土曜日は恒例の動物病院へ行ってきました。

マロンの報告とご挨拶でうさぎ

飼い主の心のケアも考えてくださる先生で、「飼い主さんもよく頑張りましたね、相当頑張られたでしょうから、これからはゆっくりしてくださいね」と言ってくださいました。



でも私の頑張りなんて、マロンにしてやれることなんて些細な事でしかなかったと思っています。

結局はマロンが「まだ生きたい!この世にいたい!」思ってくれないと、どれだけママがお世話をしても生きられなかったのですから!

私は思いつく出来ることと、したい事をしただけだから、私なんかよりもっと頑張ったマロンを褒めてほしい照れ

母からも最後まで頑張ってよく面倒を見たと言われますが、やっぱり頑張ったのはマロンで私には違和感しかないのです。(ひねくれ者かな笑)







まだブログでは軽くしかふれてこなかったけれど、見てくださっている🐇飼いさん達に少しでも参考になれば、あと私の記録用として、長くなりそうですが、病気のことを書き留めていきたいと思います。



病気がわかったのは11歳直前の2020/11/15。

爪切りのために引越し先の熊本で、初めての病院へ連れて行ったことがきっかけです。


爪切りだけなら近くの病院でもよかったけど、高齢のマロンがいつお世話になるかわからないこともあり

ご挨拶も兼ねて、うさぎさんが診られるその病院に行くことにしました。

この時の判断は本当に正しかったと思っています。


マロンは神戸の病院で半年に1回健康診断を受けていました。

6歳の頃に超初期の子宮癌がわかり、全摘。1度命拾いをしています。


神戸の主治医はストレスになるから、と無症状での血液検査やレントゲンには消極的でした。


お腹の触診、耳と歯と目のチェック、心臓音のチェック

神戸での最後の健診を、10/4に終えたところでした。





そして爪が伸びてきて11/15新しい病院で

「子宮癌の時以来レントゲンや血液検査をしてないなら、高齢ですし一度してみてもいいかもしれませんよ」そんな先生の一言でした。


血液検査の結果や触診、心音も良好。

ただ、レントゲンだけが・・・


肺全体に白くもやがかり、カリフラワー状の白い腫瘍も肺に写っていました。

肺の下に何か(腫瘍?)があるということで、心臓が写っていませんでした。気道が上を向いており、息をするのが苦しくなっているとのこと。


「おそらく肺ガンでしょう。病理検査に出しても時間がかかる。私の経験上、今日この瞬間に亡くなっても、今夜でも全くおかしくないです。よくこの状況で普通に立っていられるなと思います。」


本当にまさかでした。まさか可愛いうちのマロンがそんなはずはないと。

しかも子宮はとっているし、うさぎは肺が原発巣となる可能性は極めて低いらしいのに、よりによってなんでうちのマロンが。



レントゲン前先生から、

「この子はいつも揺れていますか?」と聞かれました。

病院にいる緊張でドキドキしてましたが、家にいる時も確かに揺れていて、それは年齢から来るものだと聞いていたので、私も何も疑わずにいたのです。


でもそれは腹式呼吸で、本当は息をするのが苦しい合図だったのです。




半年に一回の健診は何だったのか?なぜ誰も気付かなかったのか?

全てを恨みました。神戸の先生も、毎月爪切りに連れて行ってたうさぎ専門店さんも。


そして何よりも1番身近にいて気付けなかった私。先生の反対を押し切ってでも、神戸の病院でレントゲン検査をお願いしなかった私に。





熊本に来る時、高齢のマロンを連れてくるべきか本当に迷っていました。

長距離移動・環境の変化・平日は1人でお留守番…


熊本に連れてきてしまった事が原因ではないかと、同時に後悔しました。

でも1,2ヶ月で悪化した肺の状態ではなく、熊本に来るずっと前から悪かったはずだというのです。そして普通に食べて●も出していて、見た目にもほとんど現れていないから、これはレントゲンを撮らなければわからなかったことだと。



病気の事がわかっていたら、間違いなく私は泣く泣くマロンと離れることを決断し、実家においてきたでしょう。

長距離移動させるのは酷だし、共働きで平日は家を空ける私より、母がずっとついてた方がいいと思うから。




でも今は、早い段階で気づけなかったことも、誰を恨むこともしていません。

本当に親バカで都合のいい話ですが、きっとマロンは辛い中隠し通して、決死の覚悟で私について来てくれたと思うからです。


この話とそれからの闘病生活の話は、長くなるのでまた後日書きたいと思います。



うさぎネザーランド・ドワーフうさぎネザーランド・ドワーフうさぎネザーランド・ドワーフうさぎネザーランド・ドワーフうさぎネザーランド・ドワーフうさぎネザーランド・ドワーフうさぎネザーランド・ドワーフ



先生が言った、「私の経験上では」という言葉。

マロンは多くのうさぎさんを診てきた先生の経験上、信じられない程の長生きをしてくれました。


これからはマロンの事が先生の経験の1つに加わって、同じ病気と診断された🐇飼いさんへ

「私の経験上3ヶ月半頑張った子もいるので頑張りましょう!」と、希望の一言になることを願っています。


マロンがいなくなって、1週間以上が経ちました。

私の気分は波があり

もう大丈夫かも!私って意外と冷たい奴…?

