他者評価で自分の可能性をあきらめる必要はありません! | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

先日、本州の学校が修学旅行で来てくださいました。

 

その日は、気温がプラスになってしまい、ものすごく地面は滑りやすくなりました。

(圧雪が全部氷になってしまったから)

そして、生徒の皆さんが作ったロケットも、雪についた後、雪が溶けてしまい、

濡れてしまいました。

 

冬の修学旅行では、どうしてもロケットが濡れてしまいます。

そのため、通常は持って帰ってもらうロケットを、

全数預かって、十分に乾燥させた後、メンテナンスしてから学校に送るようにしています。

 

今回は、約200機。

やっとメンテが終わりました。

 

メンテの内容としては、

(1)からまったパラシュートの糸をほどく。

(2)パラシュートが痛んでいたら、新品と交換。

(3)ロケットのボディチューブが痛んでいる部分の補修。

です。

 

今回の学校の子達は、とても器用です。

そして、助けあいます。

そして、意味を考えて作っています。

だから、メンテしてても、なんだか嬉しい気持ちになってきます。

 

しかし、そうではないケースもあります。

たとえば、ロケットはパラシュートで帰還します。

そのため、ロケットとパラシュートは、つながっていないといけません。

しかし、それがつながっていないことが、割と多いのです。

偏差値が高い学校でもです。

特に、先生が支配的な学校で顕著です。

 

まず、説明書には、行程が図入りで書かれています。意味も書いてあります。

製作開始時に、僕が口頭でパラシュートをしっかり付けてくださいと話します。

打ち上げ直前にも、全員でパラシュートを出して、パラシュートも引っ張って点検します。

だのに、そもそも、パラシュートがロケットとつながっていない、というケースがあるのです。

 

まず、説明書を理解できていない。意味をわかってもらえていない、

そして、口頭での説明を聞いていない。

そして、みんなでやる点検をしていない。

いや・・・そんなことないな・・・

説明書も見ていたし、説明の時もこっちを見ていたし、点検の時もこっちを見ていた・・・。

 

先生の中には「いやー。最近、説明書を見て作業できない子が多いんだよねえ。」なんて

苦笑いする人もいます。

いやいや、それ、社会に出たら致命的でしょ。

だって、文章での作業指示を理解できない、ってことだよ。

 

企業の立場として、そういう人は雇用できないです。

でも、実は、このかなりまずい状況は、年々、悪化しています。

子ども達の現状は、10年後の日本の未来です。
いまでさえ、国際競争力を失いつつあるのに・・・。
 
先週来てくださった学校は、兵庫県の高校でした。
機械や電気など技術のことも学びつつ、ビジネスの事も学べる学校です。
調べてみたら、偏差値はそれほど高くありません。
だから、正直な所、ちょっと心配だったのです。
偏差値が高くない学校の子達は、大抵が「捨て鉢」になってるからです。
「こんな学校に来てしまったから、自分の人生は終わった。だから、勉強しても、努力しても、意味なんかねえ。」に陥ってしまった人達は、
知る喜びや、能力が増える喜びよりも、快楽を求めるようになります。
実際、そういう生徒を沢山見てきています。
どんより、ぼんやり、隙があれば寝る。
ひまだ。退屈だ。めんどくせー。だりい。
外からもたらされる「おもしろい」を求めるだけの受け身な存在です。
こういう学校の子達は、ロケットを飛ばすときだけ、異常な歓声と盛り上がりです。
ノリに乗っかって反応してるだけです。
でも、ロケットを捨てて帰ります。
 
しかし、この学校は違いました。
ほがらか。しっかりこっちを見つめてくる。話し合う。教え合う。
帰る時間になっても、からまったロケットをほどこうと真剣にがんばってる。
「僕らがほどくから大丈夫だよ」と言っても、「いやー、悪いから−。」ってがんばる。
泣けてくるほどに、いい子達でした。
 

その理由を、校長先生に尋ねました。

すると、

「この子達の保護者も、この学校の卒業生のケースが多いのです。そういう保護者は、無目的に進学するよりも、この学校に行った方が、社会で役にたつことを学べるよ。」

と教えるのだそうです。

だから、「来たくて来る」子達が、とても多いんです」だそうです。

しかし、中学校の段階で「お前は成績悪いから、進学しても無駄だし、ついて行けないから、この学校に行け」という指導をされた子達は悲劇です。途中で学校をやめてしまいます。」

なのだそうです。

 

なんだよ。原因は大人じゃん。

大人が「成績はともかく、社会に必要なことを学んだらいいことがあるよ」とおしえるのか、

「お前が学んでも無駄だ。進学できないお前の人生は所詮そんなもんだ。」と教えるのか。

つまらない大人の、根拠に乏しい憶測の人生評価が、人生を投げ出す人間を作るのだ。

なんてくだらないことなんだ。

 

僕には、できない事が沢山あります。特に、学校に関するものは、すごくダメです。

しかし、できることも沢山あります。それが、今の僕のパワーです。

それに気づくことができたのは、学校以外の場所で遊んだからです。

サイクリングや、キャンプや、登山や、自分勝手な研究・・・。

学校と距離があったからこそ、僕は自分の「できること」を知りました。

 

今の子達は、部活と宿題でがんじがらめです。

学校と距離が近すぎます。

だから、学校から低評価されると、自分の価値を失います。

でも本当は、人間の価値は、テストの点数などで表すことなど不可能です。

ましてや、現在や過去の成績ごときで、人間の未来の可能性を否定することなど、

決してしてはならないことです。

 

人間には、テレパシーがありません。

だから、人間は100%わかりあうことはありません。

これは事実です。

だとしたら、自分以外の人間は、自分の事をよくわかっていない、ということです。

そんな、よくわかっていない人間に、どう思われようが、どう見られようが、

それは正しくありません。あくまでも憶測の評論に過ぎません。

自分の事を、一番よく知っているのは自分です。

優しい自分も、冷たい自分も、がんばる自分も、投げ出す自分も、勇気のある自分も、

臆病な自分も、全部、自分が一番よく知っているのです。

そんな自分の、いいところを伸ばして、そうじゃないところが、問題にならないような状況を作っていけば、まったく問題ありません。

たとえば、数学が苦手なら、数学を必要としない仕事を探せばいいだけです。

英語が苦手なら、携帯翻訳機を使いこなしてみてもいいかも。

すくなくとも、自分はダメじゃないんです。

学歴も、成績も、お金も、人生を決定しません。

しかし、

あきらめると、確実に可能性を失います。

 

他者評価ごときで、自分の可能性をあきらめる必要など、

まったくありません。

それだけは、忘れないでいて欲しいです。