俺はヤマトンチュ | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

AFTER THE GOLD RUSH-中川五郎/終わりはじまる 中川五郎が18歳の時に作った「俺はヤマトンチュ」は、本土の人間の沖縄に対する無神経さを皮肉ったトピカルソングだ。この歌の中で、本土復帰前の沖縄を観光をする「俺」は、ひめゆり学徒隊が玉砕した洞窟にビールの空き缶を捨て、3ドルで沖縄の女を抱き、嘉手納基地に並んだ「カッコイイ戦闘機」に感動し、うちの子は飛行機を見るのが好きだから連れてくればよかったと呟く。

 

今から52年前、1959年6月30日、沖縄・宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落し、児童11人を含む17人が死亡し、200人を超す負傷者を出すという世界でも類のない航空機事故があった。事故当時、小学校では2時間目が終わり、丁度、ミルク給食の時間であった。脱脂粉乳のミルクを飲んでいた子供たちは、凄まじい衝撃と燃え盛る炎の中、ある者は全身火だるまになり、また、ある者は血まみれになり、息絶えていった。一方、パラシュートで脱出した操縦士のジョン・シュミット大尉は、墜落にあたり「嘉手納基地とコザ市を避けた」として評価され、一切責任は問われなかった。

 

何という不条理、何という屈辱。しかし、この痛ましい事件は、米軍占領下の沖縄で起こったということもあり、本土にはほとんど伝わらず、遺族も長い間沈黙を強いられたという。AFTER THE GOLD RUSH-フクギの雫


昨日(12月3日)、文京シビック小ホールで上演された「フクギの雫」は、宮森小ジェット機墜落事件の遺族らの証言をもとに構成された舞台劇だ。演じるのは沖縄の若者たち。事件を風化させてはならないと、遺族や体験者に聞き取りを重ね、自ら台本、作曲、演奏等を担当し、舞台を創り上げた。重たい劇だった。子供を亡くした母親のモノローグでは、客席のあちこちからすすり泣く声が漏れてきた。

 

入場時に配布された小冊子「『沖縄』関連資料」が、基地問題を考える上で大変有益。これによると、本土復帰後の沖縄における米軍基地関係の事件・事故は、航空機関連が497件、米軍兵による犯罪は5,634件発生。2004年には、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落・炎上している。宮森小の悲劇は終わってはいない。沖縄に基地がある限り、何度でも繰り返されることだろう。

 

中川五郎は「俺はヤマトンチュ」を、ウチナーンチュの視点に立ってこう締めくくる。「おまえらはヤマトンチュ/優越感のかたまり/視察という名でやってきた政治家も/いつもすまないと懺悔するばかり/どうしてよそごとで済ませててしまうんだ/沖縄をおまえの中に沈めておくれ/ぼくらの痛みは おまえのとは違うのか?」。1968年に作られたこの歌が今なおいささかも古びていないことを、私たち一人一人が「自分の問題」として受け止め、恥じ入るべきだろう。