初エジプトは、やはりギザの三大ピラミッド見学!
そこでピクニックに来ていたエジプト人ファミリーと知り合うことに ・ ・ ・ 。
縄跳びをしていたのですが「縄」は洗濯物干し用と思われるビニールのヒモと電気コード!
わたしも縄跳びに加わり、得意な二重飛びも見せたのですが、
20才前後と思われる男子 2 人にも
二重飛びを真似するのですが難しかったようでできません。
彼らが持参していたラジカセの音楽に合わせて、ピラミッドの前で皆と一緒にダンス♪
踊っている時に日本人観光客と思われる団体を乗せた大きなバスが
目の前をゆっくりと通って行ったのですが、あのダンスとひどい日焼け顔では、
誰もわたしを日本人だとは思わなかったでしょう(笑)
サンドイッチも分けてくれたのでいただきました。 具はハムだったような記憶。
帰る時ファミリーの中の 4 才くらいの女の子のママが、
ジャムの缶をポーンと投げ捨てたのを見て、ゴミを投げ捨ててはいけないでしょ!
と思いましたが、エジプト人式かもとも思ったり!?
ピラミッドを後にする時、彼等に手をつながれている外国人のわたしを警察官が見つけ、
笛を大きく吹いて呼び止めて彼らとの関係をわたしに質問してきました。
誘拐されているのだと思ったようです。
ファミリーの若い男の子達は誘拐犯に思われて気を悪くしたようで
「馬鹿ヤロー! なワケねぇだろーっ!」 ← (アラビア語なので勝手な自分の想像)
と立ち去る時に警察官に向かい口々に叫んでいました。
それからカイロ近くのアルギーザの彼らの家に一緒に向かうことに。
移動中は種をポリポリ食べていて、わたしにもくれて食べたのですが変な味だったので
困った表情をして見せたら、種の中身だけを食べるのだと ・ ・ ・ な~るほど!
移動の乗り物は 2 ~ 3 回乗り換えたのですが、
外国人観光客は乗らないと思われる鮨詰め状態でドアを開けたまま走るバンや、
軽トラの荷台に簡素な座席用板が取り付けてあるようなもの!
他の乗客がいくら支払っているのだろうと思い手にしているお札を見たのですが、
お札はどれも古く黒くなっていてボロボロ!
しかもサイズが小さいのでさっぱりわからない!
彼らの住まいの周辺は道路が舗装されていなく、
牛などがあちこちを歩いていてフンをよけながら歩くのがすごく大変!
観光地の写真よりそういう写真の方が興味深いので撮ろうとしたのですが、
ダメだと言われました。
その後も何度か一般市民の様子を撮ろうとしたのですが同じように止められたので
理由を尋ねたら Because, Egypt = なぜならばエジプト ・ ・ ・
ほとんど英語がわからない人達だったので、その後も何度か耳にした Because, Egypt。
家に着いたら大人数で、金曜日の休日で遠くの親戚も集まっている様子でした。
2 階のリビングに案内されたら、お母さんに二重飛びを見せてあげてと言われたので、
リビング横のテラスで二重飛びを披露 ・ ・ ・ 不思議な気分。
家の中を」案内してくれ、2 階はリビングの他、複数の寝室とキッチン、トイレ。
3 階にはパン焼き釜がありました。
1 階はお父さんの仕事場で、装飾を施した家具を作る工房。
その仕事場の片隅にはお父さんのお手製と思われるブランコもあり、
高校に通っている女の子が乗って笑顔で見せてくれました。
リビング横に水道の蛇口があったのですが、
手を洗う時はその隣に置いてあった大きなポリバケツに入った水をくんでくれました。
キッチンには入らなかったので、キッチンの蛇口から水が出ているかどうかは不明。
いかりや長さん似のお父さんのフルネームの最後は「ゴマ」だったので、
食卓の胡麻を「日本ではコレがゴマです」と説明すると皆にウケていました。
男子の履いていたソックスのつま先は破れていたし、
鏡台の前にあったクシの刃はいくつももげていました。
なぜかお母さんに着替えさせられ、
ピンク地に赤いクジャクの刺繍が入った民族衣装になり、
頭にもボンボン付きのスカーフを巻かれました。
家の中で何枚も写真を撮っていたらフィルムがなくなったので買いに行きたいと言うと、
外出用の黒くて長い民族衣装を着せられ、そのフードを被ったら魔女のような姿に!?
その姿で乗り物に乗り、フィルムを買いに連れて行ってくれた場所は写真館で
フィルムは Made in Sweden でした。
実はギザから移動の途中、ひょっとして盗賊一家だったら ・ ・ ・ などと思い、
かなり警戒はしてたのです。
でも何も盗られないどころか、移動の交通費も出してくれたり、食事もいただいたり、
着せ替えさせられた民族衣装とスカーフもおみやげとしていただいきました。
スカーフは少し破れていたので、お母さんが他のきれいなものと換えそうになったのですが、
わたしに巻いてくれたもので大丈夫ですと言ってそちらをいただきました。
おみやげをいただく前からとても楽しかったので、日本から何かお礼に送りたいと言うと
「トヨタカー、トランジスタラジオ」と答えるお母さん!
「えーーーっ!!!!」
少し恐くなり「自分はお金持ちではないし、何か他のものを・・・ 」と言いましたが、、、
高校生の女の子が英語の教科書を持ってきたりして会話をしていたのですが、
誰も質問の意味がよくわからなかったようです。
それでもう一度くどく説明するとやっと理解してくれたようで、
皆が口を揃えて「No~!何もいらない」と。
お父さんには「今度来る時はホテルでなくここに泊まりなさい」とも言っていただきました。
帰りはファミリーの中の男女 3 人がわたしが泊まっているホテルまで送ってくれたので、
何かお礼にあげたいと思い部屋に呼んだのですがホテルの建物の中には入りませんでした。
理由を聞くとまたもや Because, Egypt ・ ・ ・
相撲の柄の日本手ぬぐいを部屋に確か 2 つ持っていたのでそれを渡しホテルの前でお別れ。
お礼は帰国後に写真とプレゼントを送りました。
その後ファミリーの 1 人と文通を始め、7 年後にまたエジプトで再会。
彼は英語がわからなかったので代筆を頼んでいたのですが、
代筆をした知り合いのおじさん、代筆したおじさんの友人の子供の
10 才の女の子などからも文通の申し込みがあり、複数のエジプト人と文通を続け、
7年後にエジプトで実物対面した際に大変お世話になることになったのでした。