『言葉を失なう』とは、こういうことを言うのだと思いました
能登が震源の地震、そして羽田空港での飛行機事故に、とても心が傷みます
被災に見舞われた方々や、亡くなられた方々、ご遺族や関係者の方々へ、慎みながら心寄せています
そして1日も早い復興をお祈りしてます
 
地震発生当時、私は友人と金沢を訪れていました
【新春 金沢への女旅】を楽しんでいたのです

お風呂に入って夕食前の一杯を味わおうかと、乾杯して、いつもの日常とは違う夕方を寛いでたとき
突然、激しい揺れに襲われました
揺れが止まっても、身体はずっと揺れていて、しばらくたつとまた揺れる繰り返しでした
『津波』という言葉を聞いたときに、東日本震災で津波にのまれ、愛する夫と幼いお子をのこして無念な思いで亡くなった友人の顔が浮かびました
東京やアメリカにいる家族に電話をかけようとしたけれど、この時はとても繋がりずらかった
絶望的な気持ちがおしよせてくる
NYでは地震がなく、東京でもこれほど大きな地震の経験はないからか、私はパニックでした

2024を迎えて
自宅で眺めた初日の出

悪い夢であってほしい
現地にいながらも結局は何もできずにいた自分が、もどかしかったです
911を思い出す
あのときもそうでした
帰れるの?と不安になりました
早く帰りたいと思いながらも、辛い思いしてる人々を横目にしながら、何も出来ぬまま帰ることに後ろめたい躊躇いもありました
かといって、何かできるわけじゃないから、かえって足手まといになってしまう?
とても無力だ…と。
新潟県の実家へ帰省してた友だちもいます
帰省してた方々は、きっともっと想像も絶するほどの強い葛藤を抱いてらっしゃると思われます
家族をのこして帰るのだから…

チーズパパ、新潟県にお住まいと把握してるから安否を確認しようとAmebaログインしてみました
大丈夫そうで、ホッとひと安心🤗
胸がいっぱいで、いいね!だけをしました
そして私たちは金沢から東京へ戻ってきました

自分に起こる出来事はすべて、その人の人生にとって必要な意味があるのだと、わかっています
偶然な出来事のようであっても、必然な出来事

私たち人間は神ではないから、みんな誰もが未完全で、完璧な人など存在しません
すべての出来事において、その人にとっては必然なもの
魂を成長させるために、この世でのテーマを決めて、いつの時代にどこで生まれるといった宿命もあらかじめ決めながら、カルマを果たすために、生かされているということ
年末年始に私の身に起きた幾つかの出来事は、まるで偶然のようでありながらも、すべて点と点を結び合わせるかのようにリンクされていて、そのことを証明してくれてるかのようでした

🕐時間を遡ってみます…
大晦日は家族と自宅で年越しそばを食べました
カウントダウンし、2024を家族揃って迎えることできました
元旦の朝はいつもなら朝寝坊してのんびり過ごすのですが、今年はとても慌ただしく、早朝からお雑煮やお年玉を用意して、家族それぞれのスタンスでプライベートを過ごしました
お正月であっても、グレープは1日中予備校へ通うため(え?!そこまでするの?と思いつつ、本人の意思なので、悔いのないようやらせてみました)いつもとは違うお正月を過ごすことを、前もって家族で決めてたのです

友人との【新春 金沢への女旅】も、快く送り出してくれました
けれど、今回の地震で、私は家族へかなりの心配をかけてストレス与えてしまったと感じてます
特に受験生であるグレープにとっては、とても大事なときなのに…
ポニョも、帰宅以降、私を見失うまいとして私から離れようとしません。あとを追ってきてはトイレも眠るときまでもずっと私にベッタリ…今もです
自然災害であって、誰が悪いわけではないけれど、家族に心配かけてしまったことを、とても申し訳なく思ってしまう私がいます
帰宅したとき
『おかえりなさい、無事でよかった』 
優しくハグ交わしながら、みんなあたたかく迎え入れてくれた
家族だから当然といえば当然でしょうが、私は、我が家に戻ってきて、家族の顔をみて、張り詰めてたものがホッとゆるんだかのような…
その夜は疲れていたにも関わらず、ベッドのなかで涙が溢れてきて、なかなか寝つけませんでした
隣で寝てるライムに気づかれないようにしたつもりです。けれど、もしかしたら気づかれてて、気づかないふりをされてたかもしれません
帰れる家があるということのありがたさや、あたたかく迎えいれてくれる家族をしみじみ感じながら、このときにライムに抱いた気持ちや態度を、ただただ申し訳なく省みるとともに、自分がとても身勝手であったと恥じています 



