

ドタバタの漱石家の日常を
描いたものなんですが
楽しかったです。
『吾が輩は猫である』の漱石と
癇癪持ちの漱石のイメージが
結びつかなかったんですが
イメージに厚みが出た感じです。
『草枕』で有名な
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば 窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい
この部分に
『善いことが書いてあるな~』と
注目して
余程、優しく繊細で周りを
気づかい、『生きづらいのかな
』

と漱石について読むと
どう見ても周りが漱石を気づかっている

智に働き
情に流され
意地を通し…だよ
これじゃ (-_-;)

だから周りと軋轢を呼び
生きづらかったのねと見方が変わり
それ以上、漱石について
興味が無くなったのでした。
ところがここに10歳年下の
悪妻で有名な漱石の妻
鏡子さんを加えると
『漱石像』か色みをおび始め
胃腸の弱い
癇癪持ちの漱石さん。

大ぐらいで夏目家は火の車だったと
あるんで、胃腸弱いので
いっぱい食べたい漱石さん。
でも時代が時代だけに本当に
大ぐらいなのかどうか…。
成長期の男の人はお腹が
すいて堪らない時期もあるだろうし
時代として現代の大ぐらいと
一緒にして善いものかどうかも
分かりませんね。
(何せ、最初に私も『なんだ。小さな暴君
漱石さんだ。』と理解し間違えたように
理解するのは難しいです。)
鏡子さんも『悪妻』という汚名が
あったようですが
例えば、5人の子を産み育ていること。
それに加えて、漱石の周りには
いつも飲み食いしている人達が集まって
それもあって台所はいつも火の車。
悪妻と言われた鏡子さんですが
漱石の生前はずっと借家住まいの中
その周りの人達に、ポンと大金を
貸し与えてみたり
漱石は、渡航していた時期があり
言わば単身赴任。
その間、鏡子さんが薄給で家を
守っており、嫁入り道具も質種に
かわったとあります。
(漱石も渡航はさんざんだった様子)
この時代の女性は余程、良くできた
人達ばかりだったんだな。
この状態で悪妻と言われたぐらい。
漱石は、家族に完璧を求める人だったようで…
(ある意味、漱石もそう求められて
育ったのかもしれないけれど。)
『夏目家の食卓』では
渡航先では
日本のことを懐かしみ
恋しがり
帰国した漱石が日本の食卓…
卵がけご飯と糠漬けを堪能
したように描かれてるんだけど (;^_^A
それでいながら人の前で鏡子さんに
「妊娠ばかりしやがる」と
軽口叩いてみたり…。
(当時は、子供がなければ無いで
妻は家を追い出されてみたり
男の子を産まないと怒られていた人も
あったみたいだから
多産でも、どちらにしても言われるのねと思った。)
ドラマでは、鏡子さんの実母が
殿方は、妻を所有物のように思っていると
台詞にあったんですが
面白いのはドラマの終わりのほうで
漱石自身は、『自分は誰のものでもない。自分のものだ。』みたいな台詞を
言うのです。
私は、『自分のものは自分のもの。
人のものも自分のもの。』
と言う冗談を思い出し
「はいはい」「はいはい」と
大きな子供をあやすように返事をする
鏡子さんに「おおらか~」「いちまい上~」と評価致しました。
「アイスクリーム食べたい」
「はいはい」
「白いご飯が食べたい」
「はいはい」
あのドラマが真実ならば
矛盾もふっ飛んで
漱石と鏡子さんのそれなりの夫婦像が
あったのかな~なんて。
漱石のくちから出た
「自分は誰のものでもない」と言う台詞
あれは漱石のものだったのか
はてさて。
※漱石の「妊娠…」も、漱石自身の
一種の照れ隠しだったのかもしれない。
(言葉を選んで照れ隠ししようね。
良い子は。)
漱石について書かれた物には
取り巻きにの飲み食い散財は書かれているが
浮気してるようには書かれていない。
「砂糖をまぶしたピーナッツ食べたい」とか
死ぬ前の偉い人が言う話じゃないでしょうと思うけれど、
「はいはい」「はいはい」と
受け流すような鏡子さんの返事を聞いて