いろんな人から、相談を受けます。
人それぞれに、沢山の悩みがあります。
僕には、52年間生きてきた上での、僕なりの経験と情報があります。
それが役にたつのならば、いくらでも提供したいと思っています。
悩みごとの相談で、もっとも重要なのは、
「話してくれてありがとう」です。
自分を選んで、話しにくいことを話してくれたのですから、
その勇気に感謝したいです。
次は、よく話を「聞く」ことが大事です。
なぜなら、話しにくいことは、いいことではないからです。
人の心には、言いにくいことを、オブラートにくるみたい気持ちがあります。
だから、情報を減らしてしまったり、変えてしまったりしてしまうものです。
その段階で判断をしても、正しい判断にはならないです。
だから、共感と反芻で、沢山話を聞きます。
その上で、僕は、自分の過去の経験の中の、似た事例を探し、
そのときには、こんな風に対処したよ、などを伝えるようにしています。
ただ、悲しいことに、年齢が上がれば上がるほど、
「それは、自分にはできない」
「まえにやってみたけど、だめだった」
「それは、あなたが成功しているからできることだ」
「それは、あなたが特別だからできることだ」
「自分は、普通だからできない」
と言われてしまう確率が高くなります。
おそらく、他人によって、あきらさせられたり、やめさせられたり、
自分によって、あきらめたり、やめたりした経験が、
人生の時間と共に、蓄積されているからでしょう。
本当は、「できない理由」は、ひっくり返せば、できる理由になることが多いです。
お金が無いから出来ない。なら、
じゃあ、お金があればできるんだな、です。
だったら、じゃあ、そのお金を得るためにはどうしたらいいかな?
お金をかけないでやる方法はないかな?
そもそも、その金額の根拠は?
などと考える事ができます。
考えたら、調べることができます。
調べたら情報が増えるから、さらに選択肢が増えます。
でも、お金が無いから出来ない。
そんなお金は無い。
自分にはお金を集めることなんてできない。
クラウドファゥンディングもやったことが無いからできない。
節約して貯金することもできない。
技術も無い。知識も無い。調べられない。本を読むのが嫌いだ。
ネットも使えない。
努力をしてもムダ。勉強してもムダ。何をやってもムダ。
だって、何をやったって、どーせうまくいかないんだ。
だって、今までずーっとそうだったんだから。
自分の現状を変えるつもりが全くない、
「現状報告」しかしない人は、その問題を解決することは不可能です。
いつまでたっても不満と不安にさらされます。
やがてその原因を、自分以外の何かのせいにしてしまう人がいます。
自分がこんな状態なのは、
国が悪い。
政治が悪い。
社会が悪い。
近所の人間が悪い。
あいつが悪い。
あいつのせいだ。
自分が実力を出せないのは、あいつのせいだ。
どこまでも、きりもなく、周囲を恨むようになります。
過去の自慢話だけして、
現状の愚痴ばかり言って、
未来の夢を語れない人が少なくないです。
他人の夢をバカにして、つぶす人もいます。
そういう人達は、誰かにあきらめ方を教えられてしまった、
問題解決能力を持たない人達です。
おそらく、そういう人達も、極初期には、誰かに相談したのだと思います。
でもそのときに、以前も書きましたが、
「我慢しなさい!」「気にするな!」もしくは、
「できない理由」を教えられてしまった結果、
問題を解決する能力を持つことができなかったのかもしれません。
問題は、解決しようとしないと解決しません。
そして、人は、生まれたときは、問題の解決の仕方を知りません。
小さい頃は、不愉快を伝えたら、まわりが何とかしてくれます。
でも、成長するに従って、不愉快な状態を自分で快適にしなければいけなくなります。
そのときには、自分の快適のために、自分以外の人が不愉快にならないように
考慮することが大事です。そのために、マナーや、ルールや、法律があります。
それらを教えるのも、大人の大切な役目です。
でも、問題を解決したことのない人は、それを教える事ができません。
自分の快適のために、他人を犠牲にすることも厭わない人間は、
社会のルールもマナーも教えられません。
それは、どんどん連鎖濃縮していきます。
世の中には、ものすごい家庭が沢山あります。
だからこそ、家庭以外の教育がものすごく重要になります。
しかし、実際には、学校でも、理不尽のあきらめ方をおしえてしまっていることが多いです。
(根拠不明な校則。基本的人権を無視した指導。社会でなら許されない暴力を伴う指導。気分次第で判断基準が変わるあいまいな指導。などなど。)