水曜日に主治医から、年を越すのは難しい。。。と話を聞き、
その晩に母が、泣きながら 【紙と鉛筆を持ってきて欲しい】と訴えてきて、
胸が本当に痛くなるぐらい、苦しかった。
翌日、スケッチブックと鉛筆を持って行き、一緒に字を書いてみた。
その時、ちょっとカワイイ出来事があった
母は家でもよく、母、私、父の名前、実家の住所、私の家の住所等を書く練習をしていた。
右手が悪くなってしまってから、私の知らないところで、一生懸命字を書く練習をしていた。
なので、大きな字でお手本を書いてあげて、それを真似て練習するかな?と思って、
にょろ 『おかーちゃん、ここに”お手本”書いておこか』
すると、キョトンした顔で、
母 『んっ ”ポケモン” 』
っていうか・・・・・おかーちゃん”ポケモン”知ってるのんすごいなぁ
私は、母のそういうお茶目なとこが、本当に大好き。
わざと、笑かそー思ってるみたいな、たまに出てくるオモロイ言動。
そして、そんなやり取りをした翌日の金曜日、
いつもはお昼から病室へ行くけど、昨晩の母の様子も気になり、
出勤してすぐに、こっそりと仕事前に母の病室へ行った。
すると看護師さんが病室におられて、
『娘さん来てくれたよー 良かったねー。』
母:
『あんたどこおったん やっと来てくれた。 おかーちゃん帰るわ。』
『あんた迎えに来てくれたん』
にょろ 『えっ おかーちゃん帰らんよ。 この前家に帰ってたやろ』
母 『えっ 知らん。』
そう。
病院へ戻って、5日目で早速せん妄が出てきてしまった。
そこから母は、自分の命が残り少ない事も、わからなくなった。
だから、私に恩返ししなければって想いや、私が一人になった時の心配や、恩返ししたいのに何もできない母の苦痛が、母の中から遠ざかった。
もちろん、根本にはある想いやとは思うけど、
今の現実、状況が混乱していて、わからなくなってしまった。
これは、母の苦痛を排除できて喜ぶべきなのか。
私の切ない胸が痛くなる事が無くなって喜ぶべきなのか。
毎日母が私を見て泣きだす事が無くなって喜ぶべきなのか。。。。。。。
いや、
そんな苦しみが無くなっても、
自分はいつまでこうしているのか?
早く家に帰りたい、一度でもいいから家に帰りたい想いで押しつぶされそうになっている母を見るのが私も辛い。
一時帰宅した時に、あんなに沢山の人達に会えて、皆に色々してもらって、私と一緒に眠った事、私が伝えた感謝の言葉を忘れてしまったのかと思うと。。。。。。
悲しい。
寂しい。
でも、母の流す涙の量は、せん妄になった方が減っている。
じゃぁ、こっちの方がやっぱり母にとってはいいのか。。。。。