以前、群馬県の水上市というところで、ある議員の方が、
僕をよんでくれて、ロケット教室を開催してくださいました。
けっこうな人数でしたから、大変でした。
そのあと、ロケット教室の費用について話をしたら、
「え?ボランティアじゃなかったんですか?」と驚かれました。
僕も驚きました。
彼曰く「ロケット教室を開いてあげた」のだそうです。
だから、無料でしょ?だそうです。
いやいや、会社休んで、飛行機乗って、新幹線乗って、
ロケットは米国からの輸入で一機3000円近い原価かかっていて、
それで無料は、ちょっときついよ。
結局は、交渉の末に、かかった費用の1/3位を払っていただけました。
時々、学校向けの講演は無料でやれないのか?といわれます。
以前やってました。
そのときに、何が起きたか。
いちばんつらかったのは、クラス単位で講演によばれることです。
せっかく学校まで行ってるのに、その先生のクラスでしか話をさせてもらえません。
無料だから、先生の裁量でよべます。でも、その先生の範囲内で収まってしまいます。
また、普通にいきなりキャンセルされます。
無料だからです。
「次の講師きまってないね、誰にする?」
「ああ、あの人無料だよ。」でよばれてしまいます。
この頃は、今と同じく作業服で講演に行くと、「あんただれ?」という扱いをよくされました。
かと思えば、有料で僕の講演会を開いてくれて、僕の講師料は格安で、
「今日はこんなに儲かりました〜!イエ〜!」って、喜んでる人達もいました。
むかし、金額関係無しに引き受けていた頃は、
講演が年間に374回になりました。
午前、午後、夜、1日3回てのもけっこうありました。
家にも帰れない。仕事にもならない。交通費にもならない。
休むこともできない。遅刻もできない。病院にも行けない。
無料であるが故に、毎日講演依頼が入ります。
さすがにつらくなって、交通費だけでも出してもらえないかと話したら、
「そんな人だと思わなかった」と言われたこともあります。
または「あなたのために、わざわざ講演会を開いて、人を集めてあげようと言ってるのに、あなたはお金を要求するのですか?」と言われたこともあります。
年に、数回程度であれば、無料もありでしょう。
また、僕が定年退職者で、年金で暮らしているのなら、無料もありでしょう。
しかし、僕は、現役で会社を経営しているのです。
金額は、需要と供給のバランスで決まります。
しかし日本では、オリンピックがらみでも問題になっていますが、
「ボランティア」という言葉を安易に使っている人がけっこういます。
お金とは、人間のマンパワーです。
だから、人間が行動するということは、お金が動いてるのと同じです。
1人を雇うお金と、1人の人間の行動は、等価です。
以前、高校生が講演会を主催してくれました。
彼女たちは、一般の人を沢山招きたいと言います。
そして、自分たちで、様々な企業を訪問し、頭を下げて、何をしたいのかを説明し、
お金を集めてくれました。
その彼女たちの熱意が伝わったから、当日の会場は満杯になりました。
僕は、そんな彼女たちに感動して、値段を安くしようと思いましたが、
彼女たち曰く、「この金額だったから頑張った。その結果、すごく沢山の人と縁ができた。だから、この金額でいいんです。」と言い切りました。
すごいです。
僕は1人なので、できることに限りがあります。
だから僕は、仲間が欲しいのです。
その仲間とは、僕のかわりに、思いを伝えてくれる人達です。
僕と一緒に、どーせ無理に負けないで、だったらこうしてみたら、と考えてくれる人達です。
僕のかわりに、ロケット教室をしてくれている人達がいます。
僕の仲間です。
ちなみに、しっかりお金を払ってくれる人達がいるから、
お金が無いという学校に行くときに助かります。
本当に感謝です。