もう1つのワールドカップ 知的障害者サッカー南アフリカ大会 | 安田菜津紀 Little Photographer

安田菜津紀 Little Photographer

フォトジャーナリストやすだなつきが写真と一緒に綴るストーリー


安田菜津紀 Little Photographer


昨年ホームレス・ワールドカップ、ミラノ大会を取材していたわけですが、

今実は「もう1つのワールドカップ」の取材に少し携わっています。


今年南アフリカで開催されるワールドカップ。

楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。


その大会後、知的障害者サッカーのワールドカップが開催されるのです。

http://nhfs.jp/


前回のドイツ大会は「プライドinブルー」という映画にもなっているのですが、


選手たちは知的障害その他の発達障害を抱えています。

日本代表になる選手たちは軽度の障害であるために、自身が障害認定された瞬間をはっきり覚えています。


自分自身が障害者であること、そして養護学校という環境に対する葛藤、

さらに就職や結婚をめぐる悩み。」この障害をとりまく社会のあり方が問われていると感じます。


発達障害を抱える人々と日々接する中で、

この障害は感性の触れ幅が、一般的な触れ幅と少し違う、

そして才能がある一定の部分に集約されている、と私はとらえています。


そのため「こんなところに気がつくんだ!」と驚くことや、

全ての人にこうした特長があるとは限りませんが、カレンダーを何千年分も暗記してしまう記憶力など、

飛びぬけた才能を見せてくれることがあります。


先日、疑問を持たざるを得ない新聞記事を見つけました。

内容を簡単にまとめるとこのようなことです。


①発達障害は治療が可能であること

②発達障害に対応した教育によって公的な出費がかさんでいること

③言葉かけなどで発達障害の「人間性」が回復する

④虐待を受けた子供の57%に発達障害が認められ、広汎性発達障害(自閉症とアスペルガー症候群)が25%、ADHDが23%



ひとつずつ見ていきます。


①「発達障害は治療が可能であること」に対して

例えばADHD(多動性障害)の中には先天的と後天的があり、後天的の場合は、

環境調整でかなり改善することが分かっています。

けれど一般的に発達障害は先天的です。この場合、「治療」をするという発想ではなく、

「治療教育」つまり「療育」によってその適応能力を改善していきます。

つまりその特性をかかえたまま、社会への適応能力をあげるだけではなく、

周りの受入能力もあげていく必要があるのです。


②「発達障害に対応した教育によって公的な出費がかさんでいること」に対して

これに対して非常にネガティブにとらえるのは疑問が残ります。

教育は人間形成の過程であり、子どもたちの性質を均一にすることではないはずです。


③「言葉かけなどで発達障害の「人間性」が回復する」に対して

「人間性」が回復する、という言葉自体に、非常に違和感があります。

発達障害を抱える人々は、ある種独特の世界とのつながり方をしていますが、

非常に個性的な人間性がそれぞれにあります。

これは障害を持たない側の価値観を押し付けているようにとらえられます。


④「虐待を受けた子供の57%に発達障害が認められ、広汎性発達障害(自閉症とアスペルガー症候群)が25%、ADHDが23%」に対して

これでは因果関係がはっきりしません。

前述の通り、例えばADHD(多動性障害)の中には先天的と後天的があり、

後天的の場合は虐待が主な原因です。しかし高機能自閉症やアスペルガー症候群は、

一般的に先天的と考えます。物事に対して周囲の子どもとは違う反応を示すため、

戸惑ったり、周囲の助けのない親御さんが虐待に至ってしまう、といったケースが相次いでいます。

つまり虐待が発達障害を引き起こすのではなく、発達障害が虐待につながってしまうのです。

この書き方では、「あそこの家の子どもは親が虐待したからアスペルガー症候群なんだ」という

一昔前の偏見が再び頭をもたげてしまいます。



長くなってしまい、すみません。

発達障害をめぐる問題は、非常に「見えにくい」問題です。

ですが私たちの周りに必ず存在するものです。


私自身がまだまだこれからも知り続けたいことであって、

その中で広く知ってもらうことができる取材がしたいと思っています。


誰もやらないなら自分がやろう。

それがインディペンデントのフォトジャーナリストの意義なのだと思います。