ビジネスとボランティア、混ぜるな危険! | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

以前、山の中で行方不明になった子どもを見つけてくれた方が有名になりました。

 

その人は、ボランティアで捜索に参加し、子どもを見つけてくれました。

それだけでもすごいのに、その人の行動が明らかになるにつれ、

さらに感動を呼んだのは、記憶に新しいです。

 

ボランティアで参加している自分が、人の助けを借りてどうする。

という彼の人は、勧められたお風呂にも入らず、食事もいただかず、

自分の力で捜索をしました。

これは、本当にすごいことだと思います。

 

以前、あるイベントがありました。

ある企業が、町おこしの貢献として、がんばって開催していました。

そのイベントには、ボランティアの人達も沢山参加して、

かなり大きな、有名なイベントになっていました。

しかし、僕は、あるボランティアの人が、こう言っていたのを聞きました。

「あのイベントの準備をしている主催企業の社員は、みんな給料をもらって準備をしている。だのに、ボランティアの俺たちは何ももらっていない。こんなのは不公平だ!」

この言葉を聞いたとき、僕は唖然としました。

だって、このイベントを開催するにあたって、その企業は、本業をしないで社員さんを働かせているんだよ。その分の給料と、本業をしないことでのマイナス分の、往復でお金がかかっているんだよ。そりゃたしかに、社員さん達は仕事として給料もらって働いてるかもしれないけど、その大元の企業としては、ものすごい出資をしてるから、巡り巡ってそれは、その会社の社員さんが負担してる事になるんだよ。なんでそんな単純なことがわからないの?

 

残念なことに、日本では、給料と、会社の売り上げを、リンクして考えられない人が多すぎます。

なぜなら、「仕事とは、言うことを聞いて、お金をもらうことだ」と教えてしまうからです。

しかし本当は、「仕事とは、人の役にたつことだ。役にたった結果、対価がついてくる。それを会社のみんなで分かち合うのだ。」です。

 

前者の場合、「こんなことしても、社会にとってはマイナスだよなあ。」と思えることも、

「指示されたんだから、その通りにやるしかないわなあ。だって、給料の為ならしょうがないよ」で納得できてしまいます。

クリストファー・R・ブラウニングさんの「普通の人びと」という本があります。

ナチスのホロコーストに関わった、第101警察予備大隊のの人達のことを書いています。

そこでは、ごく普通の人達が、普通の仕事として、ホロコーストを実施したことが書かれています。

おそらく、「仕事とは、言うことを聞いて、お金をもらうことだ。」という教育は、

ホロコーストさえも実現できてしまうのだと思います。

 

しかし、後者の場合、社会のマイナスになるようなことは、「こんなコトしちゃダメだろう。」と考える事ができます。

 

残念な事に、彼のイベントは消えてなくなりました。
そりゃそうだろうと思います。
 
僕は、ボランティアをあてにした事業や運営はいやです。
ボランティアありきの事業や運営も、間違っていると思います。
だから、植松電機のロケット打上などでは、ボランティアを募りません。
 
でも、ボランティアの人がいるおかげで、イベントがよりよくなり、
ボランティアの人にとっても、そこでの経験や人脈がプラスになる、
というのならば、ボランティアも成り立つだろうと思います。
それを成立させるのは、「お金以外の価値」です。
 
自分の人生の時間の対価を、お金以外の価値で考えられる人が、
ボランティアを成立させることができます。
でも、自分の人生の時間の対価を、お金でしか考えられない人達は、
ボランティアに参加すべきではありません。
そういう人達は、自分の労働の対価をお金で支払ってくれる人と、
ビジネスをすればいいだけのことです。
 
これから、北海道は短い夏を迎えます。
各地で、様々な町おこしや地域興しのイベントが行われるでしょう。
その際に、ボランティアとビジネスをごっちゃに考えている人が混じってると、
そのイベントそのものが崩壊する可能性があります。
かなり最初の段階で、ボランティアとビジネスの切り分けを
しっかりしておいた方がいいと思います。
 
セクスィー部長風に、
「ビジネスとボランティアを、一緒になさらぬように!」