泥つき野菜は、先に外の水道なり、
台所以外で洗ってから、
台所で皮を剥いたり、した処理してます。



新しいことは、1日、15分間ぐらいだろうと私も思います。

例えば、クローゼットに新たに棚を作るとか…。
普段やりなれてない用事は、
手間隙もかかるし、なかなかやる気になれません。

それに寒くて、おまけに体調不良だとますます、気が乗らない。




『素粒子』のテレビ番組を見ていました。
物理の番組なのに、SF 小説でも読んでいるような気分になる。

『可能性の海』だな~。


『私』という存在が、知覚認識された時に、
『行ききれない、もう一人の私』…陰が、
無限鏡のように広がるイメージがしました。


それは、全く違う姿を持った他者や、
他の生き物達、
他の次元にまで広がっている気がしたのでした。


 『パラレルワールド』
可能性の海。



心が変われば、態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる

ヒンズー教の教え

らしい。

ここまで、思ってないし、
習慣も義務だと思っているわけではないんですが、

・車の発進、停車の時は、ユックリ速度を落とす

ぐらいの気持ち。

まわりが急発進、急停車ではビックリするし、
驚かせてしまうだけでなく、
こちらの「車が動きますよ~」という意図を
さりげなく伝えれるから…ぐらいの
コミュニケーションを意識してる。




46億年の生命の進化を
生命の樹の系統図にすると、
まん丸の球体のようになるらしい。
…と、前に見た。


私の空想は、並行宇宙に、
パラレルワールドの生命樹を描き出す。

地球上に、46億年一緒に生きてきた
系統図が描かれているように、

パラレルワールドには、
可能性の生命樹が花開いているかもしれない。

そこでは、ネアンデルタール人が、
ホモサピエンスと同じように氷河期を乗り越えたかもしれない…。


そんなことを考えながら、何だか
楽しんでます。



 
  絶滅していった、人類の枝分かれした
19種類の人類の話を考えている。なんこのブログ-0103.gif
 
 
  アウストラロピテクスや、パラントロプスや、ネアンデルタール人…。
 
  そんなことを考えていると気持ちがなごむ。
 
 
 
 
“虞美人草”殺人事 件 漱石 百年の恋物語
 番組HP: http://www.nhk.or.jp/archives/premium/
 
 
  また終わりかけから見てしまいました。なんこのブログ-1104.gif
 
  『虞美人草』は読んだことがないんですが、虞美人草の藤尾という女性の死に対して、
“誰が彼女を殺したか?!”という
珍しい討論番組をやっていました。
 
 
  私は、藤尾さんという女性に、ぜんぜん興味がなく…
なぜなら、“事実は小説よりも奇なり”で、
藤尾さんぽい・藤尾さん風・藤尾さんもどきの女性は、
現実にたくさん居て、
小説を読むより、現実の女性達を垣間見るほうが興味深いからです。
(漱石さんの小説に対してではありませんが、
小説では書き込みが甘く、現実の女性像が書ききれていないように感じ、
現実を見ているほうが、面白く感じることがあります。)なんこのブログ-7015.gif
 
 
  藤尾が“文明の淑女”だと言われていましたが、
漱石さんは余程、西洋に酷いめにあったんだろうなと思います。
 
 
  もっと興味深いのは、この番組の終わりに、
『夢十夜』の第一話が朗読されて終わったことです。
死んで100年後に蘇ってくる女性が、
他の女優さんではなく、藤尾役の女優さんなんです。なんこのブログ-0018.gif
 
 
  藤尾が、文明の淑女で、
『虞美人草』で藤尾が死なねばならないとされながら、
夢の中では死んで蘇ってくる。 
 
  漱石が死んで100年なんですよね。
 
 
  『夢十夜』の第一話は、象徴に満ち溢れてる気がするんですが、
漱石が酷く傷めつけられた西洋なんですが、
藤尾像を通して、
『女性とは何?』
『西洋とは?』と聞いたら、
その傷められた分、夢が答えてる気がするんです。
 
  それも、あれほど酷いめにあいながら、
『白百合』の象徴です。
 
 
  『坊っちゃん』の清さんの話が出ていたので書きますと、
私は、100年経ったから、
西洋文明の象徴像が、日本に入ってきたとは考えていなくて、
 
もっと長い年月を経て、熟成され、
藤尾以外の日本の女性像の中にも
当時から息をしていたと思います。
 
  それは、漱石が大好きな清さん像の中にも生きていたでしょうし…
 
(子育てした女性は感じるかもしれないんですが、
優しいことは良いことなんですが、
いきすぎると、元気な子の活力をそぐことがある。)
  藤尾は悪。清さんがまるまる善とは言いがたいものも感じてます。
 
 中庸、ほとほどが大切というか、
女性も、毒にも薬にもなるというか。
 
 
  藤尾像を余り知りませんが、
女性像は、男性の需要を受けている場合も多く
(男性から見た女性像という意味)
藤尾が“ツンデレ”像だとしたら、
男性は、心のどこかでツンデレなるものに惹かれる人もいるってことじゃないかと思ったりして。
 
  とりあえず、男性から見る女性と、
女性同士から見る女性とは差があります。
 
  現実では、“ツンデレ”女子でも
子供っぽくて、単純というか、
いろんな女の子がいるからな~。
 
 
 
 
  『毎日繰り返されること』例えば、
朝、太陽が上って人が目覚めて動き始める…ような、
 
大半の人々が数千年に渡ってやってきた行為のほうが、
『普遍性』だとか、
『神話』に近い行いだな~と思っている。
 
  『歩く時、右足の次に左足…』と
いちいち意識しないと書いたけれど、
私の感想では、『普遍性』に近いもののほうが、【意識しない】というイメージがある。
 
  人間は、数千年とか、凄い年月をかけて【歩く練習】をし、
【意識せずに、歩ける】までにいたったんだろう。
  だから、赤ん坊のちょっとの歩行訓練の後は、それほど考えなくても、
無難に歩く人が多い。
 
 
  ーーー『意識せずに真似できる』は、
『三昧』に近い?ーーー
 
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  私から見ると、比較的新しい行為と(例えば経済活動とか)
古いものとか、ギクシャクしてるように見える。
 
  といいながら、私自身、
数千年前の暮らしを、毎日毎日
繰り返す自信は無いのだ。
 
  人間が飽きっぽいところを持っているのも理由なんだけれど、
 
ほんのちょっとの微妙な進歩を喜ぶという傾向が、
私の中にもあるからだ。
 
  【昨日より今日】自分でなくても、
自分の身の回りの誰か、
我が子とか、パートナーとかを
幸せにして上げたいという(けっして悪いとは思ってない)気持ちの表れでもある。
 
 
  数千年、数万年の普遍的に繰り返される暮らしを夢見ながらも、
 
ほんの微妙なスバイスも求めちゃってるよ、私…という感じなのだ。
 
  弁解すると、『進歩と変化を求める気持ちは私にもある』と書いたけれど、
それは何でも良いと思っているわけではなく、
新旧の折り合いを見ながら、
なるべく変化が、恒常的なものを崩し過ぎないような進歩をという意味。
 
逆に言うと、そう思っている人は、
かなりいる気がしてる。