2/19(日)
ニシノレヴナントが勝って気分のいい朝です。
ところで2/15は母親の誕生日でした。
98で元気です。よく食べます。
同居しています。
わがままばあさんです。
まぁこの遺伝子をわしも持っているのかと思うと、なんか凄いなあ
さて競馬の話。想定を見ると、東京競馬場に一極集中しています。
当然ですねー。
美浦組は小倉の18時間長距離輸送を嫌います。
小倉には関東馬馬房が200前後ありますが、この輸送ストレスで、常にフル回転はしません。
もう少し美浦組も積極的に西へ行くといいのだけれど。
で、本題。
ニシノレヴナントとセイウンパシュート。どちらも上原博之厩舎。
どちらも3歳未勝利の1800か2000の芝を使いたいけど、出馬ラッシュ除外で使えない。
上原『社長どうしましょうか?』
わし「2400ならギリギリ入れそうだけど。セイウンパシュートは?ハーツクライだし距離は持つでしょう。」
上原『いや、それならニシノレヴナントの方が2400適正はありそうです。』
わし「ネロですけど。」
上原『大丈夫です。』
わし「ではニシノレヴナントは東京芝2400で、セイウンパシュートは中山まで待ちましょう。」
上原「了解しました。」
わし「あ、それから・・ニシノスーベニアそろそろ勝たしてね。」
上原『わかっております。戸崎に頼みました。』
わし「おお、それは楽しみです。」
こんな馬主と調教師の普通の会話をしました。
出馬表を見て、ニシノレヴナントは8枠18番。大外。
この馬は能力はあるけど、馬っけが強くてきちんと調教ができないので昨年去勢されている。
それでもパドックではカリカリしている。
スタートは悪く、後方待機。3コーナーで馬が行きたがって大野騎手が外へ出し、4コーナーは大外ぶん回し。
しかし、そこから一気に差し切った。
1200と新潟千直しか勝ったことのないネロの子が・・
何百回書いたかわからんが、ネロはタニノの谷水さんがウオッカと命名し走ったので、わしもたまには冠無しで、何頭かか命名しよう、
でニシノタカラヅカの子に宝塚演題の『皇帝ネロ』からネロを命名しました。
「ニシノネロ」だったら運命が変わっていました。(のちに説明。)
京阪杯(G III)を2年連続で勝利。
ニシノフラワーの母デュプリシトの孫。
デュプリシトのクロスを作りたかったわしは種牡馬にした。
一昨年の夏、日本軽種馬協会の専務から連絡が入り、
『種牡馬ネロを売却して欲しい。理由は日本軽種馬協会が入れたヨハネスブルグの後継馬にしたい。ただし九州の鹿児島での繋養になります。』
(鹿児島か。冬は暖かいからゴルフは最高だし、夏は芋焼酎のジョッキでロックもいいなぁ。)
などと言う不純な動機ではなく、ネロのことを考えたら、西山牧場の限られた繁殖でなく、多くの種付けができる環境の方がいいだろうと考えて売却を決めた。
ただし特約で毎年西山牧場の繁殖は5頭まで無料で種付けできるオーナー権利を残した。
そして、今の3歳世代がファーストクロップ。
ニシノピウモッソは芝1400で勝ち、セイウンダマシイはダート1200で勝ち上がり。
まぁ予定通り。
そしてこの衝撃のニシノレヴナント芝2400。
騸馬ゆえにクラシックは出られない。
さて、ニシノレヴナントより、どうするかはネロである。
九州に5~6頭繁殖牝馬を置いてある。しかし、配合を考え直す必要が出てきた。
デュプリシトのクロスだけでなく走りそう。
売却は早かったか?
余談ながら日本軽種馬協会は公共の団体であり、もし馬名が『ニシノネロ』だったら西山茂行の個人臭が強く買ってもらえなかったかも。
冠無しなので、協会の種牡馬になれた、と思っている。
まあ3歳、2歳、たくさんネロの子がいます。
楽しみばかりになってきました。