年越しそばを食べてたときのこと
日本の友だちが
『はやっ、もう蕎麦食べてるの?』と驚いてました

年越しそばは年を越して除夜の鐘を聞きながら食べるというのです
我が家では、年越しそばは大晦日の夕食の一品として、他にこういった感じのおかずやおつまみを用意して食べてました
年越しそば
年を越してから食べるから年越しそばという?!
大晦日に食べるものなんじゃん?
Umm…ま、いっか(^ー^)
年越しそばにも、いろいろな風習があるのだと思いました
でも、果たして他の日本の方々は、いつ食べてるのだろう?と素朴な疑問うまれました

え?!そうか(^^;と驚きながらも、確かに頷ける部分あります
日本にいながら、こういった動画をみると、あらためて客観的な視点になれます
とてもまとを得てて、それぞれの特徴を表現してるモノマネだと思います
『NYにはD.Trumpが住んでいる』
子どもながらの鋭い指摘にたじたじ(;´∀`)笑
『NYはすべてホンモノ、LAはどれもニセモノ』
この表現もアメリカの子らしいかも(;´∀`)笑
ふと、私はニューヨーカーであっても、LAがどうこう…って、これまで感じたり口にしたことなかったことに気づきました
LAには親戚がいるために、よく訪れていました
町並みも人のカラーも価値観も、NYとは、またぜんぜん異なってて、その違いを私なりにいつも楽しんでただけで🤗
1日の時間が緩やかにのんびり流れてて、まったりとしたLAの空間は、NYにはない新鮮味を感じさせてくれます
確かに、ネズミの多いNYの町の汚さや、車が多くてすぐに渋滞しちゃうLAの道は、私も苦手
また、LAの人たちの話し方がスローテンポでどこか間の抜けたような感じであっても、私はそれはLA独特のクセ?訛り?と思ってる節があって
同じアメリカでも地域による訛りがひどくて伝わらないこともよくあることだから、あまり深く考えたこともなかったのです
NYにばかりいる人なら当然カルチャーショックを受けてしまうのでしょう
また逆に他州の方々がNYを訪れたとき、NYアクセントに触れてカルチャーショックを感じてしまうことも、大いにありえるかとも思われます
実際、私自身も英語ならNYアクセントが強く、とても早口なので、初対面の人にもすぐニューヨーカーだとわかってしまう。それでいて、日本語ではかなりスローテンポ。だからでしょうか、言葉についていうなら、NYもLAも『どっちもどっち』と思うのです

『ニューヨーカーは無愛想、イジワル、失礼な人』
ニューヨーカーの定評では自分ファーストといわれます
本来はポジティブな意味。けれど、時々ネガティブに捉えられ、高飛車、短気、横柄、つんけんしてて取っつきがたい、といったような評が全米であるのは知ってます
私が初めてそのことを知ったときは、とてもイヤでたまりませんでした
ただの偏見の塊だ!ネガティブな人が勝手に言ってるだけ!と、ひとり坑がってました
けれどよく考えてみたら、そういった定評があるということは、やはりそういった人が多いってこと?!…ですかね?
果たして私自身はどうなのだろう?…等身大の自分とじっくりと向き合ってみたのは、恥ずかしながらも、つい最近のことです

