『ジェンダー・フリー教育』を全面禁止せよ
学校では男女平等と習うが社会に出たとたん、女性は大事にされず、外国人より低い扱いをされる。一生分の女性の給料は男性の6割しかない。
女性は責任ある役職にはつけず、給料は上がらない。
養わねばならない家族がいても、扶養控除というわずかな控除をつけてもらうのみ。男性は結婚して「家族」を養うということで、能力が無くても女性よりも優遇される。女性は男性に支配されずに子供を産みたくても、結婚して家に主夫を置くような給料も無いので、主夫になりたい男性とめぐりあえたとしても
男は働くべきだという従来の考え方にしばられているし
経済的に主夫を養うほどの給料も得ていないので結婚に踏み切れず、結局、独身のまま。
無理して結婚して子供ができても産休は求められず、結局職を失う。
政府が法律を作っても、中小企業の事業主は従わない。
主婦は子供の教育費をかせぐためパートに出るが、子供ができたら堕胎する。
幼稚園も少ない。保育園も少ない。一般人は、家政婦も雇えないし、日本には、気軽に雇えるナニーもいない。政府から乳母を雇う補助も出るわけでもない。
だから、堕胎をする女性のほとんどは主婦なのだそうだ。10代で堕胎をする人は、堕胎をする人全体の3割程度らしい。
だから、堕胎をする女性のほとんどは主婦なのだそうだ。10代で堕胎をする人は、堕胎をする人全体の3割程度らしい。
ようするに、女性を大事にしないから少子化になるのだ。
~~~~~
ジェンダーフリーとその思想的系譜(マイミク在米日本人さんより引用)
2007-12-14-Fri CATEGORY: ジェンダーフリー
マイミクの風さんが、日記の中で、『教育を救う保守の哲学』の中の、「ジェンダーフリーの思想的系譜」の部分を要約されていたので、UPしておきますす。
ここから引用↓
『教育を救う保守の哲学』(徳間書店・2003)、中川八洋氏と渡部昇一氏との座談の第三節「『ジェンダー・フリー教育』を全面禁止せよ」の中から、中川氏の発言のみを、引用・要約してみます。(P71~85)
日本人の子供たちから、「男らしさ」「女らしさ」を抹殺し、両性具有のカタツムリに改造しようとしているのがジェンダー・フリー教育の狙いです。千葉市の男女共同参画課は、実際にそのパンフレットにカタツムリの絵を描き、「人間の理想」だと書いています(1999年)。確かに、生物界では、両性具有のカタツムリのみ、男性性と女性性とが合体して中立化し、はっきりしません。
マルクス主義の反体制革命の一つとして、米国における1960年代半ばからのヒッピー現象に見られる「性解放」運動が日本の「性教育」のきっかけになりました。1990年代初めの「援助交際」擁護の狂気は、この「性器・性交教育」から分派として発展し「売春奨励教育」となったのです。いずれも、ルソーとマルクスが考えた、性道徳の紊乱と背徳の持つ、社会秩序破壊の力が革命への起爆となるのを期待したのです。
日本人が正常と異常の区別も出来ない狂人となって、日本という国が狂人だらけとなって社会が腐るように溶けて崩壊するようにもって行くのが、「ジェンダー・フリー教育」です。一方、日本人を大人になってもいつまでも淫乱で色情狂の非行少年・少女のままに人格を後輩させていくのが「性器・性交教育」です。系譜にしておきます。
1.ルソー → マルクス『共産党宣言』 → レーニン → 「性器・性交教育」
2.平等主義/社会主義 → フェミニズム → → → →
3.フロイト/ニーチェ/ハイデッガー等 → ポストモダン→
2.+3.=「ジェンダー・フリー思想」
米国のヒッピーの流行は、1963年頃からの、あの台風のような「ウーマン・リブ」の発生とも同時期でした。彼らはフランクフルト宗派のマルクーゼを「教祖」にして乱交とマリファナとロックンロールに『エロス的文明』の到来を妄想していました。しかし、米国が、この性道徳を含め、道徳復興に精を出すようになるまで、僅か数年で、1970年代半ばには「ウーマン・リブ」を敗退に追い込みます。米国の多数が反撃に出たのです。
むろん、敵もさるもの、1970年代には「ウーマン・リブ」の言葉を「フェミニズム」に変えて、次に、「ジェンダー」なる概念をでっちあげて、フェミニズムは消滅せずに生き残りました。つまり、数的な劣勢を、毒性を強めて質的にカバーする努力の模索から、「ジェンダー」を振り回す過激なフェミニズムが、成長してきたのです。
また、米国と仏のフェミニストたちが、フェミニズムとポスト・モダン思想を結合させました。仏のポスト・モダン思想は、ドイツのハイデッガーやニーチェ、あるいはフロイトを母胎にして、ソ連軍がチェコ侵略した1968 年頃から誕生し発展したものです。ソ連に対するイメージが地に堕ち、ソ連美化による共産革命に代替する新しい方法として考えついたものです。
