参議院選挙を考える | 日本のお姉さん

参議院選挙を考える

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はじめに


 今度の選挙は年金が争点だそうです。確かに年金は国民生活に密着した重要なシステムであり、とりわけ有権者の多くを占める中高年層には大きな関心事です。しかしながら、国政選挙の論点が年金だけとは、いささか大局観を欠いているように思うのは私だけでしょうか。国の政治とはそもそも常に国際的、歴史的文脈で考えてみる必要があります。

 今回の総選挙で与党が大敗すれば、安倍首相は退陣となる可能がかなりあります。よって、真に考えるべきは、今安倍を下ろすことが今後50年先、100年先の日本にとって良いのか、悪いのかということだと感じます。


 よって、本ブログでは、安倍内閣の政治的スタンスについて、国際的・歴史的な文脈から整理し、その是非を判断する材料としていただきたいと存じます。なお、私の無知・無理解により誤った事実・分類がなされていることも十分考えられますので、お気づきのことがあったらコメント欄でご指摘ください。また、分類という作業には必然的に作業者の主観が介入しますので、皆様は確実に「ここは違う」という箇所があるかとは思います。その辺はあくまで個々人の考え方の問題なので、私も「これが正しい」と思って整理しているわけではありません。あくまで与えられた情報を元に、自分の主観でこの辺が妥当だろうということをまとめているだけです。同じくコメント欄にて指摘いただいて建設的に議論できるといいと思います。以下、いくつかのパートで議論を進めてまいりますが、とりあえずは総論から。


【総論・国内編】


2つの流れ



 以前にも指摘をしたように、安倍内閣は、歴史的文脈からは日本の旧来からの保守派に属します。この点、古くは革新官僚として満州国で辣腕をふるい、戦後はタカ派として名を馳せた岸信介元首相が彼の祖父であることに象徴されるでしょう。

 また、彼の属している清和会(町村派)は、岸派・鳩山派、さらに古くは立憲政友会の流れを汲み、自民党の中でも親台湾・タカ派で知られています。ちなみに、立憲政友会はロンドン海軍軍縮で統帥権干犯問題で政府を攻撃したり、国際協調外交を旨とした幣原外交を潰したりと、戦前の政党の中でどちらかといえば「右のほう」です。このグループは、改憲、日米安保重視、小さな政府志向などが政策軸と解されます。以下、党内右派・右派と呼称します。


 これに対抗する流れが、戦後政治の中では、先日逝去した宮沢喜一氏に代表されるいわゆる保守本流。ハト派を旨とします。古くは党人を信頼しなかった吉田茂を慕う官僚グループ(いわゆる吉田学校)、平成研究会(いわゆる旧田中派であり、旧橋本派。抵抗勢力で有名)、宏池会あたりで形成されます。わりと中国寄りで有名な加藤紘一などが象徴的です。一昔前まで、日本の支配的な政治勢力でした。軽武装・大きな政府志向・アジアを含む国際協調などが政策軸です。以下、党内左派・左派と呼びます。なお、ここでの右派・左派という言葉には一切言外の非難を含んでおりません。あくまで政策集団の便宜的呼称なのでその点ご承知おきください。


戦後の歴史


 大まかに戦後の保守の歴史をみてみましょう。戦後しばらくは吉田対鳩山が代表する党内左派・右派の路線対立がありました。この時代は、政治ファクターとしてGHQや公職追放、社会党などが出てきて、現代人から見るとかなり複雑です。

 しかし、保守合同・経済重視の流れの中で、明らかな右派の岸政権の後は、池田・佐藤と左右有耶無耶な保守政治が続きます。その後、アメリカの覇権低下などの国際的事情もあいまって田中政権時代はどちらかというと左派の方向に傾斜。

 田中が金脈問題で首相を降りてからは、福田・三木のように再度右派・左派のごちゃごちゃになります。80年代に入ると、レーガン以降のアメリカの「強いアメリカ」政策に対応し、再度明らかな右派の中曽根政権が生まれますが、中曽根時代には闇将軍角栄に象徴されるようにかなり左派の勢力が強く、右派色は不徹底。

 さらに中曽根後は、日米貿易摩擦やバブル崩壊、さらにはクリントンの日本敵視で日本政治は混迷を深めます。自民党が下野したり、村山富一が政権をとったりいろいろありましたが、まあ基本的には左派優位。

