なんこのブログ-7061.gif夏目家の食卓なんこのブログ-7061.gif
 
ドタバタの漱石家の日常を
描いたものなんですが
楽しかったです。
 
『吾が輩は猫である』の漱石と
癇癪持ちの漱石のイメージが
結びつかなかったんですが
イメージに厚みが出た感じです。
 
『草枕』で有名な
 
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば 窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい
 
この部分に
『善いことが書いてあるな~』と
注目して
 
余程、優しく繊細で周りを
気づかい、『生きづらいのかななんこのブログ-1149.gif
と漱石について読むと
どう見ても周りが漱石を気づかっているなんこのブログ-1104.gif
 
智に働き
情に流され
意地を通し…だよなんこのブログ-1104.gifこれじゃ (-_-;)
 
だから周りと軋轢を呼び
生きづらかったのねと見方が変わり
それ以上、漱石について
興味が無くなったのでした。
 
ところがここに10歳年下の
悪妻で有名な漱石の妻
鏡子さんを加えると
『漱石像』か色みをおび始め
 
胃腸の弱いなんこのブログ-1149.gif癇癪持ちの漱石さん。
大ぐらいで夏目家は火の車だったと
あるんで、胃腸弱いので
いっぱい食べたい漱石さん。
 
でも時代が時代だけに本当に
大ぐらいなのかどうか…。
 
 成長期の男の人はお腹が
すいて堪らない時期もあるだろうし
 
時代として現代の大ぐらいと
一緒にして善いものかどうかも
分かりませんね。
(何せ、最初に私も『なんだ。小さな暴君
漱石さんだ。』と理解し間違えたように
理解するのは難しいです。)
 
 
 鏡子さんも『悪妻』という汚名が
あったようですが
 
例えば、5人の子を産み育ていること。
それに加えて、漱石の周りには
いつも飲み食いしている人達が集まって
それもあって台所はいつも火の車。
悪妻と言われた鏡子さんですが
漱石の生前はずっと借家住まいの中
その周りの人達に、ポンと大金を
貸し与えてみたり
 
漱石は、渡航していた時期があり
言わば単身赴任。
その間、鏡子さんが薄給で家を
守っており、嫁入り道具も質種に
かわったとあります。
(漱石も渡航はさんざんだった様子)
 
この時代の女性は余程、良くできた
人達ばかりだったんだな。
この状態で悪妻と言われたぐらい。
 
漱石は、家族に完璧を求める人だったようで…
(ある意味、漱石もそう求められて
育ったのかもしれないけれど。)
 
『夏目家の食卓』では
渡航先では
日本のことを懐かしみ
恋しがり
帰国した漱石が日本の食卓…
卵がけご飯と糠漬けを堪能
したように描かれてるんだけど (;^_^A
 
それでいながら人の前で鏡子さんに
「妊娠ばかりしやがる」と
軽口叩いてみたり…。
(当時は、子供がなければ無いで
妻は家を追い出されてみたり
男の子を産まないと怒られていた人も
あったみたいだから
多産でも、どちらにしても言われるのねと思った。)
 
 ドラマでは、鏡子さんの実母が
殿方は、妻を所有物のように思っていると
台詞にあったんですが
 
面白いのはドラマの終わりのほうで
漱石自身は、『自分は誰のものでもない。自分のものだ。』みたいな台詞を
言うのです。
 
私は、『自分のものは自分のもの。
人のものも自分のもの。』
と言う冗談を思い出し
 
「はいはい」「はいはい」と
大きな子供をあやすように返事をする
鏡子さんに「おおらか~」「いちまい上~」と評価致しました。
 
「アイスクリーム食べたい」
「はいはい」
「白いご飯が食べたい」
「はいはい」
あのドラマが真実ならば
矛盾もふっ飛んで
漱石と鏡子さんのそれなりの夫婦像が
あったのかな~なんて。
 