なお、ハイデッガーは、ヘーゲルを父、ヘルダーリンを母として生まれたナチストです。
フランス革命とナポレオンに心酔して、ドイツを愛せないヘーゲルとは、ルソーを基軸に「脳が腐るような哲学」を構築した権力亡者でした。ヘルダーリンは、祖国を古代ギリシャに求めて、これまた自国ドイツを呪詛したルソー以上にひどい精神病者の詩人でした。
ポスト・モダン系フェミニズムを米国から輸入した日本の「赤い狂人たち」が、ふとしたことから、1995年頃に、「ジェンダー・フリー」を創ります。純日本産のドグマです。「バリア・フリー」からヒントを得たと言われています。
子供への関心が弱くなった親の無責任の横行が、これを好機とばかりに、「ジェンダー・フリー」が暴れるのを助長しています。
福島瑞穂氏を例として持ち出すまでもなく、1990年代前半に日本を家族解体運動に誘導した、その運動家たちが、この1990年代後半には「ジェンダー・フリー」に精を出しています。どうもはるか以前から、「性教育→ 家族解体(夫婦別姓)」と「フェミニズム→ジェンダー・フリー→人格破壊」の2つの運動を統合した計画が、左翼の中で、絶えず繰り返し練り直しつつ立案されていたと考えられます。
「性器・性交教育 → 家族解体 → ジェンダー・フリー教育 → 子供の人格破壊」の戦略が、周到に練られていたということです。
「ジェンダー・フリー」という現代日本のカルト宗教の教説は、2つのキーワードを狡猾に駆使した詭弁で構成されています。「ジェンダー」と「セクシュアリティ」という言葉です。
男性・女性という2つの性の分化は、後天的・制度的・文化的に形成されたのだから、後天的・制度的・文化的にこの2つの性の分化を止めさせることができる、という詭弁のための空体語が前者の「ジェンダー」です。男性・女性という「性」は生物すべてに共通していて、生まれながらに決まっていて、後天的に作られることは決してありません。脳医学のイロハです。
それになのに、先天的・生物学的な「性」をセックス、後天的・制度的な「性」をジェンダーと名付けて、セックスという「性」はともかく、「ジェンダー」という「性」がさも存在するかのようなレトリックを考案したのです。
「社会」が男と女というジェンダーを作ったから、「社会」はまたジェンダーを変えてよいという教説-狂説-は、こうして組み立てられたのです。しかし、女の子が思春期になると自然に初潮が始まり、胸が膨らんでくるように、ジェンダーはどこにもありません。
「社会」が初潮をつくり、胸を発育させたのではありません。「性」はすべて、生まれたときに定まっています。これは今では医学的に証明されている、不動の真理です。
今日の「脳の性差」の研究の成果は、ますますジェンダーという「世紀の大嘘」の正体を暴いています。「男性の脳」と「女性の脳」は歴然と相違します(新井康充『脳の性差』共立出版)。しかも、この脳は、生まれたと同時に誰もさわっていませんから、社会がその相違を作ることは万が一にも無かったことは自明に過ぎます。
それでもなお、もし、ジェンダーが存在すると言いたいので有れば、子どもは脳の手術を受けて男や女になったと証明しなければならない。
「セクシュアリティ」というのは、重度の統合失調症であった、ゲイのミシェル・フーコーが作った、「ポスト・モダン」の言説の一つです。自殺未遂二回の経歴のあるフーコーは、ルソーが自分と同じ重度の精神病患者であることで、ルソーが好きでたまらなかった。ルソーの作品『ルソー、ジャンジャックを裁く-対話』の出版に際しフーコーが書いた序文は、「狂人こそ正常」という、気持ちの悪いルソー弁護論ですが、加えて、そこにはルソーへの「愛」が迸っていて気持ちが悪い。
フーコーの思想は、一言で言えば、マルクスとニーチェとハイデッガーをブレンドしておいて、その上にルソーを振りかけたものです。その歴史の研究を装った方法論は、ルソーの『人間不平等起源論』の模倣で、フーコーの初著作で根拠とあげている歴史的資料は資料的価値のない、出鱈目の限りです。
『性の歴史』を書いた、フーコーの言説「人間の性的欲望(セクシュアリティ)は生物学的・医学的なものでなく、社会が形成した」とは、「俺の異常な性欲も異常なゲイ行動もみんな社会のせいだ」と言いたいのと同じです。しかし、この言説を使って日本のフェミニストが「ジェンダーフリー」を作りました。
男女の性的行動が生物学的・医学的であるのに、「性的行動も社会的に作られた」という詭弁が、フーコーという権威ある学者からお墨付きを得たというわけです。そして、これを反転させると「男女の性的行動を社会的に作ってよい」、という狂説を捏造することができます。
