしょ。

 

能動だろうが受動だろうが関係ない、

とにかくお金を稼ぐ!

借金返すし生活立て直す!

自分と家族の安定取り戻す!

時間と体力と知恵余すことなく使って

全力でがむしゃらに現実やっていく!!

・・・ってやらなきゃいかんでしょ。

(そうしないと最悪一家離散ですよ)

 

占い師側も、そういう状況の人に

「受動的に淡々と人の役に立ちましょ」

とか言うのは思考停止なので、

「それはやれること全部

 やるしかないですね。

 ただ、近視眼的になりやすくて

 突っ走ってるときは判断力も

 安定しにくいんで、

 味方になってくれる人の意見は

 重視した方がいいですよ」

みたいに、環境と運気を鑑みた話を

しなきゃいけないですよね。

 

 

 

貫索星ときたら「頑固」

とか

律音ときたら「一業専心」

とか

子丑天中殺ときたら「初代運」

とか・・・

 

意味合い的にはそうで、

何にも間違ってないんだけど、

何でもかんでも一律にそうするのは

違うことだってあるよ、

ってつくづく思うんですよ。

 

「その答えは分かった、

 でもそれ、できなくない?」

ってときはあるし、

「その答えは私はやらんわ」

ってときだってある。

 

「それ、採用しなかったら

 不幸になるんですか?」

そんなわけあるはずがない。

そんなん誰にも決められない。

 

占いが人の幸不幸を必ず決めるなら

みんな絶対に占い習って

人生に反映させるからねw

(ちなみに算命学は「自然の法則」がベースなので、

 「こうなってますよ」と教えてくれるものです。

 1mmも「こう生きろ」なんて決めてないです)

 

 

 

そんなわけで、

算命学を活用していくなら、

ただ理論・理屈・占技を学んで

覚えるだけじゃ片手落ちだな、

人の役に立つもの、

判断の材料になるものじゃないと

あんまり意味がないよなぁ、

「簡単じゃねーわ」って

私は思うんですよ。

 

「環境」や「状況」

「生き方」や「信条」

「欲望」や「夢」

これらと「占い」を

どう伴走させていくか。

 

占い師として

ずっと考え続けることですし、

鑑定の際に伝えられることの

精度を高めるために

占い以外のことも精進せねば、

って思いますね。

(占いと環境・状況等を鑑みた結果、

 鑑定の時にぬるっとした答えになることもある・・・)

 

 

 

ここまで読んでくださって

ありがとうございました!!

 

 

 

 

 

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