11/13(水)
永野猛蔵騎手がスマホ持ち込みで騎乗停止。
骨折休養中に親族に予想行為。
騎手免許返上して引退。
永野猛蔵騎手に多くの馬を任せ、その人柄が好きでたくさん勝ち、たくさん負けて来た西山茂行の歳の離れた戦友だった。
残念としか言葉はない。
とりあえず、西山茂行のあったことを時系列に書いていきます。
10/7(月)
この日は千葉県の館山カントリークラブで
【矢部美穂さんの誕生日を祝うゴルフコンペ】
約100人の大型コンペに参加をしていた。
矢部美穂さんのご主人の山林堂信彦さんは川崎競馬場の騎手であり、参加者には競馬関係者がたくさんいた。もちろん中央競馬の厩舎関係者も。
西山茂行は勝浦正樹と同じ組で快晴の中、楽しくプレイし、14:00くらいに上がって来た。
風呂に行く前に携帯を見ると、永野猛蔵から着信があった。
(お、猛蔵のやつ、何かあったか?)
永野猛蔵とは普段のやりとりは100%LINEで、電話をかけることはまずない。
馬の連絡は調教師の仕事であり、月曜日の永野からの連絡はなんだろうか?
折り返し電話をしたが、留守電になった。
(まぁ折り返し着信をつけたから、用があればそのうちまたかかってくるやろ。)
そんな程度の気持ちで風呂に向かった。
風呂から上がると、館山カントリークラブの高野和広支配人が
『西山社長、15時30分から表彰式ができそうですが、それまでビュッフェを楽しんでください。寿司も美味しいですよ。』
ビュッフェ会場へ行くと酒の入った人もいて、みんな笑顔でゴルフ談義に盛り上がっていた。
西山茂行の目の前に座った勝浦正樹が、笑顔も無く、わしに話しかけて来た。
『社長、猛蔵の話、聞きましたか?』
「いや、どうした?何かあったの?」
『俺はもう現役ではないから、千葉ちゃんから話したら。』
何も言わない勝浦正樹は隣にいた千葉直人調教師に話を振った。
千葉直人は騎手時代は勝浦正樹の後輩になる。
千葉直人調教師は言いづらそうに
『猛蔵はスマホ持ち込みで騎乗停止になったようです。社長、セイウンマカロン、ニシノエージェントなどどうしましょうか?セイウンプラチナも困りました。』
もう言葉がなかった。
女子や水沼問題があったばかりではないか。
バカか?
いや、猛蔵のことだから何か理由があったのでは?
するうち、パーティが始まり、表彰式が始まったがもう西山茂行の頭は大混乱。
美浦の馬の大半を永野猛蔵に騎乗させるつもりでいた。
すべて乗り替わりを探すのに大パニック。
そして、永野猛蔵はこれからはどうなるのか?
そのゴルフコンペに参加していた美浦のベテラン調教師は
『水沼の9ヶ月の後だから、1年は間違えないですね。』
と発言した。
(1年か・・長いな。)
そのうちに勝浦正樹に断片的な情報が入ってきた。
『社長、どうも攻め馬のあと、助手と連絡を取っていたそうです。』
これを聞いた瞬間に、少しだけ心が和らいだ。
土日にスマホを使ってはいけないルールだが、土日の早朝に調教をしてから競馬場へ行く場合に、
その調教した馬の報告を厩舎の調教助手にしたのであれば、それは立派な必要な報告であり、業務のうちである。となれば、わずかながらに情状酌量の余地があるのではないか?
