スタジオジブリの映画「風立ちぬ」が公開され、好評です。この映画は、航空技術者 堀越二郎のをモデルにした半生を作家 堀辰雄の「風立ちぬ」 からの着想も盛り込まれているそうです。映画はまだ観ていませんが、先に堀辰夫の「風立ちぬ・美しい村」を読んでみました。
純文学とはこういうものか・・・。推理小説のように誰かが殺されることも、本人を追いつめることもなく、坦々と日常が描きだされる。まだ、純愛というべき、心と心のつながり、相手を思い、思いやる心、微妙な心のひだが丁寧に描かれています。正直、推理小説を読みなれていると、どうしても途中、退屈な感は否めませんでした。
しかし特に気になった3行(すべて「風立ちぬ」より)
・「私達、これから本当に生きられるだけ生きましょうね」・・・病身の彼女が主人公に発した一言。病気だからゆえに生きたい、共に生きることを願う、そんな感情がこの一言に詰まっているのでは、と感じた1行。
・真の婚約の主題ー二人の人間がその余りにも短い一生の間をどれだけ幸福にさせ合えるか?抗いがたい運命の前にしずかに頭を項低れたまま、互いに心と心と、身と身とを温め合いながら、並んで立っている若い男女の姿ーそんな一組としての、寂しそうな、それでいて何処か愉しくないこともない私達の姿が、はっきりと私の目の前に見えてくる。・・・私のことを幸せにしてください、というものが婚約ではなく、相手をどれだけ幸福にさせられるか、互いに心と心、身と身を温めあえるのか、真のつながり、そのつながりの中では、愉しくないこともない(愉しいと書いていない)という幸せ、作者の思いがあふれる、そんな気がした。
・おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこればかりだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明かりと同様に、おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ・・・自分のことは全く自分では分かっていない、そして、いろいろなことが分かっていると思ったとき人生の楽しさはなくなるんじゃないか、分からないことを気づく、これが易しいようで、難しい。でも、わかったとき、もっと人生が楽しくなる、そんな気がする。