6/22(木)

西山いね子のお通夜でした。

享年98歳、老衰で、自宅で天寿を全う。

涙よりも笑顔で『お疲れ様でした。』と送るところでしょう。


6/18に死亡した後、葬儀社と葬儀の方法について打ち合わせ。

19年前、父の西山正行の葬儀では青山梅窓院が始まって以来の大人数が弔問に訪れました。

お通夜が800人、告別式が600人くらいでしたか。

焼香に時間がかかったのを覚えています。


今回はどんな葬儀にするか?

コロナで葬儀の体系がすごく変わった話から始まりました。

ちなみに葬儀社の担当者は西山正行と同じ葬儀社で、西山正行の時に仕切ってくれた担当者の息子でした。

ですからよく覚えていて、記録もきちんとありました。

(梅窓院のお経をあげてくれた坊さんも西山正行のお経をあげてくれた坊さんの息子でした。)


19年前、母は『あたしの時はこんなには来てくれないだうね。』

と、冗談だか本気だかわからない話。

95過ぎた頃からは

『もう年上の友人は誰もいないし、ゴルフ仲間もみんないなくなってしまったし、あたしの葬儀は家族だけでいいよ。』

「そうもいかないだろう。おばあちゃんの葬儀に参列したい人もたくさんいるよ。」

『そうかねぇ。』

そんな会話をした後にコロナ禍。

今回はどうしたらいいか?

姉の西山真美子と話し合い。葬儀となると、西山茂行や西山真美子に義理立てて行かなければ、と言う人もいるけど、コロナ禍が完全終結したわけでもなく、そこまで大袈裟にする時期ではない。

では【家族葬】にして、それでも弔問に来た方は喜んで受け入れる、と言う形にしましょう、

と言うことで落ち着いた。

葬儀社もそのパターンはよくありますので、となった。


父の西山正行の時は新聞に載ったのですごい人数になったが、今回はわしのブログやTwitterなど。

流石にSNS関係は来ないと見ていた。


発表すると、まず村田一誠調教師から。

「ぼく、騎手時代にお母さんによく可愛がっていただきました。家族葬とのことですが、お通夜参列してよろしいですか?」

「何言っているんだ。故人を悼むのに場所を選ぶ必要なんかないよ。西山いね子も喜ぶから遠慮なく来てくれ。」

「ありがとうございます。西山家族のつもりで行きます。」


村田一誠はわしの家族だったか😆


すると村田一誠よりLINEが。

『函館の家族も参列しに函館から駆けつけるそうです。』


勝浦正樹か。


すぐわかった。ニシノデイジー勝浦正樹の関係は改めてここで書くまでもあるまい。


西山牧場本間 茂場長のところへ何人かの調教師から問い合わせが相次いだ。

『コロナのこともあり、あまり気を使わせたくないので家族葬としたけど、故人と生前に親交があった方は皆さん大歓迎しますよ。」


葬儀社には家族は親戚まで含めて20人。

会社関係者で50人。

その他弔問客は50人くらいと見ましょう、と話し合った。


17:00からのお通夜で西山茂行ほかスタッフは15:00に現場到着。

生花がたくさん来ていた。

あとは流れるように弔問客が来てくれた。


伊藤圭三調教師に連れられて永野猛蔵騎手も来てくれた。

西山いね子とは面識は無いはずだが、昨年中京でセイウンシデンが勝った時にテレビを見ていた西山いね子が、

『この子、上手いね。たけぞう、って言うのも珍しい名前だねー。』

たぶん猛蔵が来てくれたことを喜んでいるでしょう。


東京馬主協会からは森  保彦会長、瀬谷隆雄副会長、天白泰司専務が参列してくれた。


尾形充弘さんも来てくれて、また西山いね子の料理をよく作ってくれた『たけくま』の料理長だった竹熊健策さんも久しぶりに顔を見せてくれた。


わしのカラテ仲間や添野達一師範、佐藤堅一師範も来てくれた。


なんか西山いね子が、いろいろな人を集めてくれている気がした。


元社員と言えば金田有紀子が来てくれたのは嬉しかった。

旧姓松本有紀子は西山いね子の雑用をよくやってくれていた。

しかし、寿退職をして20年になる。

こう言う人が来てくれたのは嬉しいし、呼んでくれた西山いね子にも感謝。

その他、たくさんの方々に感謝して。


6/23(金)は告別式から火葬。

いよいよ本当のお別れですね。