昔、オランダ語を勉強すると、出世できた時代があります。
そのときは、大勢が必死にオランダ語を学びます。
そのために、ものすごく高価な本を苦労して手に入れた人もいます。
オランダ語を教える先生もものすごく努力していました。
しかし、ペリー来航により、鎖国が揺るいだとたんに、
どうやらオランダ語は世界標準ではないらしい・・・になります。
それからは、英語が必要になりました。
そのとき、オランダ語を必死で学んでいた福沢諭吉は、
それが通用しないことを知って、衝撃を受けます。
オランダ語を教えていた先生達も、衝撃を受けます。
なかには、英語を否定したり、批判したりする人もいたそうです。
なかには、絶望して、先生を辞めてしまう人もいたそうです。
でも、福沢諭吉は、大急ぎで、オランダ語と英語の辞書を自分で作り、
英語を勉強していきます。
昔は、がんばって侍になろうとした人がいました。
有名な新撰組も、侍ではなかった人達も多く参加しています。
しかし、新撰組は、わずか数年しか活動できませんでした。
社会が変化して、侍という身分がなくなったからです。
そのとき、侍だった人達の中には、絶望して自ら死を選んだ人もいます。
幕藩体制がなくなっても、侍のように威張った人もいます。
世の中は変化します。
価値感も変化します。
そのとたんに、今までしてきた努力が、マイナスになることがあります。
でもそれは、どうしようもないことです。
新しい価値感に、如何に適応するか、を考えるべきです。
植松電機は、父さんがたった1人で、炭鉱で使用する特殊電動機械を修理する仕事からスタートします。
でも、その仕事は、炭鉱がなくなったので丸ごとなくなりました。
同じ仕事をしていた人たちの中には、絶望して、廃業して、違う町に移転した人もいます。
その次は、電動機修理の知識を活かして、当時から普及しはじめた、自動車の電機装備品を修理する仕事をしました。僕もそれを学びました。
しかし、「修理」という仕事は、部品を丸ごと「交換」する方法の普及によって、
目の前で消えていきました。
だから、しょうがなく、電動機修理の知識と、自動車の電気の知識をあわせて、
リサイクル用のマグネットを作り始めました。
だから僕は、いつも、「これでいいのかな?」「このままでいいのかな?」
「もっとよくならないかな?」を考えています。
僕はいつも「自己否定」をしています。(自己嫌悪じゃないよ)
過去の自分の努力の価値にとらわれると、成長が止まることを知ってるからです。
いま、日本は大きな価値感の変化にさらされています。
企業も、教育もです。
でも、今までやってきたことや、信じてきたことが通用しなくなったことに、
絶望する必要はありません。怒る必要もありません。新しい価値感を否定する必要もありません。
すべきことは、新しい時代に対応する事です。
中国では、教える立場にいる人を「先生」と称するようです。
これは、先に生まれちゃった人、ではなく、
先を生きる人です。
これから皆が進む未来を見つめ、その新しい時代に必要なことを教える人が「先生」です。
進化成長のためには、「自己否定」を考える勇気が必要だと思います。
過去の自分の努力の価値にとらわれると、成長が止まるのです。