江沢民=反日を武器にナショナリズムを扇動=日本人を中国嫌いにした元凶 | 日本のお姉さん

江沢民=反日を武器にナショナリズムを扇動=日本人を中国嫌いにした元凶

インドネシア人の友人はアメリカの音楽が大好き。

でも、アメリカが大嫌いだと言っている。

「音楽や映画は好きでもアメリカは嫌いだ。」と言っている。

だから、チュウゴク人が日本のアニメを好んで海賊版のマンガを読んだり

日本のAV女優が好きだとしても、やはり幼稚園の頃から

反日教育を受けて育っているので日本やアメリカを心の底で憎んでいる。

でも、アメリカや日本に住むチャンスがあれば喜んでそのチャンスに飛びつく。心で憎みつつ現実には楽な生活ができる方に飛びつく。それがチュウゴク人というものです。それだったら、アメリカや日本の悪口を言わなきゃいいのに、アメリカや日本の世話になりつつ心の中で憎んで悪口を言う。


まるで仕事をしないで家に引きこもって親の世話になっているくせに

親に感謝もせず、恩返しもせず、

逆に心底親を憎むニート(古い響き、、、。)みたいな感じ。


ある介護関係の施設で働くクリスチャンのアメリカ人は、

「チュウゴク人はアメリカで学んでチュウゴクで役に立つ人物になりたいと言って介護関係の留学を申し込んでくるけど、どのチュウゴク人もせっかくお世話をしても、全員アメリカに住みついてチュウゴクに帰らないから、もうチュウゴク人は受け入れたくない。」と言っていた。


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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成24(2012)年3月25日(日曜日)
    通巻第3599号 


 『中国を変えた男 江沢民』の著者ロバート・ローレンス・クーン
       今度は習近平を持ち上げるカメレオンぶり
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 江沢民が中国を変えた?
 そうたしかに。果てしなき混沌と不動産バブルの基礎条件をつくり、軍にすりよって反日を武器にナショナリズムを扇動して一流国家の指導者を装った。そういう意味で江沢民は「偉大」である。そして日本人を中国嫌いにした元凶となった。宮中晩餐会に人民服で登場し、歴史を鏡とする演説をなして江沢民は傲慢にふんぞり返った。

 この江沢民を偉大な指導者とたたえ英語の伝記を書いた男がいる。その原作は日本語にも翻訳されたが、まったく注目されずに書店からは消えた。
著者はロバート・ローレンス・クーンといって機関投資家、金融理論家である。『中国指導者は何を考えるか』という著作もあるが、別の顔は米国における中国の代理人。
 二月の習近平訪米時、舞台裏でオハイオ州、カリフォルニア州における「微笑外交」の演出を巧妙にアドバイスした。

 そのクーン、今度は習近平へ取り入った。
 「彼はシステム、言語、ビジネス習慣、風俗が異なる福建省、浙江省、そして上海特別市と三つの行政機関のトップをつとめた。これはヨーロッパでたとえるなら三つの国で首相を務めたと同義語である」

 「習近平がモットーとしているのは『誇りを持ち、自己満足せず、横柄にならず、実務的であり、従属せず、常に正統を心がけよ』とするもので高い地位を誇らず、党を率いながらも確実に着実に変化を求めていくだろう。保守派や批判者がいうように臆病で大胆なことが出来ないというのではなく、習近平は地殻変動的な変革を、こつこつと焦らずにやり遂げる。現状維持が目的ではなく、かと言って変革の方向性はまだ見えていないが、確実なのは毛沢東時代への郷愁はないし、ポピュリズムにおぼれて、カルト的な個人崇拝をもとめる政治スタイルを採用することもないだろう」(ヘラルドトリビューン、3月25日付けコラム)。

 カルト的個人崇拝は、ネット情報の発達した中国で、もはやあり得ない(日本の橋下狂乱ブームのほうが危険だ)、ポピュリズムが中国政治の主流になると勘違いした薄き来はすってんころりんと失脚したように、この分析はアナクロではないのか。
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会沢正志斎から福沢諭吉へ、近代思想史に新しい視点からメスをいれた
     幕末のナショナリズムは狂気でも攘夷の情念でもなかった
中野剛志『日本思想史新論』(ちくま新書)
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 評  多田彰矢
  ○
最近、『TPP亡国論』などで論陣を張っている気鋭の経済学者の新著である。副題に「プラグマティズムからナショナリズムヘ」と謳われているが、これが本書のキーワードであることを示している。
筆者は従来の狂信的な排外主義思想とみなされてきた会沢正志斎に代表される後期水戸学と一方全く対照的な文明開化・開国主義の旗手とされてきた福澤諭吉の思想が実はともにプラグマティズムに裏打ちされたナショナリズム思想、すなわち尊王攘夷思想であることを精緻に説き明かしている。
まさに画期的なかつ極めて新鮮な観点からの日本思想史論である。書名に「新論」という言葉を付しているのはもちろん会沢正志斎の代表作の題名を意識していることはいうまでもない。