 この時代で面白いのは橋本政権です。橋本政権は実のところかなり異色で、出身母体はいわゆる「ハト派」経世会ではありますが、政治的にも経済的にもかなり「タカ派」寄りの改革を志向していました。とはいえ、橋本を除いて、基本的に90年代には保守本流・田中派的政治が強かったと考えて差し支えないと思います。

 以上のように、取り留めのない話ではありますが、基本的に戦後政治は、右派・左派の拮抗、綱引きで動いてきたと考えるべきでしょう。


そして現代


 この流れが変わったのは、評判の悪かった森政権から。森はかなり久々の清和会からの首相です。当時の橋本派に支えられてはいたものの、ここでタカ派が再度政権を抑えたことは、実は日本政治の転機なのではないかと個人的には考えています。

 森のあとは、劇的に小泉政権が誕生しますが、ここに至って日本の政治のタカ派優位は決定付けられます。小泉が経済的問題を軸に「抵抗勢力」を攻撃したことにより、左派の中核だった経世会は多大な打撃を受け、主軸から転落。日本保守政治の中核が、議席の増減を伴い、経世会から清和会に移行したのです。戦後断続的に続いてきた党内右派・左派の対立が決定的に右派優位に転回したということでしょう。

 また、私はこの時期につき、現在の安倍政権を論ずるうえでもうひとつ特筆すべきは、小泉の左派性と、橋本の右派性だと考えています。小泉はその社会思想領域、橋本は経済領域において、所属する派閥の典型的な政策思想から外れていました。小泉はもともとPKOに反対していたり、憲法改正や教育改革に消極的であるなど、憲法改正を是とするタカ派の政策集団からは社会思想において一線を画しています。もちろん、外交政策の面などでタカ派色があったことは事実ですが、典型的な清和会的政治家といえるものではないでしょう。

 また、同じことは経済領域における橋本龍太郎にも言えて、均衡ある発展や高福祉、悪く言えばばら撒き政治を基本としていると目されている経世会で、財政改革や金融ビッグバンを志向した点は、かなり異色といえます。

 その政治手法には大きな違いがあるものの、政策軸で考えると、この2人は、社会政策における左右中立・経済における右派的自由競争を基本とした「慶應保守主義」(私の造語です)ともいうべき、新たな位置にあると考えられます。つまりは、主として経済政策において右派的政策を採用しながらも、戦前の流れを汲む伝統右派とはまた違った位置なのです。


現政権


 こうした流れの中で、安倍政権が小泉からの流れを継承し、同じく清和会から誕生するわけですが、現在その立ち位置は小泉よりも、より伝統右派に近く感じられます。すなわち、経済路線においては基本的に小泉を踏襲するものの、その経済政策への力点は「構造改革」や「民営化」を争点で選挙をしていた小泉よりも低く、「教育改革」や「憲法改正」など小泉があまり関心のあったとは思えない分野にその力点の中心があるのです。わかりやすく言えば、小泉が「竹中的」だったのに対して、安倍が「石原的」といえばいいでしょうか。まあ、右派の変人だった首相が降りて、より正統派な右派な首相が誕生したということでしょう

 小泉・安倍の間で漠然と国民が感じている「質感」の違いは、このへんも原因のひとつではないでしょうか。


 以上をまとめると

①安倍政権は政友会・鳩山一郎あたりからの右派の流れを正面から継承する伝統的右派であり

②その誕生は、小泉以降決定的に優位になった党内右派に支えられており

③そのスタンスは経済を最重視した非伝統的右派の小泉よりも、より社会思想に傾斜している

 と考えられます。大局的に見ると、党内左派壊滅の時代に現れた、伝統的右派のプリンスと言ったところでしょうか。


次回


次回以降は【総論・国際編】で世界的な潮流から検討する安倍政権を考えた後に、【外交防衛政策】【経済政策】【行政機構】【教育】についてその政策軸を歴史的・国際的に位置付けていこうと考えています。

なお、選挙までに終わるのかという疑問もありますが、まあ次回からは端折って簡潔に書くつもりです。どうにか29日までに書き終われば本望なのですが・・・

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チュウゴクに盲目的にみつぐ自民党の政治家は

去った。その時代の人が民主党に行ったそうです。

自民党で、生きている人もいるけど。

今度、日本の首相が民主党か自民党の福田氏になったら、

また日本はチュウゴクにみつぐんでしょうね。

また、昔に逆戻りだよ。by日本のお姉さん