7/12(水)
月火と恒例の仙台シリーズを終えてその話を書こうかと思っていましたが、奥平真治先生の訃報が届いた。
86歳。もう調教師を定年引退されて16年経過しましたか。
ものすごくお世話になりました。
言葉では言い尽くせません。
一生足を向けて眠れない方です。
平成7年12月。
あることが原因で父の西山正行と当時の番頭と軋轢が生じた。
(後世のために社内報とかではきちんと書き残しておくべきだろうな。)
その番頭さんは厩舎関係を一手に任されていた。
『茂行、番頭がいなくなったら、うちの馬は厩舎へ入らなくなるのでは?』
と西山正行は心配そうに言った。
それほどまでに西山牧場内部では大事な事件だった。
その話を耳にした奥平真治調教師はわしに
「社長、心配するな。本当に厩舎から追い出されることがあったら俺と(田中)和夫厩舎で全部預かるから安心してくれ。」
と言ってくれた。
わしは内心は『これでうちの預託厩舎も変わるな』と思い、まだ若かりし頃の西山茂行や成田隆好、山田研児、本間 茂は何かやる気になり、ちょっと面白かった。
現実には数人の調教師が西山牧場から離れ、そしてそれ以上の調教師が新たに近づいて来た。
何一つ困ったことは無かった。
また別の話。(以前にブログで書いたことがあるが。)
西山牧場阿見である馬主さんの馬を預かり、調教中に骨折して予後不良になってしまった。
これは競馬をやっている限り避けては通れない。
そしてその馬主さんの別の馬が熱発したので、うちの獣医がペニシリンを注射したら、ペニシリンショックで亡くなってしまった。
ペニシリンショックは獣医が一生で一度あるかないかの事象だそうで、人間も極めて極稀にある話。
2ヶ月で2頭馬をダメにしたらどんな馬主でも怒る。
内心は、これって馬代の何割かを弁償しなくてはいけないのかな?
なんて考えていた。
ちょうど同じ頃、社台の山元トレセンで火事を出し22頭が焼死した話が話題になり、その時の馬主への見舞金を調べてそれに合わせようか?と言う話も出た。
23年前の話。
すると奥平真治調教師がその馬主に対して
「西山牧場は俺が毎日行って、本間たちが夜明け前から毎日一生懸命に馬を作っているのを知っているんだ。良かれと思ってやったことだから、馬主ならそんなこともある、と思ってもう言わないであげてくれ。」
と言ってくれて、この話は終わった。
その後は、西山牧場の困った馬をすぐに入れてくれて、セイウンタイヨウなど、入厩して10日で勝たせたりとか、今では考えられない使い方をしてくれた。
引退後は婿の奥平雅士調教師が跡を継ぎ、今でも西山茂行と変わらぬいい関係を続けている。
雅士より、『最近具合が悪く、寝たきりに近い状態。』と聞いていたので、まあ来るべき日が来たか、と言う気持ちです。
奥平真治先生、ありがとうございました。
お世話になりました。
感謝だけです。
萱野調教師(ニシノハナグルマでフローラステークス)
高木調教師(ニシノデイジーで重賞3勝)
奥平真治調教師の弟子たちでたくさん勝たしていただいてます。
この感謝忘れません。
左が奥平真治さん(右は尾形充弘さん。)
奥平先生の大好きだったうなぎ。