筆者はいう。丸山真男や司馬遼太郎など戦後民主主義のイデオローグたちは会沢正志斎などの水戸学が唱導した尊王攘夷論を非合理主義的な観念論と非難攻撃し、更には大東亜戦争の敗戦の責任まで押し付け、その延長線上に今日のTPPやグローバリズムを第二の開国として賛美する論者を位置づける。
筆者はこうした開国主義賛美思想に真っ向から反論する。それも会沢正志斎の思想を正確に辿り、また開国主義者たちがその思想的援軍に利用しようとする福澤諭吉が実は水戸学と何らかわらない尊王攘夷思想の持主であったことを実証的に説明する。まさに戦後の民主主義思想、近代化主義、開国主義を論理的に余すところなく粉砕してゆくのはある意味で爽快、感動的ですらある。


▼新論はファナティックではなく、じつにプラグマティックだ
 
筆者によれば幕末の尊王攘夷論とは、今とは比べものにならない国家的危機に鋭敏に反応して生まれた極めてプラグマティックな思想である。
その代表格である会沢正志斎の『新論』は当時これを読まない志士たちは恥とされたほど、国家的危機を意識した青年たちに読まれたが、筆者はその『新論』の思想が決して観念的な排外主義ではなくて、すぐれて先駆性、戦略性そして論理性をもったものであることを述べる。そして筆者は水戸学がもつプラグマティズムの源流を伊藤仁斎や荻生徂徠などの古学の実証主義にまでさかのぼる。

それゆえ尊王攘夷思想は決して観念論ではなく、『新論』がもつ国家戦略性はまさにそれゆえに明治維新の革命的イデオロギーとなったのである。筆者はいう。「伊藤仁斎、荻生徂徠、会沢正志斎そして福澤諭吉。この四人の思想家を直列させたとき、我々は戦後日本を支配してきた開国物語の呪縛から解放され、実学という日本のプラグマティズムを回復し、そして日本のナショナリズムを健全な姿で取り戻すことができるのである。」と。ここに本書の狙いが言い尽くされている。
また古学から水戸学につながる尊王思想の中心にある万世一系の皇統の連続性が語られる。

福澤諭吉もやはり皇統の連続性、神聖性を認めている。筆者は「維新後においても、水戸学の尊王攘夷思想のような、プラグマティズムに裏打ちされたナショナリズムの精神を継承した思想家がいたのである。それは誰あろう、福澤諭吉その人であった。」と断言する。

以下、筆者は「福澤諭吉の文明開化論が尊王攘夷論と対立するものであるとの通説を破壊する」とさえ宣言する。福澤には『帝室論』や『尊王論』などの著作があり、そこにおいて福澤は皇統の連続性を神聖なものとして信じて疑わない。福澤にとって国家の独立、国民の独立そして万世一系の皇統の連続性と神聖性はすべて一体のものである。

最後に「あとがき」で筆者は桶谷秀昭の『昭和の精神史』を引用しながら、昭和45年の三島由紀夫の自決にも触れる。


▼三島由紀夫の自決の意味は?

「昭和四十五年とは、三島由紀夫が自裁した年である。おそらく桶谷は、三島の自裁に、過去の日本を引きずっていた肉体、すなわち『国体』の滅亡を象徴的に感じとったのであろう。」と。昭和四十六年生まれの筆者にとって「しかし、そうだとしたら(中略)生まれたときにはすでに日本の国体は滅びていたということになるからだ。」
「昭和四十六年以降の日本とは、肉体がすでに滅んでいるのに、眼だけが開いて、うつろに宙を見ているということになるのだろうか。」と筆者が生きている時代に根本的な疑問をぶつけている。
しかし筆者は必ずしもまだこの国に絶望していないことは最近の主張からも窺える。今度は筆者の三島由紀夫観を聞いてみたいと思うのである。「三島以後」生まれの、頼もしい論客が登場したとの思いがする。
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樋泉克夫のコラム
 樋泉克夫のコラム
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【知道中国 730回】         
     ――へリクツ、いいがかり・・・天に向かって吐いたツバ
『反動階級的“聖人”――孔子』(楊栄国編写 人民出版社 1973年)

