6/18(日)
昨日、母西山いね子(98)の体調が悪く、ゴルフを午前中で切り上げて帰宅した話は書きましたが・・
98という年齢を考えたら何があってもおかしくなく・・。
今朝はもう母の側にいようと決めて、東京競馬場へは行けないことをスタッフに話し、朝から母に付いていました。
娘のたろうもずっといてくれて。
(たろうは本名ではありません。愛称です。)
8:30に急に脈が速くなった。
1分間に235~250の脈拍。
酸素が下りだし、意識はない。
ああ、旅立つ合図だな・・
8時37分にヘルパーの方が、『息が止まりました。』とわしに伝えてくれた。
『おばあちゃん、お疲れ様でした。』
享年98歳。西山いね子さん大往生でした。
病気らしい病気は何もなく、認知症もなく、亡くなる前日まで頭ははっきりしていました。
元気なまま、老衰でした。
自宅なので、医師に死亡診断をしてもらわなくてはならず、主治医の先生に連絡。
日曜日の朝なので、なんか寝ぼけていたけれど、すぐに来てくれました。
10時7分西山いね子死亡。
「あれ、先生、心臓が止まったのは8時37分でしたが。」
『法律では医師が死亡を確認した時間が死亡時間になります。』
同時刻に姉が到着。うちの息子も来て、西山いね子さんとお別れです。
日曜日に出張してきてくれた主治医に丁重にお礼を言い、続いて葬儀社との葬儀の打ち合わせ。
お通夜と告別式の日程を決めて、あとは遺体に化粧。
それは見事な手際でした。
故人の意向により家族葬と言う形をとります。
人が亡くなって悲しいけれど、98歳で老衰。笑顔で『お疲れ様でした。』と見送りたいと思います。
孫やひ孫たちが次々と集まって来ましたが、暗さはありません。
わしは最後まで一緒に暮らしたから1番わかっているけど、見事な素晴らしい人生を全うした人でした。
よく親子喧嘩をしました。
口汚ない罵り合いも散々しました。
今思うと笑い話です。
性格の激しい父の西山正行と夫婦ができたのはこの人だからかなぁ、と思います。
で、今日は一日葬儀社との打ち合わせや梅窓院との連絡などで慌ただしく、夕方からは仮通夜。
身内だけです。
合間にグリーンチャンネルは観戦。
ニシノラブウインク(2着)は勝ったと思い声が出てしまった。
やっと復活しましたね。
ニシノカシミヤはハイペースの逃げすぎ。
ただこれを経験したことが必ず役に立ちます。
競馬場へは行けなかったけど、気持ちは東京競馬場でした。
今夜は母はまだ自宅です。なんかドキドキしますね。
もうわしにできることは感謝を伝えることだけです。
西山いね子さん、わしを産み、育ててくれてありがとうございました。
あっちの国へ行ったらまた親父西山正行と仲良くやってください。
そして孫やひ孫たちを見守ってあげてください。
長いことありがとうございました。
そして、母の介護を献身的に最後まで一生懸命やってくれたうちの奥さんにこの上ない感謝を伝えます。
ありがとうございました。
元気な写真はこれが最後かな
わしの成蹊大学卒業式
最後に会社へ来た時
弟の英五郎さんと
ニシノライデンが失格した天皇賞の京都競馬場
フローラステークスを勝った夜に
左海騎手と。