ニューヨークでは「そのスカート、ステキ、どこで買ったの?」などといきなり路上で声をかけられて驚いたものだったが今ではすっかり慣れっこになっている。単なるお世辞ではない証拠に「これ、日本で買ったのよ」などと言おうものならがっかりした顔で、「飽きたら売ってくれないかしら」と食い下がってくる。肉食人種のしつこさ、いや、熱心さははんぱではない。昨年も、日差しの強い日にグリニッジ・ビレッジを歩いていたら、「その帽子、売ってくれないかな」と物売りの黒人男性から声がかかった。その麦わら帽子のテンガロンハットは前日のフリーマーケットで50セントで買った物だが、ちょっと大きすぎるし、私には似合わなかったので「売った!」と1ドルで売り、50セントの利益を得てしまった。物の売り買いはニューヨークで古着屋をやっていた頃から慣れてはいるが、それにしても日本でこんな事はあり得ない。庶民レベルの、消費税のかからない売り買いは楽しく、お得なものだが、そうでない場合もあるから注意が必要だ。
地下鉄の中では電池から自作のCDや本を堂々と売り歩き、車内の人々もよく買っている。私も、「10ドル以上の電池がたったの2ドルだよ!」と売り歩く黒人を呼び止めてデジタルカメラ用にデュラセルの電池を買い求め、これでもう電池の心配がない、とひと安心したのだったが、「安かったのよ、これ」と滞在先の大家さんに見せると微妙な表情で「それ、99セントショップで売ってますよ」と言うではないか。「ええっ!?デュラセルの電池って普通4個でも1ドル以上するんじゃない?」と聞き返したらまたまた微苦笑して「それ、パワセルですよ、デュラセルじゃなくて」と言う。
よくよく見れば確かにパワセルである。それにしてもデュラセルそっくりなのだ。製造国を見るとやっぱりコピーで有名なあの国。なーんだ、騙されちゃった。1ドルぼられちゃった、とは思ったが、2ドルでもまだ安いと考え直し、セントラルパークの写真を撮る時にバッグにしのばせて行ったのだったが…
この電池、カメラに入れた時から既に「ロー・バッテリー」、つまりパワーが低くて使えません、という表示が出る。(あれ?おかしいな、そんなはずはないのに)と何度も入れなおしたり、カメラが壊れたのかと思ってそれまで使っていた電池と入れ替えてみたりしたが、パワセルは使えないという事実を認めざるを得なかった。1つで止めておけば良かったのに、安いと思って2つも買ったのを、全部捨ててしまった。安物買いの何とか、とはこの事だ。他にもペラペラで使えない荷造りテープ、チャチすぎるCDプレーヤーなどなど粗悪品は数多い。
どうして、誰がこんな役に立たない製品をわざわざ作ってパッキングし、輸送費をかけてアメリカにまで持って来て人を騙すのだろうか。先進国でこんなチャチで粗悪な製品が出回っているとはどういう事なのだろう?日本ではこんな製品を100円ショップで売ったらすぐにクレームが来るだろう。アメリカの七不思議である。