ひな祭りの3/3から、マロンのお待ちかねの婆ちゃん(私の母)が来ています
マロンは実家で11年弱、婆ちゃんは私がいない日中によくお世話をしてくれていたのです。
あと何時間で婆ちゃんが来るよ!とマロンに声をかけていたら
立てなくなっていたはずなのに、奇跡的に1度自力で立って生チモシーを拾い食いしました!
マロンの勇姿です。
可愛い可愛いマロン、婆ちゃんが来るのを心待ちにしてたんだと思います。
前日はあまり食べなくて心配していましたが、今日はにんじん、ライフケア、いちご、ブロッコリーと、たくさん食べました。
この写真はいちごにがっつきすぎてブレてる!
そして、このブレてる写真がマロンの生きている最後の写真になりました。
2021.3.3 20:38:07
マロンが永眠しました。
4045日はマロンが我が家にやってきてから一緒に過ごした日数です。
このブログを始める時、実はもうそろそろじゃないかと勘付きはじめて毎日泣いていました。
マロンは生きていることが奇跡、何があっても生きてることだけで充分と思ってください
とずっとお医者さんに言われていました。
ここまで生きているのは、婆ちゃんが会いに来るのを待っているんだろうなって思ってました。
文字通り、マロンは婆ちゃんが来るのを待っていて
婆ちゃんが来てほんの数時間後、近くで外食して戻って来ていつも通り、体勢を崩したマロンを立て直してクッションへ。
すると、ママの顔をじーっと見て口をパクパクしました。
同じ行動は前日にもあったので、まさか最期の挨拶だと思わなかったのです。
声をあげることも苦しむこともせず、ゆっくりと呼吸で揺れていた身体が、静かに止まりました。
亡くなっているのか、まだ動けるのか、すぐにはわかりませんでした。
介護をさせてもらうこと
最期を看取らせてもらうこと
ママの願いをしっかりと叶えてくれ、2人の前で静かに息を引き取りました。
そして3/4、マロンをお見送りしてきました。
マロンが過ごした神戸へ帰ってお見送りすることも考えましたが、とってもいい業者さんに出逢えて、マロンの出身地であるここ熊本でマロンとよいお別れをすることができました。
毎日が幸せで楽しかった11年と27日は夢のように去っていきました。
あの日々は何だったんだろう?マロンは少しでもうちにきてよかったって思ってくれたかな?
いろいろ考えますが、不思議と今後悔はしていません。
病気がわかってからの3ヶ月半、私はマロンだけのために生きてきて、私の思いつく精一杯のことはしてきたからかもしれません。
大好きな旅行にも行かず実家にも戻らず、ジム通いもせずに仕事が終われば真っ直ぐ帰って
でも不思議と我慢でも苦痛でもなくて、ただただマロンのお世話をしたい一心でした。
でもこれからいろいろ実感して、もっと悲しいおもいをするかもしれません。
マロン、何十年先になるかわからないけど、ママがそっちに行く時はちゃんと道案内してね!
また戻ってきてくれるなら、ママの人間の子供として戻ってきてほしい。その時はママはわからないから、ちゃんとマロン戻ってきたよ!って言ってね!
本当に本当に幸せな楽しい時間をありがとう。
2010.2.5マロンに出逢えてよかった。
マロンのいない世界はまだ想像もできないけれど、マロンに生きるということを教えてもらったから、ママはマロンとの思い出を胸にこれからも生きていきます。
ずっとずっと大好きだよ。