壊れてしまう人 | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕はいろんな人と関わっていますが、
なんとなく、「壊れてしまう人」のパターンがわかってきた気がします。

それは、

(1)「こうあるべき」が揺るぎない

(2)「こうあるべき」ではない人間を「こうあるべき」に矯正しようとする

(3)思うようにならない状況を、何かのせい(自分の生、誰かのせい)にする
という感じです。

(1)の、こうあるべきが揺るがない、というのは、素晴らしい事です。
しかし、それは、自分の人生の経験による判断です。
それは、ちがう人生を歩んだ人にとっては、必ずしも「正」ではありません。

僕は、子どもの自由と思考を奪わない方がいい、と思っています。
しかし、「そんなことをしたら、学校がばらばらになってしまう!」という先生も居ます。
どちらも、それぞれの経験からの判断です。

どちらかが正で、どちらかが誤、というものでもありません。

どちらを信じ、どういう生き方をするのかは、個人の自由です。

 

ただ、自分が信じることを情報として提供するのはありだけど、

自分が信じることを強要し、相手の意志を矯正して、従わせるのは危険だと思います。

CAPという、子ども達を暴力から予防するための活動では、
自分の安心と自信と自由が奪われる状況の時には、
(1)いやだ、と意志を表明していい。
(2)距離を置いてもいい
(3)相談してもいい
というように、行動の選択肢があることを伝えています。
その選択肢の中には、嫌な相手を攻撃して、相手の安心や自信や自由を奪う、
というものはありません。

自分の「こうあるべき」を人に理解してもらうことは悪くありません。
自分がなぜそう考えるようになったのか、を伝える事は、
相手にとっても学びになるでしょう。
でもそのときも注意が必要です。
それは、自分の立場です。
残念ながら日本では、ちょっと異常な年功序列の上下関係を学校の部活で教えてしまいます。
だから、後輩は先輩に対して服従するようにしつけられています。
ですから、先輩が後輩に自分の考え方を伝える行為は、
ともすると「こうするのが当たり前だからこうしろよ」になってしまう事があります。
それを防ぐためには、言葉や、口調や、表情などに、
ものすごく注意が必要です。
僕は、かなり気を付けるようにしています。

そして、最も注意すべきは、
自分の「こうあるべき」が揺るぎなくて、他人も「こうあるべき」と思い込んでる人は、

他人が「こうあるべき」行動をしてくれないことが耐えられないのです。
そのとき、

(1)「こうあるべき」をしてくれない他人を恨む。嫌う。見下す。

(2)他人をかえられない自分を恨む。嫌う。自分を否定する。
をしてしまうと、ものすごくこじれます。

それは、その人の周囲の人を苦しめるし、その人本人も苦しみます。
そして、その状況は改善することはありません。

だれも救われないです。

だから、せめて、

自分の「こうあるべき」は、自分の人生の経験に基づくものでしかないので、
それを他人に強要してはならない。情報として示すのはいい。
自分の「こうあるべき」をしてくれない人がいても、それはしょうがない。
その人が悪いわけでもない。
大事なことは、どうやったらお互いが力を発揮できるかを考える事だ。

と思って欲しいです。

残念ながら、僕たちは学校で「こうあるべき」を強要される生き方を学びます。
だから、「こうあるべき」を強要する生き方をしてしまうのかもしれません。

よかれと思って、他人の人生を変えようとして、他人も、そして自分も壊れていく人が、
結構沢山います。
それは、どっちも幸せになれない生き方です。
人間はみんな違います。
その個性を活かして、人の能力を発揮させて、その力をあわせる方が、

はるかに社会は豊かになっていきます。

 


※ここからのたとえ話は、サイボーグ009を知らないとわからないです。

たとえばね、サイボーグ009が、同僚の004に対して、
「きみね、武器は強いかもしれないけど、足遅すぎるんだよね・・・」
「みんな迷惑してるって、わかってるかなあ?」

「きみ、自分が足遅いってわかってる?」

「わかってるなら、なんで足を速くする努力をしないの?」
「いくらでも時間あるでしょ?練習すればいいじゃない?」
「そんなことでいいの?それじゃあいつまでたっても成長できないよ?」

と言ったとします。

でね。たとえば、サイボーグ004が、サイボーグ009に対して、
「お前さ。足速いのはわかるよ。でもさ、チームプレイだろ?」
「お前が勝手に走り回るから、みんな迷惑してるんだぞ。」
「なんでみんなにあわせて行動できないの?」
「そんなことでいいの?それじゃあ君のためにならないよ?」
と言ったとします。

これね、どっちも、「言ったもん勝ち」なんですよ。
そして、言ったところで、どうにもならないんですよ。
004の足を速くする努力よりも、重武装だけど足が遅い004の能力を
どうやったら発揮できるかを考えるべきです。
足が速い009が、敵を004の前におびき出したりすればいいだけじゃない。

自分と違うものを否定し、自分と同じにしようとする考え方。
これは、とても危険な考え方です。
突き詰めれば、民族浄化にまでつながる考え方だと思います。
この考え方が、同調圧力を生み出す要因になっていると思います。
そしてそれは、「ピラミッド型の教育システム」に起因している可能性が、
とっても高いと僕は思っています。

教育の目的は、「よい社会人」を作るためのはずなのに、
ストレッサーを増やしてる気がするのは、僕だけかな。

もうすこし、穏やかにお互いがお互いを尊重する生き方ができる社会に
なったらいいなあ、と、心から思います。