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中国には万巻の古典から片言隻語を掻き集め、ゴ主人サマの意に沿うような“大文章”を自由自在にデッチあげ、ゴ主人サマに尻尾を振り、ゴ主人サマにとっては不倶戴天となる政敵潰しの片棒を懸命に担ぐ学者商売がある。もちろん、ゴ主人サマがコケて権力の舞台から転げ落ちれば、「水に落ちた犬に石を投げつけろ」の格言を忠実に守って、昨日までのゴ主人サマに向かって懸命に石を投げつける。投げつける石がなくなると、また新しいゴ主人サマ探しを始める。
こういった太い神経を持つ懲りない面々を筆杆子ともいう。

その典型が、文革が始まるや「私のこれまでの著作はデタラメだった。全部燃やすべきだ」と高らかに宣言し、毛沢東に媚び諂った郭沫若だろう。郭に負けず劣らず有能な筆杆子が、この本を著した楊栄国。国を栄えさせる・・・何とも皮肉な名前だ。彼はゴ主人サマである四人組のために、該博な古典知識を武器にして批林批孔の戦線へ躍り出た。

「孔子が生きた春秋時代末年は、周王朝の種族奴隷制国家が崩壊に向かおうとする時代だった」と書き出され、「種族奴隷制度の下では、奴隷はブタや犬に劣る生活を強いられただけでなく、命すら奴隷所有者の手に委ねられていた。奴隷所有者は奴隷を思いのままに殺すこともできた」と続け、「社会は変革し、時代は前進する! 奴隷たちは造反し、新しく興った力が前進を続け、奴隷所有階級は不安なままに終末を迎える。歴史の潮流が逆巻くなか、社会の大変革の渦中で、奴隷所有貴族たちは没落への道を歩む」とくれば、この本で楊が語ろうとする主張の粗方は予想できるだろう。

つまり孔子は前進する歴史の潮流に逆らい、新しい時代を切り拓こうとする造反した奴隷に楯突き、没落を運命づけられた奴隷所有階級に奉仕し続けた極悪非道の反動ヤローということになる。

かくして楊は孔子の反動振りの証明に躍起となる。その一例だが、楊は「元来、孔子は奴隷は働かせればいいだけで、決して知識を持たせてはならないと考えていた」とし、その論拠に『論語』(泰伯 第八)の「子曰く、民は之に由ら使む可し。之を知ら使らしむ可駆らず」を挙げる。だが、この部分を素直に読めば「老先生の教えられるところでは、人々を政策に従わせることはできるものの、政策の意義や目的を理解させることは存外に難しいものだ」となるはず。つまりコジツケ、いいがかり、ヘリクツが筆杆子の武器なのだ。

かくして結論は、「これまで述べたことから、ある結論を導き出せる。凡そ歴史の歯車を逆転させようとする輩は、とどのつまり、ありとあらゆる悪知恵を持ち出して孔子という幽霊を担ぎ出す。劉少奇、林彪などというヤツラがそれだ。こうして彼らは資本主義を復活させ、プロレタリア独裁を転覆させようという反動目的を達成させるべく画策した」ということになるわけだ。

そしていま21世紀初頭の金満情況に在って、「ありとあらゆる悪知恵を持ち出して」いるかどうかは知らないが、共産党政権は「孔子という幽霊を担ぎ出」し、国内では民族文化の精華として孔子を崇め奉り、海外では“輝かしい中国文化”を教え広める拠点として孔子学院なる機関を大々的に展開中だ。ということは楊の理屈に従えば、現在の共産党政権は「資本主義を復活させ、プロレタリア独裁を転覆させようという反動目的を達成させるべく画策し」、「歴史の歯車を逆転させようと」していることになる・・・なぜか納得。
《QED》
       ◎◎ ◎ ◎◎
  ♪
(読者の声1) 東京国際アニメフェアが25日まで開催されましたが、国内の大手企業はほとんど出展しませんでした。
東京都青少年健全育成条例改正案を巡っての対立から角川書店を中心とする大手はアニメコンテンツエキスポを3月31日~4月1日に幕張メッセで開催、そちらの方が内容ははるかに充実しています。
アニメフェアでの放送局のブースなど展示はポスターのみで実質商談会場になっています。中国企業の出展の多さに注目する報道が多いようですが、中国がアニメにどんなに力を入れたところで基本的にストーリーもキャラクターも手本がないと作れないため永久に下請けのままでしょう。
中国での作文教育は小学校からいかにいい文章を書くかであり、現実の描写や感情の表現といったものは一切考慮されない。その結果、大学生になっても論文はコピー&ペースト、新聞には次のような記事が載ることになります。
「日本の小学生の作文表現力はスゴイ!それに比べ、中国の小学生は…―中国紙」
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59218