このように、フーコーに従えば、「性愛」を機械のごとくに「身体」と「快楽」に分解して、「男女の間に恋愛や愛情、心の絆などは、要らない。身体と接触させて、快楽だけを求め合うべきだ」という、究極のソドム化かされた社会に退嬰・転落させていく、理屈がすぐつくれるのです。
フランスのエリザベート・バダンテールという、日本のフェミニストが重要視する人物の言説を紹介すれば、「男女間の生殖を貶しめ、女に子供を産ませず、男が子供を産むべきだ」などと妄想して、人類滅亡を期待する「トンデモ本」の一つです。
邦訳を引用してみます。
「もし人類が将来、母親の代わりに機械や男性が子供を産むのを受け入れるとすれば…、男女の関係や社会の存続をどのように考えればよいのだろうか。…『人類』は滅びるのだろうか…」(バダンテール『男は女 女は男』筑摩書房、317~8)
日本だけ、男女間性差への攻撃運動が盛んなのです。『アンチ・ヘテロセクシズム』という、そのものずばりの題名の本まであります。もっとわかり易い日本語にすれば『くたばれ!、男女の愛』とでもいうものでしょう。
フェミニストは、とくに、夫婦愛を含めた、男女間の精神上の愛情を嫌悪を持って破壊しようとしているのです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=170083941&owner_id=4031455
2007-12-14-Fri CATEGORY: ジェンダーフリー
マイミクの風さんが、日記の中で、『教育を救う保守の哲学』の中の、「ジェンダーフリーの思想的系譜」の部分を要約されていたので、UPしておきますす。
ここから引用↓
『教育を救う保守の哲学』(徳間書店・2003)、中川八洋氏と渡部昇一氏との座談の第三節「『ジェンダー・フリー教育』を全面禁止せよ」の中から、中川氏の発言のみを、引用・要約してみます。(P71~85)
日本人の子供たちから、「男らしさ」「女らしさ」を抹殺し、両性具有のカタツムリに改造しようとしているのがジェンダー・フリー教育の狙いです。千葉市の男女共同参画課は、実際にそのパンフレットにカタツムリの絵を描き、「人間の理想」だと書いています(1999年)。確かに、生物界では、両性具有のカタツムリのみ、男性性と女性性とが合体して中立化し、はっきりしません。
マルクス主義の反体制革命の一つとして、米国における1960年代半ばからのヒッピー現象に見られる「性解放」運動が日本の「性教育」のきっかけになりました。1990年代初めの「援助交際」擁護の狂気は、この「性器・性交教育」から分派として発展し「売春奨励教育」となったのです。いずれも、ルソーとマルクスが考えた、性道徳の紊乱と背徳の持つ、社会秩序破壊の力が革命への起爆となるのを期待したのです。
日本人が正常と異常の区別も出来ない狂人となって、日本という国が狂人だらけとなって社会が腐るように溶けて崩壊するようにもって行くのが、「ジェンダー・フリー教育」です。一方、日本人を大人になってもいつまでも淫乱で色情狂の非行少年・少女のままに人格を後輩させていくのが「性器・性交教育」です。系譜にしておきます。
1.ルソー → マルクス『共産党宣言』 → レーニン → 「性器・性交教育」
2.平等主義/社会主義 → フェミニズム → → → →
3.フロイト/ニーチェ/ハイデッガー等 → ポストモダン→
2.+3.=「ジェンダー・フリー思想」
米国のヒッピーの流行は、1963年頃からの、あの台風のような「ウーマン・リブ」の発生とも同時期でした。彼らはフランクフルト宗派のマルクーゼを「教祖」にして乱交とマリファナとロックンロールに『エロス的文明』の到来を妄想していました。しかし、米国が、この性道徳を含め、道徳復興に精を出すようになるまで、僅か数年で、1970年代半ばには「ウーマン・リブ」を敗退に追い込みます。米国の多数が反撃に出たのです。
むろん、敵もさるもの、1970年代には「ウーマン・リブ」の言葉を「フェミニズム」に変えて、次に、「ジェンダー」なる概念をでっちあげて、フェミニズムは消滅せずに生き残りました。つまり、数的な劣勢を、毒性を強めて質的にカバーする努力の模索から、「ジェンダー」を振り回す過激なフェミニズムが、成長してきたのです。
また、米国と仏のフェミニストたちが、フェミニズムとポスト・モダン思想を結合させました。仏のポスト・モダン思想は、ドイツのハイデッガーやニーチェ、あるいはフロイトを母胎にして、ソ連軍がチェコ侵略した1968 年頃から誕生し発展したものです。ソ連に対するイメージが地に堕ち、ソ連美化による共産革命に代替する新しい方法として考えついたものです。
