階級差別社会から抜けだそう | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕は、いろんな所によばれていきます。

そのとき、僕は大きなリュックサックを背負っていきます。

その中には、万が一用のプロジェクターをはじめとして、
万が一用のケーブルや、ビデオブースター、各種アダプターなどなど、
トータルで20kgほどになっています。

 

で、よんでくれた先の、すくなからずの人が、僕のカバンを持ってくれようとします。

僕にカバンを持たすのが、申し訳ないのだそうです。

僕は「体に悪いからやめた方がいいです。」と断っています。

下手したら、腰やっちゃいます。

 

僕は過去に、青年会議所の理事長を経験しています。

そのときには、「自分でカバンを持つな」「自分で運転をするな」と言われました。

カバン持ちを連れて歩け、と言うのです。

そのとき、僕の専務をしてくれたのは、僕が心を許せる友人です。

そんな大切な人を、なんで奴隷のように扱わなければいけないのか。

僕は、自分で運転し、自分でカバンを持ちました。

 

太平洋戦争が終わったとき、

ある日本の軍人が、こんなことを書いています。

「アメリカの飛行機から、ジープが丸ごと、走って出てきた。

それだけでも、日本軍ではあり得ないことだが、そのジープを運転していたのは、位の高い士官だった。それも、日本軍ではあり得ない。

しかも、もっとあり得ないことに、その士官は、途中で歩いていた自分の部下を、その車に乗せて、そのまま談笑しながら走り去った。

日本軍では、士官は運転してはならない。ましてや、部下を乗せて士官が運転するなど、あり得ない。

でも、この差こそが、戦争の勝敗をわけたのではないかと思う。」

 

僕は、日本の社会に深く染みこんでいる、年功序列式のピラミッド型階級システムがいやです。

なぜなら、そこには、必ず「差別」が生まれるからです。

位が上のものは、下のものに理不尽な要求ができます。

位が下のものは、上のものに歯向かうことができません。

それが、あたりまえ、になってしまいます。

 

明治の頃に、軍人勅諭というものがつくられました。
明治の最初の頃は、侍階級だった人達が、かつての身分制度に固執して、
差別をしたり、ときには、騒動を起こしたりしたことが多かったそうです。
そのため、新しい軍隊での秩序を教えるためのものだったそうです。

その中では、「上級のものは、下級のものを、軽んじて侮ったり、驕り高ぶったりする振る舞いがあってはならない。公務のために威厳を保たなければいけないときは特別だが、普段は、務めて親切に取り扱い、慈しみ可愛がることを第一とする。」というような記述があります。
務めて親切に取り扱い、慈しみ可愛がるべき相手に、
カバンを持たせるのはあたりまえではないだろう、と僕は思います。

オーストラリアのカンタス航空は、事故を起こさないことで有名です。

そこでは、機長と副操縦士が、対等な存在になるように工夫がされているそうです。

機長が高圧的で支配的だと、事故が起きる可能性が高まるのだそうです。

 

しかし、日本には、ピラミッドが蔓延しています。

その原因は、自らピラミッドに身を置きたい人がいるからです。

他者評価を自己存在にしている人たちです。自信がない人達です。

そういう人達は、誰かから与えられる役職や権威にすがります。

そして、自分以下をつくって、自信を維持します。

 

以前、芦別で石炭を掘っていた頃、石炭に関係する会社は、ものすごく強大でした。

そこの偉い人には、みんながひれ伏すような勢いでした。

やがてその人の定年退職が近づいていきました。

いろんな人が応援して、その人は新しい会社を作ることになりました。

しかし、あっという間に借金まみれになってしまったそうです。

実は、みんながひれ伏していたのは、その会社の役職でしかなかったのです。

その人は、会社の看板を失ったとたんに、普通の人になってしまいました。

 

僕は時々、自分が植松電機も何も関係の無い、たった1人になったら、どうなるかな、と考えます。

そのときでも、自分は、人を助け、人の役にたつことができるかな。

自分は、会社の看板によっかかっていないかな。

自分の実力は、どんなものだろう。

 

僕は、本を沢山読みます。

僕は、ものをつくれます。

僕は、手先が器用です。

僕は、子ども達と接するのが好きです。

僕は・・・なんとかなりそうな気がします。

この、なんとかなりそう、という感覚こそが、

自分以下を必要としない「本当の自信」じゃないかな、と思います。

 

他者評価依存から抜け出すためには、

自分のできそうなことを、紙に沢山書き出してみたらいいです。

それは、誰かと比べないで書くのです。

自分は本が好きです・・・でも、自分よりももっと本を読んでいる人はいる、

だから、自分なんて・・・たいしたことない・・・と思わずに、

誰ともくらべないで書くのです。

自分はパスタならつくれる。ではなく、パスタがつくれる。でいいです。

それが、インスタントラーメンを作れる、でもいいのです。

書き出してみたら、思った以上に、自分にできることがあることを知ります。

それを、役立てる環境に身を持っていけば、それは役にたちます。

 
前時代的な、階級差別社会から抜け出すためには、

まずは、1人1人が、自分の力で誰かを助けられそうな気がするなあ、と

思うことが大事かもしれません。