『NYは世界一の都市』と言ってる子どもたちもいますが、私も同感です
生まれ育った都市という贔屓目も当然あります
経済の中心でありながら、多様な価値観や世界観があって、洗練されて、いつだって世界から注目されてる都市だと思うからです
そんなNYがバックグラウンドであることで、私は、これまで生きてきたなか、少なからずとも自意識過剰になったこともあります
ただ、他人に対して故郷自慢をしたことは幾度もありますが、NYを鼻にかけたことはありません
私はそのつもりでも、他人からみて、鼻にかけてると感じてしまわれてたら、ごめんなさい
ただ、顔も名前も知らない見ず知らずの人や1度も絡んだこともない方々から『アメリカ人は~』『ニューヨーカーは~』と括られたり、物申されて、そのあとに続くのが、ポジティブなことならいいけれど、ネガティブな内容だったら、いい気持ちはしないからです
これまでここAmebaにおいて、実際そういった場面を幾度か目撃したり、私も幾度となく、つい感情が先立って荒々しくなってしまうことありました
けれど、相手に対して個人攻撃したら、結局は私自身も、顔も名前も知らない見ず知らずの人を不快にさせたり傷つけてしまうことに繋がってしまう…
それは私の本意ではありません

ただ最近ようやく気づかされたこと
心しておくべきこととして、日本にいれば私や私の家族は、どうしても『外国人』『アメリカ人』といった目でもってみられます
そのため、自身の発言や言動においては、ネイティブ(日本人)以上に気をつかわなくてはいけなくて、日本にいながらそれを窮屈に感じてしまってるうちは、まだまだ自身のキャパの狭さを物語っている証であると。
そのように、謙虚に認識せざるをえないということを最近になって省みたばかりです
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            『NYは、誰もが住みたがってる都市』といってる女の子もいます
果たしてどうなのでしょう?!私もわかりません(^^;
リーズナブルで温暖でのんびりしたLAがいいと思う人、物価は高くても躍動感あふれる颯爽としたオシャレなNYがいいと思う人、どっちもイヤで他州や他国がいいと思う人…
人の数だけその好みやニーズはまちまちだと思うからです

そういえば、かつて、こんなことありました
ライムとふたりLAの店で買い物をしたとき、会計を済ませた彼に、定員の女性はこう言ったのです
『あなたのルックス、まるでLAの太陽みたいに眩しいわ!瞳もLAの海みたいで素敵!ねぇ、私、あと2時間で仕事が終わるの。よかったらご一緒しません?』
⚠️英語なので、どうしても大袈裟な表現です。アメリカにおいては日常茶飯事なことでもありますが…
( ̄□||||!!カチーン
『悪いけど、私たち2時間も待てませんの』
ぶっきらぼうにそこに首を突っ込んで横やりした当時の私は、相当な無愛想でイジワルであったかと思われます
このとき私はヤキモチ妬いてしまったのです
ライムは隣で苦笑してましたが。
今、思うことは『お誘いありがとう』とまずきちんとお礼告げるべきだったと。それができなかった当時の私は、初対面で名前も知らないこのLAの彼女に対して感情の赴くまま噛みついた、とても失礼なレディだったかと。

ライムからもよく叱られてることだけに、これにおいてはきちんと改善させていくよう努めます

私がタイムアウト中だったときのこと
仕事先で接した英語ネイティブであるアメリカ人のことを、自分の英語でひどく不快にさせ怒らせてしまったと落ち込みながら、私に相談をしてきた友人がいました
当然、その場に居合わせたわけではない私は、シチュエーションもわかりません。双方の話に耳を傾けないままトラブルの話に首を突っ込むような真似をしたら…またライムに叱られてしまうかも?!
けれど、それも覚悟のもと、彼女の話を聞かせてもらうことにしました
なぜなら、なんとなく当時の私と同じ思いを抱えてるような気がして、放っておけなかったからです
話を聞いてみると…
会社に訪れたアメリカ人に『あなたはどちらにお勤めですか?』とたずねようと"Who are you ?"と言ったら、相手がひどく怒ってしまったとのこと
え?!あ、やってしまったか!と思いながら
🍋『Who are you with?なら、よかったのに、withをうっかりつけ忘れちゃったのね(^^;』
と宥めましたら
👩『え?それじゃ、誰と一緒ですか?という意味になるじゃん』と。
🍋『y?(σ´・v・`*)』
私はとても驚きましたが、彼女は誤解(混乱?錯乱?)していたようです
ご存知の方々も多いかと思われますが、Who are you with?は、誰と一緒ですか?という意味ではありません
誰と一緒ですか?はWho did you come with?です
Who are you?は、Who do you think are you?の短縮なので、とても失礼な表現となってしまう
『あんた誰?』または『生意気!何様のつもり?』といったニュアンスです
威嚇したような印象を、彼女は相手のアメリカ人に与えてしまったわけです
英語の表現は、シチュエーションによっても変わりますが、いくつかの言い回しがあって、そのつかいかたによって、言葉のもつニュアンスやイメージは大きく変わってきます
そこで、私はこの場合は"And you're with…?"といった言い出しをすれば、たとえ相手が初対面であっても、すでに面識ある人であっても、すべてのケースに対応できることを彼女へアドバイスしました
シチュエーションも、
電話の相手に対しては、Who is speakng?や、Who's calling?や、Who is this? etlc…
ドアをノックする相手に対しては、Who's there?やWho is it? etc…