なお、ハイデッガーは、ヘーゲルを父、ヘルダーリンを母として生まれたナチストです。
フランス革命とナポレオンに心酔して、ドイツを愛せないヘーゲルとは、ルソーを基軸に「脳が腐るような哲学」を構築した権力亡者でした。ヘルダーリンは、祖国を古代ギリシャに求めて、これまた自国ドイツを呪詛したルソー以上にひどい精神病者の詩人でした。
ポスト・モダン系フェミニズムを米国から輸入した日本の「赤い狂人たち」が、ふとしたことから、1995年頃に、「ジェンダー・フリー」を創ります。純日本産のドグマです。「バリア・フリー」からヒントを得たと言われています。
子供への関心が弱くなった親の無責任の横行が、これを好機とばかりに、「ジェンダー・フリー」が暴れるのを助長しています。
福島瑞穂氏を例として持ち出すまでもなく、1990年代前半に日本を家族解体運動に誘導した、その運動家たちが、この1990年代後半には「ジェンダー・フリー」に精を出しています。どうもはるか以前から、「性教育→ 家族解体(夫婦別姓)」と「フェミニズム→ジェンダー・フリー→人格破壊」の2つの運動を統合した計画が、左翼の中で、絶えず繰り返し練り直しつつ立案されていたと考えられます。
「性器・性交教育 → 家族解体 → ジェンダー・フリー教育 → 子供の人格破壊」の戦略が、周到に練られていたということです。
「ジェンダー・フリー」という現代日本のカルト宗教の教説は、2つのキーワードを狡猾に駆使した詭弁で構成されています。「ジェンダー」と「セクシュアリティ」という言葉です。
男性・女性という2つの性の分化は、後天的・制度的・文化的に形成されたのだから、後天的・制度的・文化的にこの2つの性の分化を止めさせることができる、という詭弁のための空体語が前者の「ジェンダー」です。男性・女性という「性」は生物すべてに共通していて、生まれながらに決まっていて、後天的に作られることは決してありません。脳医学のイロハです。
それになのに、先天的・生物学的な「性」をセックス、後天的・制度的な「性」をジェンダーと名付けて、セックスという「性」はともかく、「ジェンダー」という「性」がさも存在するかのようなレトリックを考案したのです。
「社会」が男と女というジェンダーを作ったから、「社会」はまたジェンダーを変えてよいという教説-狂説-は、こうして組み立てられたのです。しかし、女の子が思春期になると自然に初潮が始まり、胸が膨らんでくるように、ジェンダーはどこにもありません。
「社会」が初潮をつくり、胸を発育させたのではありません。「性」はすべて、生まれたときに定まっています。これは今では医学的に証明されている、不動の真理です。
今日の「脳の性差」の研究の成果は、ますますジェンダーという「世紀の大嘘」の正体を暴いています。「男性の脳」と「女性の脳」は歴然と相違します(新井康充『脳の性差』共立出版)。しかも、この脳は、生まれたと同時に誰もさわっていませんから、社会がその相違を作ることは万が一にも無かったことは自明に過ぎます。
それでもなお、もし、ジェンダーが存在すると言いたいので有れば、子どもは脳の手術を受けて男や女になったと証明しなければならない。
「セクシュアリティ」というのは、重度の統合失調症であった、ゲイのミシェル・フーコーが作った、「ポスト・モダン」の言説の一つです。自殺未遂二回の経歴のあるフーコーは、ルソーが自分と同じ重度の精神病患者であることで、ルソーが好きでたまらなかった。ルソーの作品『ルソー、ジャンジャックを裁く-対話』の出版に際しフーコーが書いた序文は、「狂人こそ正常」という、気持ちの悪いルソー弁護論ですが、加えて、そこにはルソーへの「愛」が迸っていて気持ちが悪い。
フーコーの思想は、一言で言えば、マルクスとニーチェとハイデッガーをブレンドしておいて、その上にルソーを振りかけたものです。その歴史の研究を装った方法論は、ルソーの『人間不平等起源論』の模倣で、フーコーの初著作で根拠とあげている歴史的資料は資料的価値のない、出鱈目の限りです。
『性の歴史』を書いた、フーコーの言説「人間の性的欲望(セクシュアリティ)は生物学的・医学的なものでなく、社会が形成した」とは、「俺の異常な性欲も異常なゲイ行動もみんな社会のせいだ」と言いたいのと同じです。しかし、この言説を使って日本のフェミニストが「ジェンダーフリー」を作りました。
男女の性的行動が生物学的・医学的であるのに、「性的行動も社会的に作られた」という詭弁が、フーコーという権威ある学者からお墨付きを得たというわけです。そして、これを反転させると「男女の性的行動を社会的に作ってよい」、という狂説を捏造することができます。
