前回書いた ”ハイヤーセルフ” の情報を取って、電話相談にのっていただいたお話です。
母が旅立ってから四十九日ぐらいまでは、
母の最期に着ていたパジャマを枕元に置いて抱きかかえて眠ったり、
母の闘病中の動画や写真を見たりして、毎日辛く苦しく大泣きをして常にどんよりしながらも、
周りの友人達も気にかけてくれ、まぁなんとかやり過ごした。
でも、四十九日を過ぎてからは、”泣いてはいけない” ”悲しみにふけててはいけない”と心がけていたら、大泣きをする頻度は減ったけど、心身に不調が出てきた。
そして、従姉妹の人達からももちろん連絡が無くなり、
多数の友人からも、【もう大丈夫そうやね】って思われる事がまた苦しく、
母の事を話せなくなり、母がこの世に居ないと実感する度に苦しくなって、
できるだけそれを忘れようと、動いている可愛い母の動画を見たいけど、見れない・・・
母の居ない現実を突きつけられる。
この先独りで生きていけるんやろうか。
母は今楽になれたんやろうか。
何年も前から口では”死にたい”と言っていたけど、本当やったんかな。
私が跡を追うのを望んでいるんじゃないか。
父が母の事を急に気にしだしたって事は、もしかしたら母が伝えて欲しいんじゃないか。
そんな色々が常にモヤモヤモヤモヤとしんどかった。
特に、父に母が旅立った事を伝えた方が良いのでは
それが一番日々悩んでいた。
それをハイヤーセルフ情報を取ってもらって相談にのってもらった。
結果、
初っ端に、
母は今ちゃんと成仏していて、今は常に3人で行動をしているとの事だった。
めちゃめちゃしっくりきて、びっくりして、なんか嬉しくて笑けてしまった。
確実に、母が、ずっと言っていた、”おとー” と、”おかー” と一緒に居れてるんやな~って。
”おとー” は、母のお父さんでなく、お兄さんで、 ”おかー” は、そのお兄さんのお嫁さん。
小さい頃にお母さんを亡くしている母は、結婚するまで一緒に住んでいた父親代わりのお兄さんを一番頼り、生前よく、
【早く”おとー” 迎えにきてー】 と泣いていた。
そして、男兄弟で育ってきた母に、初めて女性の家族ができたのが、お兄さんのお嫁さんの”おかー”。
母は、その”おかー”と出逢い、初めて、女の子らしい服を着せてもらったりしたらしく、私もlその”おかー”がいつも私の母を心配しているのをよく聞いていてお世話になった。
良かった。
私が思っているよりも、母はもう既に次の世界で次に向かって頑張っているんやなって思った。
それと、色々他にも教えてもらった。
まだ続きます。。。。。