と思うこともあれば、急に思い出して涙してしまうこともあります。

でもなんだろう、ずーっと胸の真ん中あたりが重く苦しいのです。


マロンという我が子と過ごした日々が幻だったような、あの子がいた日々がたまに信じられない…11年も一緒に暮らしたはずなのに、そんな変なことを感じることもあるのです。





話は変わり、パパが2週間近い出張から帰ってきました。

ばあちゃんが来ていたのも、パパの不在にあわせてでした。

パパはマロンの看取りもお見送りも、できていません。

パパとは5ヶ月しか暮らしてないから、3/3マロンはパパを待たずに旅立ってしまったのだと思っていました。



ところが、マロンは亡くなる2日前出張中のパパの夢に出てきたらしいのです。


夢の中でのマロンはぴょんぴょんと走り回り、とっても元気だったそうで、マロンじゃないみたいだったけど、たしかにマロンだったと言うのです。


パパはマロンが高齢になってからしか知らないので、うさぎが部屋を猛ダッシュで駆け回ることや、大ジャンプをすることは知りません。

大人しい生き物だと思っていたらしい(笑)





きっと、3/1はパパに挨拶に行って、3/2は最後にママと一緒に寝て、3/3に婆ちゃんを待って、旅立っていったのだと思います。


ただの親バカの考えだと思われるかもしれません。

でも、きっと「なにか」ってあると思うのです。


最後のたった5ヶ月だったけれど、パパはマロンによくしてくれました。

パパから見たら、マロンはママの連れ子の🐇なのに…

してあげられる全てのことをしてあげよう、と言ってくれたのもパパです。


ママはマロンのことしか考えてなくて、家事も適当、マロンとの時間が最優先・・・離婚される夢を見る程に(笑)、私自身も申し訳なさを感じていましたショボーン



パパと暮らしはじめて、マロンがパパに早く懐くように、マロンの大好きな朝のサプリ係にパパを任命していました。


作戦はいかに…下矢印下矢印下矢印




ツンデレだから表には出さないけれど、きっとマロンはわかっていて、パパにも感謝していたのだと思います照れ


前に一緒に暮らしていたハムスターもそうですが、動物って高齢になると人間と心を通わせるというか、人間になるんだろうなぁ。

とあらためて感じたのでした。




マロンを見送る前日は、マロンとママと婆ちゃんの3人で寝ました。

マロンのゲージは枕元で、マロンから2人が見えるように。


9月まで神戸で暮らしていたあの頃のように。



身体が小さく、毛艶がよかったためよく若く見られたマロンですが

病気をしてからは換毛せず痩せてしまい、苦しそうで若々しさがなくなってました。(どんな状態でも可愛いにかわりはないけど)



ですがあれだけ苦しそうだったマロンが、安らかで顔が笑っているようにみえました。

撫でてあげると艶々になって、なんだか若さを取り戻して、子ウサギに戻ったみたい。




マロンは見送るその時まで、身体が硬くなりませんでした。

顔は笑っているし、手足も柔らかいし、ママは目を開けたまま眠っているだけか判断ができず


本当にこのまま火葬して大丈夫?マロン明日はあっちっちするよ?ダメなら言わないと!

何度も話しかけましたが、マロンは穏やかな笑顔のまま。




戸惑う中、マロンを見送るための業者探しが始まりました。

マロンママとしての最後のお仕事。


熊本で翌日見つからなければ、マロンは神戸に帰りたいということだと思って、翌日神戸に帰るつもりでいました。


ところが、熊本で安心してマロンを見送れると思えるとっても素敵な業者さんに出逢えました。


我が家の場所的に近くでのお見送りは難しく、車社会の熊本でママは運転ができません。

そのうえ熊本の土地勘がないためどこでお見送りができるのか検討もつきませんでした。


それを伝えた上で、業者さんが我が家からタクシーで行ける距離でゆっくりお見送りできる場所を、わざわざ探してくださりました。


小さな山の上のお寺がある公園でした。




現地待ち合わせでタクシーで向かったのですが・・・


まさかの地元の方なのに、道路工事中のおじさんに誤った道を教えられて隣の山の公園に到着笑い泣き

予定時間の3倍かかって目的地へ到着しました。




マロンがニヤリとしてるように見えました。多分、まだお別れしたくなくて最後に悪あがきしたんだろうなぁ。



お花も添えられるとのことでしたが、マロンはどう考えても花より団子だったので

全て好きだった食べ物を添えてあげました。



大好きだったにんじん葉。

マロンファーム(リビングの小さな家庭菜園)で育てたにんじん葉を、花束にして持たせました。

マロンだけの生牧草を育てている小さなファームです。


業者さんはなかなか来ない私達を待ってくださって、お見送りもお骨拾いも、心ゆくまで時間をくださりました。

最後はタクシーが来るまで、車の屋根の下で待たせてくださりました…


夜景スポットだったようで、帰りは小さくなったマロンを抱きながら、夜景を見ながら家まで戻ってきました。



夜寝る前、朝起きた時、ご飯を食べる時、家を出る時、帰る時

どんな時もマロンのことばかり考えていたので、寂しいや悲しいという言葉では表せない感情が溢れています。

時間薬というけれど、ずっと胸のあたりがずっしり重くて苦しくてたまらない。


マロンのお世話しかしていなかったので、1日の時間の使い方がわかりません。


実はパパは週末まで出張でいません。

幸い、母がまだこちらにいてくれています。母にはご飯を食べてもらわないといけないから、私もつられるように食べています。



母がいてくれて本当によかった。


同じように、マロンもママがいてくれてよかった。って少しでも思ってくれていると嬉しいな。




そしてコメントいただいた皆様、ありがとうございます😊

まだまだ立ち直るのは難しいですが、皆様からの温かいコメントに感謝しております。

マロンが生きた軌跡を、マロンの勇姿を見ていただけていると思うと、少しずつ気持ちが落ち着いていくような気がします。