友だちのトラブルは、些細な彼女の思い過ごしからの英語のミステイクであり、言葉の怪?で、きっと彼女だけではなく、多くの英語圏でない環境で育った人々が似たような経験を積まれているのではないでしょうか

現に、かつてこんなこともありました
ポニョを妊娠中のときに電車のなかで、3人の高校生の男の子たちが
"Please sit down"
大きなお腹をした私をみて、そう言って席を譲ってくれたのです
私はその場で彼らの優しい気持ちが理解出来たのでお礼を伝えました
けれど、このフレーズは、英語ネイティブからすると強制的に『着席!』と座るよう強要するもの、
先生が生徒に『座りなさい』とか『席に着きなさい』といった命令のニュアンスです
多くの日本人は学校で"Please"をつければ丁寧な英語表現と教えられますよね?けれど、逆にPleaseがあるためにかえって失礼となるケースもあります
日本にいるアメリカ人には、日本の英語授業の事情を知ってる英語ネイティブばかりではありませんから、当然、思いがけず、不快感を抱かせてしまう結果をもたらしてしまうこともあるでしょう
私は余計なお節介かと思ったけれど、このとき彼らにお礼を告げながら
『ありがとうございます。あなたたちの優しい気持ちはとてもうれしいです。でも、Please sit downではなくて、If you'd like, please have a seat. と言ったほうがいいのです』とお伝えしました
すると、彼らは一瞬キョトンとしながら
『え?なんですか?』
『もいっかい、言ってくれます?』
『あ、ここに書いてくれますか?』
ひとりの子がバッグからメモを取り出しました
私はそのメモに書いて
『これだったら、たとえ相手が誰であっても失礼にあたりません(^^;』
電車のなかで、初対面の日本の若い青年たちと交わしたこのやりとりは、わずか10分足らず。たんなる私の自己満足、思い過ごしに過ぎませんが、とても心地よいひとときでした

言葉の失敗について、ちょこっと英会話でも、これまで幾度か伝えてきたことですが、失敗経験を積みながら、誰しも精進していけるものと思ってます
むしろ、失敗なくして精進などありえない
だから失敗を恐れないで!とお伝えしながらも、私自身も噛み締めています
なぜなら、こんな偉そうに言ってる私も日本語の使い方や表現がまだまだ未熟であるがために、誤解をしたり、誤解を与えたり、思い過ごしなどで大変な失礼を犯してしまったり、不快感を与えてしまうようなことが、いまだに生じてしまうからです 
それも、情けないことに、あとから気づかされることもあるため、気づかないうちに自らの言動で人を傷つけてしまっていた!なんてこともあったのでは?とふりかえりながら省みています 
そう伝えると、彼女は頷きながら 
👩『ありがとう!そっか…そうよね!私も、めげずにがんばるわ』
そう応えてくれました
🍋『私も日本語もっとがんばる!お互いにがんばろo(`^´*)エイエイオー』
そう約束を交わしたのです
また怒られちゃうかも?!…と心配したライムからの叱責も当然なく、取り越し苦労でした(^^;


ZEPETOであったことです
私自身のblogのなかでニャン太さんへ宛てたコメントです

↓↓その一部を抜粋します





↑↑
子どもたちの同級生に、朝起きれずに不登校となって苦しんでいた子どもたちが、とても多かったことを、つい思い出しました
ZEPETOを始める前に、私が躊躇った思いも…

