愛と依存を一緒になさらないように! | 植松努のブログ

植松努のブログ

講演でしゃべりきれないことを書きます。

先日、植松電機で社内バンドのフェスがありました。

がんばって練習してきた仲間が、がんばって演奏しています。

それぞれに、いろんな工夫をしています。

盛り上げようと、いろんな努力を、楽しんでしてくれています。

会社の仲間の娘さん達もクールな演奏をしてくれました。

みんなががんばって、みんなが楽しんでいる姿を見ていると、

本当にうれしくて、この感情をなんと表現したものか・・・と考えました。

そこに浮かんだのは「愛」でした。

 

なるほど、様々なロッカーが、「愛してるぜぇ!」とか「愛し合ってるかい!」とか

叫ぶ気持ちは、これなのだろうと思いました。

 

笑顔のための努力。その努力に答える笑顔。

本当に大切な仲間です。

性別も年齢も超えて、「愛」でした。

 

「愛」はとても大事なものだと思います。

しかし、かなり漠然としているし、曖昧です。

「愛」を簡単に定義することは難しいです。

しかし、わりと明確なこともあります。

それは、「愛」と「依存」とは、ちがう、ということです。

 

すくなからずの人が、「依存」を「愛」と間違えている気がします。

「君がいないと、生きていられない。」は、愛の言葉のように思えますが、

これは「依存」じゃないかな、と思います。

「愛してると言ってくれ」なんてタイトルのドラマもありましたが、

相手に言葉で証明してもらえないと成り立たない愛は、愛ではないでしょ。

 

「愛しているから、愛して欲しい。」ではなく、

「愛してるから、愛する。」だと思います。

 

愛とは、性別や年齢に関係なく、相手を大切に思い、相手の笑顔が自分の笑顔になるような状態じゃないかなと思います。

そのための見返りも必要ないです。

 

依存は、束縛になります。それは、嫉妬につながります。

もしもそれで、体調に悪影響が出たり、日常生活や仕事に悪影響が出たら、

それは、「依存症」にランクアップです。

そこまでいくと、それはもう愛ではなく、恐怖になります。

相手を苦しめるばかりか、自分も幸せにはなれません。

 

人は、人から必要とされたいです。

でも、「俺を必要としろ!」なんて強要するのは、どこかの悪役です。

必要とされるために大事なのは、相手を思いやる気持ちです。

どうやったら、相手を助けられるかな?をかんがえたらいいと思います。

しかし、「人の役にたつ=言うことを聞く」と教えられた人達は、

それができません。

だから、人から必要とされないから、必要とされることを渇望してしまいます。

その結果、

「目立ちたい」「賞賛されたい」「求められたい」ために、

自分をものすごく盛ってしまったり、悪ノリしてしまうことがあります。

または、誰かの愛を強要します。特別な絆を強要します。

それは、考える力を奪われてしまった結果なのかもしれません。

 

自分の愛は、愛なのか?依存なのか?

確かめるためには、簡単です。

「こんなにしてあげているのに」と思った段階で、それは愛ではないでしょう。

それは、依存かもしれません。

 

依存から抜け出すためには、自分の自信を増やすことが効果的です。

自分の自信を増やすためには、「やったことがないことをやる」と効果的です。

やったことがないことをやるためには、時間と費用を生み出す必要があります。

時間と費用を生み出すためには、時間にしても、お金にしても、節約が大事です。

節約とは、ただたんに切り詰めることではなく、効果的に使うことが効果的です。

自分の人生とお金を、いかにして、効果的に使うのかが大事です。

そして、最も効果的なのは、「知恵と経験と人脈」になるように使うといいです。

 

ということで、

自分の人生の時間とお金を、知恵と経験と人脈になるように使うと、

依存ではない、本当の愛になるかもしれないです。

 

ただ毎日の消費のために払うので精一杯で、時間すらない。という状態は、

愛からものすごく遠い状態なのかもしれません。

抜け出す努力をした方がいいです。

現在の支払いは、本当に必要なものなのか?

を考えて見たらいいと思います。

僕はけっこう考えています。