漱石のくちから出た
「自分は誰のものでもない」と言う台詞
あれは漱石のものだったのか
はてさて。
 
※漱石の「妊娠…」も、漱石自身の
一種の照れ隠しだったのかもしれない。
(言葉を選んで照れ隠ししようね。
良い子は。)
 
漱石について書かれた物には
取り巻きにの飲み食い散財は書かれているが
浮気してるようには書かれていない。
 
「砂糖をまぶしたピーナッツ食べたい」とか
死ぬ前の偉い人が言う話じゃないでしょうと思うけれど、
「はいはい」「はいはい」と
受け流すような鏡子さんの返事を聞いて
 
 
 
  雑貨の番組楽しいな なんこのブログ-0016.gif
 
  子供が小さな頃、
吹きガラスや、陶芸の工房で
ちょくちょく作品作りに
トライさせてましたが なんこのブログ-1025.gif
 
  森の工作館で木工とか
和蝋燭とか蝋燭のデザインとか
 
子供の料理教室とか
 
手作り教室みたいなもので
しょっちゅう遊んでました。
 
 

比較思考というか…
現代は分析したり、比較したり
忙しいでしょ。


好みの問題なんですが
ずっと選択し続けるのも
幸せかどうかは分からないと
思っています。

信頼できるリーダーに
任せっきりならば
それはそれで恵まれていると
思っています。


それでも、子供世代には
選択の重要性を教えとくべきかも
しれないので
やはり親も
情報集め
比較
選択
の技術をある程度
知っておくべきかな。




『選択』にも練習が要るんで

共通のことには選択を控えて
きたと書きましたが

子供には徐々に選択させたという
感じです。

例えば、着るものや髪型に
興味がないのかなと思ったら
年頃になるとお洒落に興味を
持つようになるとか


好みは何となく見ていました。
『手先が器用』とか。



 
  任せっきりと書きましたが
選択に対してだけで
 
実際に動く面では
相手の選択に対して
かなり協力しています。
 
 
 買い出ししてくるとか
移動する時の送迎とか
用事で疲れるだろうから
直接関係ない個人の買い物に
付き合うとか 
書類揃えるとか
問合せするとか  等々。
 
 
  友人に誘われてOKした場合
遊びに行った先でクレーム言うとか
喧嘩など一切したことが
ありません。
 
飛び込みで入ったレストランで
友人が逆に
「ごめんなんこのブログ-1104.gifここ美味しくない。
調べて入れば良かった。」と
相手が言うぐらいです。
 
 
 

共通のことには、礼儀というか
マナーというか、相手の意見を
引き出しやすいように
選択を控えめにしてましたが

自分のことでは
習い事から進路…ずっと
選択してきたので
忙しいと言えば忙しい。


『選択』するには

情報集め
比較
自分の好みを知る

等々の必要があり
手間暇がかかります。


共通のことに積極的に
意見を言わないと書きましたが

相手がその項目に全く興味ない
とわかると
『プレゼン』状態。

商品の場合は、新型技能との違いや
同じ物なら、どの店舗が良いか
商品も何種類かに絞って
店舗も数点に絞って
駐車場の下見までするタイプです。


つまり任せっきりか
プレゼンするかタイプ。



私自身は選択だらけの人生を
送ってきたと思いますが

それが善いこととも
悪いこととも

思っていません。


友人間では、極力選択を
避けてきたかもしれません。

なぜなら、相手の意向を
汲み取ろうとしているためです。


例えば、「〇〇に行きたい」と
意見が出た後には
「これが綺麗らしい。」とか
「ここも見たいな。」と
意向に添った形で、希望やら
情報やプランをくちにしますが
この時点でも、「時間あるかな?」とか
「寄りたい場所あった?」と
何段階にも、相手の意見を聞きます。




賢い人の近くでは
『選択』する必要が無いからな…

と言っても、『選択しない』という
選択をしているんで

それだけでなく、その相手の意見は
正しいかどうか
ずっとではないが観察、評価してるんで

『正しい選択をするリーダー』を選択してる
とも言えるし

リーダーが選べなくても

全く選択していないわけではないと
思います。