ピラティスのエルダーであり、指導者であるキャスリーン(キャシー)・グラントが5月27日、お亡くなりになりました。
日本ではキャシー・グラントと言ってもあまり知られていないかもしれませんが、ピラティス氏の直弟子として、偉大な指導者として、現役で教え続け、世界中で数々の人が彼女の教えを受けました。ピラティス界では神様といっても過言ではない方です。
五十嵐祐子先生はこの数年彼女のレッスンをとり指導を受け、近年はカンファレンス等でアシスタントもするほどの師弟関係を築いていらっしゃいました。先生の心中いかばかりかと思うと胸が痛みます。
PMAのパブリックポリシー・アドバイザーであり現在はPeak Pilatesのディレクターであるケヴィン・ボウエン氏がキャシーについてコメントを寄せています。
http://www.peakpilates.com/peak-pilates-home/kathy-grant.asp
リンク先は英語です。キャシーの元気な頃の写真が見出しになっています。
急ぎのつたない翻訳で恐縮ですが、ぜひ皆さんに読んで頂きたく日本語にしました。皆さんに感想を聞かせていただきたいです。
キャスリーン・スタンフォード・グラント
1921年8月1日-2010年5月27日
深い尊敬と敬意、そして愛をこめて、われわれピークピラティスはキャスリーン(キャシー)・スタンフォード・グラントのことを記憶しています。彼女のダンス、ムーブメント、そしてピラティス界への多大な貢献は彼女が行ってしまった今、本当に思い知らされます。
キャシーは、ボストン・コンサバトリー・オブ・ミュージックで学んだ元ダンサーで、そのバックグラウンドはブロードウェイやオフ・ブロードウェイ、テレビ番組、インダストリアル、ツアーカンパニー、そしてアメリカのみならずヨーロッパや南アメリカ、アフリカや中東でのコンサートステージをも含んでいます。キャシーは有名なニューヨークのザンジバルクラブでコーラスガールとして働きました。彼女はドナルド・マッケイル、ウォルター・ニックス、アーサー・ミッチェル、マイケル・スムイン アシスタント・コレオグラファーをつとめ、クロード・マーチャント・ダンスカンパニーの共同監督経営者として貢献しました。長年のキャリアの中で、彼女はメリー・ヒンクソン、カルメン・デ・ラバラーデ、マリー・アンソニー、ドナルド・マッケイル、ポール・テイラー、ジョフリー・ホルダー、ビル・ロビンソン、ホニ・コールズ、キャブ・キャロウェイ、パール・ベイリー、他多くの方と共演してきました。また彼女は映画『コットン・クラブ』の振付けを手伝い、アーサー・ミッチェルやザ・ダンスシアター・オブ・ハーレム非常に密接に活動。全米芸術基金ニューヨーク州芸術審議会、デラコルテ劇場、そしてダンス・ブラックアメリカのダンス・パネリストとして貢献しました。
おそらくキャシーはジョセフ・ピラティスの生徒、弟子として最も知られているでしょう。彼女はニューヨーク州立大学の後援を受けたプログラムである社会復帰リハビリテーション専攻において、ピラティス氏から実際に資格を与えられたたった2名のうちのひとりです。キャシーは1957年にピラティスティーチャーとなり、ニューヨーク市内の56丁目にあるキャローラ・トリエーのスタジオで働きました。のちに、ピラティス氏の要請により彼女はニューヨーク市にあるヘンリベンデル・デパートにあるピラティススタジオを引き継ぎ、そこで長年にわたって教えました。
1988年に、キャシーは現在のニューヨーク大学ティッシュスクール・オブ・アーツのスタジオに移りました。晩年は健康上の多くの問題がありましたが、彼女は常に回復して仕事を続け、ティッシュスクールで働くためにブルックリンからマンハッタンまで電車に乗りました、彼女が最も全力を注いだこと―教えのために。
キャシーは毎年ティッシュスクールに訪れる新たな生徒の面々にダンス部門での1年間にわたるピラティスコースを教え、その豊かな知識を共有しました。彼女は厳しい教師として知られ、特に、ピラティスメソッドや彼女がピラティス氏から学んだことに関連しているムーブメントの微妙な差異については、完璧主義者でした。私は幸運なことに、ピラティスメソッドアライアンスのカンファレンスのみならず、電話や個人的な付き合い、食事を共にし、何度か特別にプライベートレッスンをしてもらうなどしてキャシーと共に時間を過ごすことができました。私はキャシーとの1時間のレッスンで、自分の体と自分の動きの問題について、それまでの人生をかけて学んできたよりも多くのことを学びました。
キャシーはフロリダ州マイアミで行われた第二回PMAカンファレンスの数ヶ月前に、股関節の傷害を抱えていました。彼女はカンファレンスに参加することを快く思っておらず、心から取り止めたいと思っていました。私は彼女にどうかおいで頂きたいと懇願し、彼女の旅が苦にならないように、われわれはどんなことでもするつもりでした。彼女はしぶしぶ承諾し、ブロッサム・クロフォードがキャシーを空港まで連れて行き、共にマイアミまで飛んできました。キャシーとブロッサムは木曜の夕方、開会式の直前に到着し、遅れて入ってきました。ブロッサムがキャシーをマイアミ川べりの木のふもとにあるベンチに案内したので、私はそこまで行って微笑みながら彼女の隣に座り、ジョークのつもりで「あなたをにここま連れてきた私のこと、本当に大嫌いなんでしょうね。」と言いました。すると彼女は私をしかめっ面でにらみつけ、「そうね、大嫌い」と言ってそっぽを向き、その晩はその後相手にしてくれませんでした。
カンファレンスの最終日、閉会式を行っている最中に、彼女は最前列に座って私に向かって、手招きをしました。私が手にマイクを持って彼女のところへ行くと、彼女は私の腕を掴んで席から立ち上がり、私の手からマイクをとりあげはじめました。彼女は、300人の聴衆にむけて言いました。彼女をここに連れて来させた私のことを大嫌い。本調子でなく気が進まないから来たくなかったと。でも、来てとてもよかった。なぜなら、カンファレンスの一瞬一瞬を本当に楽しんだから、と。
キャシーは、心を開いて聞き入れ、また感じ取って成長しようとする人とはどんな人とでも彼女の知識を喜んで共有しました。長い年月にわたり、キャシーに学んた人は大勢います。それらの男女は、ピラティスメソッドだけでなく、体を動かすということの真のマスターから学ぶという特権・恩恵を受けてきました。彼らは自分自身の力ですばらしいピラティスティーチャーやムーブメントティーチャーへとなっていきました。そうしたキャシーが教えや導き、英知によって関わった世界中の数え切れない人々が、その立ち止まろうとしなかった女性のことを懐かしく思うことでしょう。
ケヴィン・ボウエン(エデュケーションディレクター)
御冥福をお祈りします