美術にしても写生はできても自由画はまったく描けない。
アニメの原作となることの多いマンガにしても、日本では作者と編集者の共同作業といった面が強いのに、中国人と韓国人は編集の意見を聞こうとしないといいます。独りよがりの作品では商業誌での連載など無理。アニメも結局は日本の作品のパクり、あるいは過去の作品の繰り返しばかりとなります。四川省成都の遊園地に作られた偽ガンダムなどいい例ですが、30年以上前の作品が未だにシリーズとして続き、秋葉原のガンダムカフェなど外国人観光客も多い。
ポケモンは世界中で人気ですが、マレーシアに住むボスニア紛争を経験したセルビア人の見方はとても興味深いものでした。
http://ameblo.jp/self-neo/entry-10811670082.html


「パキモン(ポケモン)には何百種類ものモンスターがいて、しかも全部特徴や性格が違う。息子エミールは今塾に行ってるけど、車で友達を送迎する時、子供たちの話題はいつもパキモンだ」。
「エミールは白人とマレー人のハーフで肌が白く、ちょっと人見知りで、オレは正直、息子が学校でいじめられないかと不安だった。ところが引っ込み思案で勉強大好きの息子も、パキモンのおかげでマレー人、中国人、インド人の子供たちといつも笑顔で語り合える
「日本のカートゥーンには、世界中の子供たちを友達にする不思議な力があるようだ。子供たちはいつも自分のお気に入りのキャラクターが誰か、どこがどう好きなのか、どっちがどう強いのか、どのキャラクターがどうなったのかを時間を忘れて話し合っている」
「アメリカの映画やアニメにそれができるか?できない! 日本にしかできない。オレは本当に日本のカートゥーンに感謝している。息子は生まれた時からウルトラマンが好きだった。娘はナルトが大好きだ。家に帰ったらいつも話題はそればかり。日本なしにオレの家族の幸せは考えられない」
「マレーシアではブミプトラ政策が制度疲労を見せていて、マレー系、中国系、インド系の家庭に不公平感が広がっている。こうした不公平感を取り除くには、子供たちの笑顔しかないとオレは思う。もし、パキモンランドができて全民族の子供たちが仲良く遊び、子供たちを連れてきた親たちがその姿を見れば、マレーシアの調和にどれだけ貢献するか。オレは時々思うんだ。セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人が殺し合ったあのボスニア紛争の前に、もしバルカン半島の子供たちがパキモンを通じて遊ぶことができていれば、あんな殺し合いはしなくてよかったかもしれない、って」
「アメリカのアニメや映画は思想が浅い。単純な勧善懲悪の物語に強すぎるヒーローが出てきて、いつも同じパターンだ。結局は真珠湾攻撃、ボスニア紛争、イラク戦争、アフガン戦争をアニメや映画にしただけで、ブッシュ政権並みの単調さだ」
「ところがパキモンはどうだ。強いモンスターも負けることがある。敵が味方になることもあれば、主人公が絶体絶命に陥って反省したり、学んだりする。登場するモンスターはみんな愛情を持ってそれぞれの個性を発揮し、複雑な展開の中で子供たちを虜にする展開を見せる。オレは子供たちからパキモンの話を聞くたびに、一体日本人ってやつらは、どこまで深い思想を持ってるのかと驚くんだ」
実際、ドラえもんやクレヨンしんちゃんの劇場版なども大人の鑑賞に耐える作品で驚かされます。
江戸時代には孔子・老師・お釈迦様が連れ立って遊郭に遊びに行く、といった黄表紙が書かれるほど宗教・権威から自由だった日本と、儒教的束縛が根強く残り、さらに共産党の縛りまである中国では競争にすらならないでしょうね。
  (PB生、千葉)

(宮崎正弘のコメント)ドラえもんは『奇妙猫』でしたか、全巻、海賊版がでています。中国語に翻訳されて、それも一冊が日本円換算で十五円とかです。ポケモンも中国の若者のほとんどが知っていますね。AKB48とか、蒼井空とか、アイドルもポルノ女優も同時進行。この国が「反日」というのは信じられないですね。
 24日に鳩山とか興石とかが北京で個別に習近平にあったらしいけれど、土産は当然、ポケモンだったり?
       ○ ○○ ○○   ◎ ◎
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『絶望の大国 中国の真実』(石平氏との対談。ワック、933円)
『日米安保、五十年』(西部邁氏との対談。海竜社、1680円)
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