東と西の文化は融合しない | 裸のニューヨーク

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ユー・ドント・ノウ・ニューヨーク・ザ・ウェイ・アイ・ドゥ...これは私のアンビバレントでパーソナルなニューヨーク・ストーリー。

日本の「カイシャ」は依然として個人主義、転職主義の外国人には不思議な場所と映るようだ。4月27日号のニューズウィーク誌の書評に載っていた、外国人による2冊の本からもそれがうかがえる。


 『青い目のサラリーマン』の著者ニアル・ムルタ氏は三菱電機に14年間勤務。揃いの青い上着を来た工場の従業員が昼休みに食堂へ急ぐ姿は囚人のよう、など、職場の様子が詳細に描かれている。

私はアメリカから帰国した当時、電車の中の乗客の無表情さがロボットのようで薄気味悪かったのをはっきりと覚えている。均一さ、生気のなさ、これが4年ぶりに見る故国の第一印象だった。当時は日本人としての「目」とアメリカナイズした「目」の2つが私の中に混在し、日本を「外国」として見ていた時期があるからムルタ氏の気持ちはよくわかる。

『畏(おそ)れ慄(おのの)いて』のアメリー・ノートン氏は1年間OLとして働いた体験に基づいてこの小説を書いた。彼女は大手商社で語学力を生かして働くつもりだったが、最初はお茶くみ、そして一日中トイレの掃除。小説の主人公は日本語は達者だが、日本企業の慣行を知らないせいでやることなすこと裏目に出る。そして退職。タイトルの意味は、天皇を畏怖するように、上司に接する日本人も畏れ慄いているように見えることから付けたという。

いつまでも異質であり続ける日本という構図はなかなか変わらない。このような本が書かれ続ける事は日本にとっては大きなロスである。


「菊と刀」は一読に値する本だったが、1975年に発表されたジェームズ・クラベルの大ベストセラー『将軍』も日本ではさほどブームにはならなかったし、日本企業が不動産を買いあさっていたバブルの絶頂期を背景にしたマイクル・クライトンの『ライジング・サン』にしてもあまり日本人の興味は惹かなかったように思う。
映画を見たがちっとも面白くなかった。 さすがにひところほど日本の描き方は目茶苦茶ではないが、「パールハーバー」にしても戦時中の日本できれいな着物を着た女性がのんびりと歩いているのには失笑した。戦時中はモンペに防空頭巾という姿だったはずだからだ。「ロスト・イン・トランスレーション」も表層をなぞっただけの映画で、これも日本人よりもアメリカ人に受けた映画である。日本人を感心させる外国人による日本映画はいつか作られるだろうか。

いや、それより世界をうならせる、日本人が作った外国映画が見たい。