このように、フーコーに従えば、「性愛」を機械のごとくに「身体」と「快楽」に分解して、「男女の間に恋愛や愛情、心の絆などは、要らない。身体と接触させて、快楽だけを求め合うべきだ」という、究極のソドム化かされた社会に退嬰・転落させていく、理屈がすぐつくれるのです。
フランスのエリザベート・バダンテールという、日本のフェミニストが重要視する人物の言説を紹介すれば、「男女間の生殖を貶しめ、女に子供を産ませず、男が子供を産むべきだ」などと妄想して、人類滅亡を期待する「トンデモ本」の一つです。
邦訳を引用してみます。
「もし人類が将来、母親の代わりに機械や男性が子供を産むのを受け入れるとすれば…、男女の関係や社会の存続をどのように考えればよいのだろうか。…『人類』は滅びるのだろうか…」(バダンテール『男は女 女は男』筑摩書房、317~8)
日本だけ、男女間性差への攻撃運動が盛んなのです。『アンチ・ヘテロセクシズム』という、そのものずばりの題名の本まであります。もっとわかり易い日本語にすれば『くたばれ!、男女の愛』とでもいうものでしょう。
フェミニストは、とくに、夫婦愛を含めた、男女間の精神上の愛情を嫌悪を持って破壊しようとしているのです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=170083941&owner_id=4031455
Ⅱ-ジェンダーフリーの学校教育の現状
:「では、定義が不明確なままで、思想的に偏向した学校教育で現在、どのような事がおきているのですか?」
:「良識ある教師の報告を通じ、思想色の強い『ジェンダーフリー教育』の実態が次第に、暴露されています。また、その偏向教育に反発する家族や学生側の動きも出ています。」
恐るべしジェンダーフリー教育(小中高一貫思想教育)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=988729&comm_id=165104
ジェンダーフリー反対署名10万!高校生仙台反対デモ
Ⅲ-ジェンダーフリーの学校教育での工作
~「過激な性教育」と「ジェンダーフリー」~
:「近年、『性教育』を指導しているはず教師が生徒に対する性犯罪により、続々と逮捕されています。一体、この性教育は、どんな教育で、『ジェンダーフリー』との関係はどうなっているのですか?」
:「性教育に関しては、1992年に『性教協』という左翼団体が日教組と連動し、副読本として学校教育に持ち込んだ事から始まりました。その内容から「過激な性教育」と呼ばれるようになり、「ジェンダーフリー」と思想的に酷似する共通点が多く、共通の特定団体が、多数関与している事が、すでに、判明しています。
【過激な性教育】副読本を作成した左翼団体(性教協)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1533484&comm_id=165104
【過激な性教育】偏向メディア、情報操作開始
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1245928&comm_id=165104
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1245928&comm_id=165104
【過激な性教育】生徒に対する教師の性犯罪が続出
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5736128&comm_id=165104
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5736128&comm_id=165104
Ⅳ-ジェンダーフリーと家庭教育
:「実際、学校教育で行われている内容が家庭で表面化しにくかったのはなぜですか?」
:「学校によって教育内容を親に話さないようにと口止めしたり、専業主婦を母親に持つ子供に、専業主婦を批判したりしていました。しかし、思想実験場と化した教室の現状に、多くの保護者が戸惑い、教育の意図を問う声が強くなっています。これは、自民党が行った『過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査』によって公になり、ジェンダーフリーが社会問題として取り上げられるようになりました。」
「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1731544&comm_id=165104
Ⅴ-ジェンダーフリーと男女共同参画
:「学校教育で行われていた『ジェンダーフリー』が、地域社会で『男女共同参画』として行われていますが、現状は、どうなっているのでしょうか?」