🍇『本当は彼女はね、学校が大好きなんだよ』
私は放っておけず、ついひとり熱くヒートアップしてしまった
また、このLIVERによってパワハラめいた発言をされたといった内容のDMを受け取ったときには、私ひとりでは、どう対処していいかわからずに、つい無断でそのDMをblogに載せて公開してしまったのです

当然、ライムからもかなりきつく叱られました
♠️『その場にれもんがいたわけではないのに?なぜ、きちんと双方から話を聞こうとしない?なぜ、一方からのDMを読んだだけでそれを鵜呑みにして、すべてを解釈しちゃうんだ?』
って。
ライムは、他人の話には丁寧に耳を傾けますが、基本は自分がみたもの感じたことを信じる人です
公平でないことや、誰かからなにかを聞いたことで第三者が、~ではないか?と勝手な憶測を抱いたり、無責任に発信するような行為を嫌います
だから、このとき私はものすごく叱られました
たぶん、これまで彼と一緒にいて、こんなにも怒ったライムをみたのは初めてかもしれません
かつて兄からも無断で載せてしまった行為を叱られておきながら再び犯したこと 
結果、その方のことを深く傷つけてしまったこと
また周りの他のみなさんに対しても、お騒がせし、ご迷惑かけてしまったことなど…
妻として、そんな私を許せなかったのだと。

Bloggerさんのなかにも、きちんとガツンと叱ってくださった方々がいました
これまでSNSのなかで初めての経験でありました
それだけにとても驚き、私にとって衝撃的でした
面と向かって顔の表情がわかるライムやリア友とはまた違い、バーチャルの環境では、とても言いずらかったことであったかと思われます
それだけにぐっと胸に突くものがありましたが、きちんと伝えていただけたおかげで、気づけて、省みることできました
ご迷惑かけたことを大変申し訳なく思うとともに、ガツンと叱っていただけたことに対して、私もライムもとても感謝をしています
 
ライムが仰有るとおり
『アメリカでならNGでも日本ではOKAYなこと』
『日本でならNGでもアメリカではOKAYなこと』
このようなケースは、山ほどあります
国法だけでなく州法が絡めば実にもっとたくさんで、何もできなくなりそうなほど。
そんななか、いまだに私は日本にいながらカルチャーショックを感じてがんじがらめになってしまいそうな時があります
アメリカにいるとなぜか不思議と感じません
それは今、私が日本での生活を繰り広げているなか、たまに帰れる遠くの故郷を恋しく思う気持ちや、アメリカ生活が長いからしっくりくる感触や、私の日本語表現の未熟さなど…どれも一理あるかとは思いますが、それだけではなく、ただ私が成熟しきれてない証です
なぜなら、ライムはカルチャーショック受けることはあっても、どこにいようとタフで、私よりもずっと大人であるからです
価値観はひとつじゃなくて、世の中にはたくさんの価値観が存在します。だからたったひとつだけの価値観に固執してしまいたくはないし、してしまってはならないと考えてます
私たちは共に、そうあるようにと両親からしつけられてきて、育ち、ずっとそのように生きてきたつもりですが、情けないことに、私は自分のなかの物差しで以て物事をみてしまうときが時々あります
そうなると、自らの視野だけでなくキャパをも狭めてしまうのです
現にそのような狭いキャパであるときに発した私の日本語は見苦しいものと化して、本来の意とは異なる表現のニュアンスになってしまっていると、ライムから指摘をされました 
言葉は難しいとはよく言ったもので、受け取り方は人それぞれに異なりながらも、本来はそういったものなのかもしれません
友だちの相談を受けてみて、我が身をふりかえってみながらも、感じたことです

リアルでの関係なら、顔の表情が伴うため、それを容易く見抜くことは可能であったでしょうが、バーチャルでは文字を頼りに繰り広げられてる世界…
『母語でないからやむを得ない』と言ってしまえば、それまでですが、そういった言い訳めいたことを、私は口にしたくありません
すべてリスク抜きにして、同じ土俵でありたいと思うのです
じゃなければ、みんなで楽しめるものでも楽しめなくなってしまいます
言葉はいくら習得しても、つかわずにいたら錆びてしまうものであります 
ただ、たとえ言葉や文化の壁があったとして、風習や考え方が異なっていたとしても【もし自分が相手の立場だったら?】と思いやれたり、互いに尊重しあえたなら、決して何も難しいことではないと、ライムも私も思っています

