8/16(水)

セイウンスカイが亡くなって今日でまる12年。

人間で言うなら13回忌ですね。

何もしてやれなかったけど、思い出すのが供養かな。


セイウンスカイの想い出を語ったらキリがないけど、またいつかこんな馬に出会いたいなぁ、と思い馬主を続けています。


あの頃、西山牧場は毎年200頭生産して、オーナーブリーダーをやっていました。


父の西山正行の方針は

『競走馬は何が走るのか、わからん。だから数を多く持っていた方が有利だ。』

と真剣に思っている人でした。


それに対してわしは

『良い繁殖牝馬にそれに見合う成績の良い種牡馬を配合しましょう。金はかかりますから頭数を大きく減らしましょう。』

といかにも正論らしい発言を繰り返していました。


西山正行の方針から西山茂行の時代への過渡期でした。


その整理している馬たちの中でセイウンスカイが出ました。


血統の説明はできません。

ただはっきりと言えることは西山正行の(数打ちやいつか当たるんだ。)と言う理論が西山正行の最後の最後に、当たりました。


セイウンスカイと言う馬は、競馬の世界に金と心血を注いできた西山正行を死ぬ直前に、最後の最後にクラシック皐月賞の表彰台に上げるためだけに生まれてきた馬でした。


それ以外に説明ができません。


西山正行はセイウンスカイの古馬の秋の天皇賞の時はもう病床で東京競馬場には行けず西山茂行が行っていました。

1番人気でしたが5着。

セイウンスカイは『なんだ、西山正行のじいちゃんもう競馬場来れないのか、俺の役目は終わったな。』

そう思ったのか屈腱炎を発症。

競走馬としては終わりました。


(西山茂行、お前が天皇賞の表彰台に上がるのはまだ早いよ。)

そうも思ったのかな。


そして西山正行の後を追うようにこの世を去りました。


西山正行を皐月賞の表彰台に上げるために生まれてきた馬、でした。


余談になりますが、今回セイウンハーデスが同じ屈腱炎を発症。

しかし25年の間に獣医学はすごい進歩をしました。

きっと治ると思っています。


今夜はセイウンスカイの写真ににワイングラスをぶつけています。

引退式札幌。



西山正行最後の口取りは日経賞。親子孫3代の口取り。