そう思ったのも束の間。
美浦トレセンの情報通より連絡が来た。
「社長、猛蔵は2つ携帯を持ち、1つを預けて、もう1つを調整ルームに持ち込み通話をしていた、とのことです。」
2つ持ちで、1つを預けて、もう1つを持ち込むとは完全な確信犯ではないか。
マジかよー。
しかし、あの猛蔵が・・・
永野猛蔵が所属している伊藤圭三厩舎は時間に厳しい厩舎である。
かつてそこに来た新人騎手で朝起きて来ない子がいた。
もちろんすぐに辞めたが、それに懲りた伊藤圭三調教師は新人騎手を断り続けていた。
3年前、時間には正確で真面目な新人騎手がいるから、と競馬学校の教官より紹介されて、この子は間違えありませんから、と太鼓判を押されて伊藤圭三厩舎へ永野猛蔵は来た。
東京競馬場の警備スタッフや清掃係の人たちが口を揃えて
『今度の新人騎手の永野君はいつも1番乗りで検量室に来て鞍を磨いています。清掃係の人にもきちんと挨拶をする良い子です。』
と聞かされていた。
西山茂行の情報網はけっこう末端にまである。
そしてこの結果は、なんか、自分のことのように悲しく、なんとも言えない寂寥感が込み上げた。
パーティを終えて、帰りの車中に永野猛蔵から電話が来た。
『社長、すみませんでした。』
「聞いたよ。仕方ないな。まぁ裁定を待つしかないな。」
『すみません。』
それだけの会話だった。
もう話すこともない。
ただ、永野猛蔵の代わりを探すのが大変だった。
勝浦正樹がいたら・・
翌週、東京競馬場で伊藤圭三調教師と会った。
『社長、ご迷惑おかけしました。』
「猛蔵に腐らず、我慢して騎乗停止期間を頑張るようにお伝えください。』
すると伊藤圭三調教師は
『それが、猛蔵は辞める、と言い出しまして。』
「21歳の若者ならやり直しはいくらでもきく。何よりJRAの騎手なんて、なりたくてもなれないんだから辞めるなんてとんでもない話だ。』
「その通りです。社長さんからも言ってやってください。」
そして、西山茂行と永野猛蔵のやりとりが始まった。
しかし、永野猛蔵は
『社長、すみませんでした。』
としか言わない。
その言葉の発し方に、決めた揺らがない心が見えた。
44年会社経営をして来て、何万人使ってきたかわからないが、辞表を持ってきて、
止めて止まる人と、止まらないタイプがある。
永野猛蔵は止まらない言葉の発し方をしていた。
その後、何人もの調教師が永野猛蔵とサシで話した。
ある調教師は、猛蔵と話す前に
「場合によっては1年くらい西山興業で預かっていただけますか?」
と聞いてきた。
西山牧場では無く、東京赤坂の総合レジャー産業の方で、とのこと。
『そりぁもちろん構わないけど・・・』
いろんな人が永野猛蔵を止めたが、その決心は固いようだった。
村田一誠調教師の
『絶対に辞めるなよ。俺が西山社長に話すから。』
そんな意味のわからない話まで飛び交っていた。
その間に、永野猛蔵と調教報告の連絡を取っていた調教助手が辞表を出し、受理された。
藤田菜七子引退も発表された。
また永野猛蔵と仲がよかった別の厩舎の調教助手も辞した人がいる。
(この人たちは何ら処分の対象にはなっていないので実名は控えます。退職理由はわかりません。)
伊藤圭三調教師からは、
『社長、すみません、猛蔵の辞めるという決心は固そうです。』
「わかりました。」
周りのみんなが説得したが、自分のしたことが許せなかったのだろう。
そう言う男なのだ。
そして、11/13(水)、競馬会から正式に引退発表となった。
そこで、西山茂行は初めて親族に予想行為にも当たる情報を流していたと言う報道を見た。
(ああ、これでは仕方ないか・・)
冗談好きな西山茂行も今日は軽口も笑いも出ない夜となった。
ただ、永野猛蔵よ、まだ人生のスタートにも立っていない年齢だ。
1人の男としてこの先頑張れ。
今はそれしか言葉がない。
騎手としては終わったけど、人間としてはまだまだこれからだ。
応援しているからな。