こんにちは。
いつも、読んでいただきありがとうございます🙇‍♀️

前回の記事を、ブラウンさんがリブログしてくださいました。
素敵な文章を添えてくださっています。

ありがとうございました🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️



これは大変感激したできごとなのですが、皆さんからの共感を得にくいかと思い、今まで記事にしていませんでした。

それを、書き留めようと思うきっかけになったのは、chamamaさんの記事です。

こちらは、本当にひどい話です。
このような虐待事件が、後を断ちません。

「悪い人を罰する」というだけでは解決しないこの問題。

本当の人の幸せについて、みんなで考える時がきているのではないでしょうか。









怒りに震えて、最後まで読めないくらいでした。
chamamaさん、実はこんな経験をされています。








スクールバス内で、生徒を毎日縛りあげる⁉️
これについて、学校側と話し合いを重ねていたchamamaさんに対して、なんとPTAの役員さんからこんな風に言われたのだそう。


リブログ記事より引用

「私たちは 手のかかる大変な子を
受け入れてもらってるの❗

それに感謝しても
学校を追求するようなことを
してはいけない❗」



「あなたのやろうとしていることは
あの学校に通う子供たちの 通学方法を
奪ってしまうかもしれないことを よく考えて!」


再発防止の内容について話し合っていて
そんなに面倒くさいことを言うなら
バスを廃止にしようって言われたら困るの?

「そうよ! もし そういう事になったら
あなた一人で責任取れるの?」





前にも書きましたが、障害者施設、支援学校や支援学級まで及ぶ虐待事件。

表面に出てくるのは、氷山の一角と言われています。


本来であれば、障害があってもなくてもひとりの人間として、人権は守られるべきもの。

でも、実際には障害ある人の人権なんて、誰も守ってはくれない。

悲しいことに、現実問題

子どもの人権を守れるのは、親しかいない。

だから、誰しも障害ある子の親は、子より1日でも長く生きたい、と望むわけです。

その最後の頼みの綱ともいえる親が、


「手のかかる子を預かってもらっているのだから、追求するようなことはしてはいけない‼️」

なんて言って、我が子への虐待に目をつぶっていては、

親自ら、自分の大切な子の人権を否定しているようなものではありませんか。

大概、今まで学校で問題が起こると、人員不足のせいにされたり、子どものせいにされたりしてきました。

特に。自分たちの責任逃れのために、子どもに責任をなすりつける卑怯な行為。これが許せない。

虐待とまではいかないまでも、先生の間違いを、子どものせいにされたことは何回もありました。言葉も話せない子どもに責任をなすりつけるなんて、人としてあり得ない。

chamamaさんのケースでも、どうして息子さんがスクールバスで縛りあげられていたのか質問した時に、

お友だちを叩いてひどかったから。

と言われたそうです。
人を叩くことなんてしない、いやできない性格なのに。

同乗していた生徒さんが、彼は毎日縛られている、と証言したそうです。もし、他害が本当であれば、その前に、その他害についてその生徒さんは触れるのではないでしょうか。




それに。

PTAは、子どもの人権を守るための場所であってほしい。

本来、学校の予算を補填するためのバザーや、人員不足のための先生のお手伝いのためにある組織ではないでしょう⁉️



お姉ちゃんの担任の先生に、下の子が支援級に入ってくることをお伝えした時、いい話を聞かせていただきました。

先生が前に赴任していた学校で、新しく支援級を作る時。その時の校長先生が、

「支援の必要な子こそ、学校の真ん中にいなければならない」

といって、普通級の近くに教室を作ったそうです。それを、うれしそうに話されていたのが印象的でした。

支援級を大事にしてくれる先生は、すべての子を大事にしてくれる先生。

これを広く社会にあてはめれば。

障害ある人を大事にする社会は、
すべての人に温かい社会。

そう思えば、虐待事件に異を唱えることは、すべての人の人権につながっていくわけです。


自分さえ我慢すれば丸く収まる

からといって、みんながだまってしまえば、それは、誰も幸せになれない未来にしかつながらないと思うのです。


いつかは誰もがどこかでマイノリティ

の立場に立つのです。

マイノリティの立場に立つことになった人間の1人として、次にまたマイノリティの立場に立つ人のために、何ができるのか。

命ある限り考え続けていきたいと、私は思っています。