The Passing Show | AFTER THE GOLD RUSH

AFTER THE GOLD RUSH

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな音楽よ――

Life And Music Of Ronnie Lane ようやくロニーの映画(The Passing Show - The Life & Music of Ronnie Lane)を観ることができた。陳腐極まりない邦題にも、やたらとMODSを強調した見当違いのDVDパッケージにも、この際目をつぶろう。そんな日本側のくだらない事情などどうでも良くなるくらい内容は良かった。

 

ロックスターとして世界的な成功を収めながら、自らそのポジションを捨て、金とも華やかなスポットライトとも縁の無い寂れた田舎道を歩き続けた男。人はこういう男のことをしばしば「変わり者」という。でも、ぼくはこの映画を見て、なおも彼のことを「変わり者」と言うようなやつとは、永遠に共感し合うことはないだろう。

 

俗人は往々にしてこういうことを言う。-金を儲けたんだろ? 運転手付きのキャディラックは? プール付きの豪邸を何故買わない? ロニーは、フェイセズ成功後も週7ポンドの安アパートに住み続けた。70年代初頭、彼は全収入を4駆に機材を積み込んだ移動スタジオに注ぎ込んだ。そして、彼は自分の気持ちに正直であろうとしたが故に、栄光の道が約束されていたフェイセズを去ることになる。

「ウー・ラ・ラ録音時、ロッドが姿を見せなくなった。何故だ?と思った。スティーブ(・マリオット)の時と同じだ。今度は俺が先に出ていく。後に残されるのはイヤだ。」

 

フェイセズ脱退後、「わずかな見込み(Slim Chance )」と名付けられた彼の新しいバンドは、田園に吹く風のような愛すべき音楽を生み出しつつも、サーカス団のドサ周りのようなパッシング・ショウで次第に消耗し、最後はツアーの金庫番に金を持ち逃げされ、「わずかな勝つ見込み(Slim Chance of winning)」さえ失ってしまう。しかし、挫折の暗さは微塵もない。ドラマーのブルース・ローランドの言葉がいい。「金を失ったがロニーは気にしていなかった。俺も楽しかった。安全で堅い生き方より面白い方がいい。水の泡になってもね。」

 

映画の後半は冷静な気持ちで見ることができない。難病の多発性脳脊髄硬化症に侵され、性格は気難しくなり、ベースのピックを握ることも、そして歩くことも、普通に喋ることもままならなくなってしまう。さらに、ストーンズやクラプトンなど多くのミュージシャン仲間の協力を得て設立したARMS基金の100万ドルを、同じ病気を患う弁護士に横領され、自らも起訴されてしまうくだりは、実に辛い。

Ronnie Lane

だから、テキサス州オースティンに移住し、そこで、良き仲間たちと出会い、穏やかな表情で再び歌い始めるロニーの姿に胸があつくなる。オースティンのビッグ・マムークラブで「ウー・ラ・ラ」を歌う彼の映像に重なって、1997年の最期の時の様子が、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガンら旧友の口から語られる。ぼくが特に好きなのは、ロニーの友人、ラッセル・シュラグバウムが語る次のようなエピソードだ。

 

「寝たきりになった彼は小さくて、弱々しくなってしまった。か細い声は聞こえず、唯一動かせるのは右手だけだった。微笑んでは頭を回す。妻のスーザンが言った。“この人 死んだフリをするの”。ユーモアのセンスは失っていなかったんだ(笑)。死んだフリをし、目をパッと開けて笑いだす。悪い冗談だ(笑)」

 

こうして、ロニー・レインは、ぼくの中に簡単にはいりこんでしまった。
最後に、「Live In Austin」に収録されている、1989年クリスマスの「Nowhere to Run」を聴くたび泣けてしょうがないことを白状しつつ、この出来の悪い感想文を終わることにしよう。

 

Live in Austin/Ronnie Lane