ダンバラ クニヒコさんの投稿 20240623
79年前の今日、昭和20年6月23日に日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる _ 沖縄県はこの日を「慰霊の日」と定め、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で毎年戦没者追悼式が行われている
 

白楽村の村夫子 ... 僭越にも、有意の政治家・識者に願う

かつての米国の機密文書も公開されているというのに、
80年の戦後総括もなく大東亜戦争開始への歴史的分析もない

都市伝説的な扱いのものではなく、後進に示すことのできる歴史の総括が示される日が来ることを ... あらためて合掌!

 

20世紀初頭からの米国策

アメリカの対日戦略シュミレーション、通称:オレンジ計画

 

(※1)1906年版オレンジ計画
海戦により制海権を奪い、通商上の厳しい封鎖により日本を窮乏と疲弊に追い込む

(※2)1907年版オレンジ計画
太平洋を一歩一歩前進する『飛び石作戦』を採用する

(※3)グレート・ホワイト・フリート
1908年、新鋭戦艦16隻、巡洋艦2隻、駆逐艦6隻からなる「グレート・ホワイト・フリート」が横浜港入港
黒船に対して「白船」と呼ばれ、フランスの新聞は日米開戦間近と伝えた

(※4)1911年版オレンジ計画
基本戦略として最初にアメリカが日本を経済的に封じ込め、経済封鎖に苦しみ抜いた日本が苦し紛れに暴れ出すのを待つ。可能性が高い攻撃対象はフィリピン、グアム、ハワイ

~ 基本の三段階 ~

①開戦当初、地理的に有利な日本海軍が太平洋のアメリカ領諸島を占領
②アメリカ艦隊は日本の通商線を破断し海戦により日本艦隊を圧倒する
③アメリカ艦隊は島々を伝って日本へ接近し、海上封鎖によって日本の食糧・燃料・原材料を枯渇させ、日本本土に戦略爆撃を加える


(※5)水野広徳海軍大佐・日露戦争に従軍
日米戦争の未来戦記である「次の一戦」を執筆
日本が敗戦する結末を描いて海軍拡張を訴え、「今後はいかにして戦争に勝つかより、いかにして戦争を避くべきかを考えることが重要だ」と加藤友三郎海相に説く

(※6)1914年版オレンジ計画
日本は資源開発のためにアジア大陸の過疎地へ開拓する
そうなると日本陸軍が大陸に必要になる
日本陸軍を大陸内部に固着させ、アメリカは日本海軍とだけ戦う (フランクリン・ルーズベルト:当時海軍次官)

(※7)日本新国防方針:英米両国を仮想敵国とした
水野広徳は「日米戦争は空軍主体となり日本は空襲で焼かれ、さらに総力戦で財政破綻するのでアメリカと戦うべからず」と警告した

(※8)1923年版オレンジ計画
日本を海上封鎖し、日本と台湾を結ぶ通商路、日本とインド洋、マレーシアなどの資源地帯を結ぶシーレーンを破断

(※9)1928年版オレンジ計画:空爆計画を練りこむ
この時に水野広徳は戦局を決定するのは空戦力であると喝破

(※10)石原莞爾「わが国防方針」
木曜会の会合で、日米が航空機で勝敗を決する世界最終戦争が起きると「世界最終戦争論」を講話 (刊行は1940年)

 



補 ①:オレンジ計画:Wikipedia



補 ②:武内和人:戦争から人と社会を考える
戦間期における米国の対日戦構想の変遷を辿る『オレンジ計画』の紹介