:「この偏向思想は、学校教育のみならず、社会運動にも連結され、歪んだ男女差別は、歪んだ家庭観、歪んだ歴史観、反日教育に繋がっている。全国の男女共同参画の議論を見れば、一目瞭然で、活動の影に常に左翼活動家が見え隠れする事がわかります」
【男女共同参画】と「ジェンダーフリー」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=934688&comm_id=165104
【男女共同参画】『女性の社会進出』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2361570&comm_id=165104
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2361570&comm_id=165104
【男女共同参画】『ケーススタディー@千葉県』
Ⅵ-ジェンダーフリーとフェミニスト(フェミニズム)
:「ジェンダーフリーを主張するフェミニストの目的は?」
:「国政の場で、著名なジェンダーフリー推進者には、共通の言行があります。それは、ジェンダーフリ->男女差別->慰安婦賠償問題->日本歴史批判という流れをもち、常に、ジェンダーフリーと『東京裁判史観』を関連つけるという点にあります。恫喝上手な共産国家の保護下で、国内外で、地下活動を行い、国籍不明の反日活動が展開され、国益の妨げになっているのが現状です。」
<人名リスト>
【フェミニスト名鑑】-堂本暁子(千葉県知事)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6319235&comm_id=165104
『日本カトリック正義と平和協議会』(正平協)@宗教
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=18089193&comm_id=165104
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=18089193&comm_id=165104
Ⅶ-米国教育界と社会の崩壊と真相、及びその教訓
:「推進者がよく米国を引き合いに出してきますが、米国の現状はどうなっているのでしょうか?」
:「日本の歪んだ差別教育の結末は、反面教師として、米国を学べば一目瞭然です。現在、米国では、嘗て日本と同様の偏向教育を行い、家庭教育と社会秩序は、完全に崩壊しました。現在、是正に、莫大な予算を投じていますが、一度崩壊したものを修復するのは、並大抵の努力ではできません。また、修復を阻む、歪んだ権利を主張する一大勢力が、国政を大きく阻んでいるのが現状です。」
『ルソーに追随した米国教育の崩壊』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1802133&comm_id=165104
Ⅷ-国連人権委員会・人権NGOを使う捏造工作
:「フェミニストの国会議員は、国を守る事がその責任であるはずですが、なぜ、国内の問題を海外に繋げようとするのですか?また、国連や人権NGOとの関係はどうなっているのですか?」
:「フェミニストは、ジェンダーフリーの国際的認知を得るため、人権NGOや国連を通じ共産主義国家と連携をとりながら、左翼的な反日運動の一貫として、国際世論の捏造工作を行い、国連を利用し、国際世論として捏造し、反日活動を行っています。日本国民は、ジェンダーフリーを軸にした左翼の国内外の工作を構造的に理解することが重要です。
【国連工作】フェミニズムに牛耳られた国連
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9781892&comm_id=165104
Ⅸ-他国の男女平等論観
:「フェミニストの主張する男女の区別を差別と歪め、区別までもなくそうとする日本のフェミの動きに対して他国の現状はどうなのでしょうか?」
:「実際、日本のフェミニスのやっている男女平等は他国でも受け入れにくい歪んだ内容です。実際の日本のフェミの主張を聞いて首を傾げる他国の女性も多く存在します。従って、他国に向ける内容と国内で主張する内容を意図的に使い分けて捏造するという手法を使っているのが現状です。」
【海外比較】中国の労働法の女性従業員項目
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14939519&comm_id=165104
以上 在米日本人さま の ジェンダーフリーをぶった切れ(ミクシーコミニュティ)より引用させていただきました。