人の出会いも必然であるといいます
出会うべきときに出会いが訪れるのかもしれません

誕生日を目前としてた頃に、ZEPETOで目から鱗が落ちるような出会いがありました

『私も深夜LIVEをやります。ただ私の深夜LIVEは大人が楽しむためのもの。だから、よい子のみんなは大人になってから来てね!』

他LIVERのスタンスを決して悪く批判することなく、ただ自分のモットーだけをスマートに主張して、そのポリシーを貫こうとしてらっしゃる
そんな日本人LIVERとの素敵な出会いは、いつも親しくさせていただいてるLIVER介してでした
そんな彼女のLIVEやpostを拝見したとき、このような姿勢を私も見習いたいと感じました

『れもんはライムでないとダメな女性、ライムはれもんでないとダメな男性』
かつて、私ったらこのようなことを口にしたことあります
セーリー(姑)の言葉なのですが、これまで私はライムが私を妻として選んでくれたことに、かなり有頂天になってたところがあります
けれど、今の私と彼とではアンバランス
とても釣り合わない夫婦
私にとって彼はもったいなさすぎる
くやしいけれど、隣にいても、見つめあっていても、そう感じてしまうのです
私たちは、それぞれ母の胎内にいたころからの知り合い?です
いつも一緒に過ごしてきたわけじゃなく、遠く離れたときもありました
つかず離れずの、そんな幼なじみ同士である私たちが、互いに結婚を決意したとき、これからは夫婦として共に成長し歩んでいくことを、ふたりで神の前で誓ったはず…

せめて私は彼と釣り合うような妻でありたいと思うのです
そのためには、自身を向上させ高めなきゃならないのです

私が少しずつでも変われることで、再び釣り合った夫婦に戻れるはず…
そして、これまでに不快な思いを与えてしまったり、傷つけてしまった方々への償いにも変えられるはず…

前回のblogをUPしたあと、年越し間際に、久しぶりにblogを徘徊してたとき、(まだすべて徘徊しきれてなく、すみません)多くの方々が、これから迎える2024の抱負をblogに掲げていました
『毎日、感謝する』『夫に優しくする』『有言実行』『もっと本を読んだり、写真をとったり、コロナ渦で叶えられなかった旅行したり、プライベートを充実させたい』などなど…
きちんとこうやってblogに示して、みなさんに宣誓することで、あとには引けない意気込みも加わりますね(^^;

漠然と『自分を変える』と綴った私ですが、私らしさを変えるつもりはなくて、自身を向上させていくつもりです🤗
生まれもった個性を変えるなんてムリなことは望んではいません
まずは、日本語スキルの精進を目指します
ここAmebaで、他人に誤解与えてしまったり、自分が誤解してしまったり、勝手にヒートアッフしたりしてお騒がせしてしまったり…を再び繰り返すことないよう
またブロ友さんたちに余計な心配かけてしまうことないよう
今こうして日本に滞在してるからこそ出来ることから始めたいと考えています

ヘンテコな日本語表現だったら、どうか教えてください
N-wordやいけない言葉、また不快に感じたとか、見苦しい表現などがあったら、都度、あらためていきたいので遠慮なさらずにどんどん教えてください 
m(_ _)m


【新春 金沢への女旅】は、震災に見舞われてしまいましたが、私にとってはかけがえのない経験として刻まれてます
とても大切なことを私に気づかせてくれた旅であったと思っています
再びまた金沢を訪れたいと思えるから…
蕾だったカランコエの花がひらきました🌸
何色が咲くのかと楽しみにしてたら、オレンジ色でした
ささやかながらも、いつも私のblogへ寄ってくださるみなさまと、これからも喜怒哀楽を共有しながらも、優しさや笑顔を提供できますように…
けなげに励みながら、自分を高めていきます🌱

2024
私はそんな1年にしようと思っています😊

変わっていく私の姿をどうか見ていてください


TINAさん、うさぎくん、kumakunさん、前blogへのコメントをありがとうございます
お返事がすっかり遅れてしまいましたが、どうか首を長くして待っててください🦒
またみなさまのblogへも、のちほど順次おじゃまさせていただきます