
プレミアム8<文化・芸術>
シリーズ 巨匠たちの肖像 ルノワール 【すべてをバラ色に見た】を見ました。

特に心を惹かれたのは、ルノワール最後の大作、「浴女たち」です。
はっきりとした光源がなく、陰がない。
あえて、光源がどこかと言えば、真正面から照らし出されているようだ。
つまり、ルノワール自身が光源であるかのように描かれている。
番組では印象派ルノアールの技法変遷を語っていた。
人生の途中、イタリア・ポンペイの壁画と、<ピッティ美術館 フィレンツェ>ラファエロの傑作「小椅子の聖母」に感銘を受けるルノアール。
そして、フレスコ画のような、「大水浴図」を完成させた。
この絵は印象派とはまるで異なる手法で、描かれている。
人物像は、ラファエロの絵のように輪郭線がはっきりしていて、さらに近寄ってみると、筆跡がほとんど残らないような、なめらかさだ。
それに比べ、背景は、昔の手法のままの、ウェット・オン・ウェット。
まるで現代で言うデコラージュ…張り絵のように、
人物と背景は繋がりがない。
多分、手前の人物を浮き立たせるために、手法を変えたのだと言う。
そんな変遷を経て、
この「浴女たち」は、初期の作品、「陽光の中の裸婦」のように、背景も同じ技法で描かれていて、背景も人物も、一つに溶け合っていた。
ルノアールの作品を再現するケイトさんは、番組で、こういう。
「陽光の中の裸婦」
目の前で揺れ動く光の瞬間を捕らえるために、すばやく画くことが必要だった。
刻々と光が移ろうその瞬間。
輪郭は一切ない。
ケイトさんは、“世界を発見する喜び”を、初期のルノアールの絵から感じると言う。
そして、「浴女たち」。
背景も、人物もひとつに溶け合う世界。
そして、もうひとつ…溶け合っているものがあります。
それが、観察者で、絵を描くルノアール本人なんです。ルノアール最後の作品として、楽園が描かれたと番組では語っていました。
あえて私が勝手に言うと、この絵の前に立った時、それは、その絵の人物と背景を照らす存在となり、
観察者として、光源として、この楽園と溶け合うとルノアールが言ってる気がしました。
ルノアールの人生を振り返った番組だったんですが、
女たちのそばにいると、実に気が安らぐと語っています。
女は何一つ疑わない。女といると世界は実にシンプルになる。
「毎日の洗濯が、ドイツ帝国の建設と同じように、大切だ、とよく分かっているのだ。」
…これ程、幸せな男性は珍しいなと思いました。(耳の痛い男性も多いでしょう)
妻の飾った花を毎朝キャンパスに描いた後、
花を愛でるように、女性を描いた。
印象派の画家たちの多くが裕福な家の出身だった中で、パリの貧しい仕立て職人の子だったルノワール。
生涯、自分は「職人」なんだと言ってたみたいなんですが、
シンプルな生活感の中で、満ち足りた結婚生活を送られたんだなと、心打たれました。
精進は、78歳で亡くなる、その日まで続いたようです。
亡くなる日の朝、アネモネを描いて
「この絵で、何かを分かり始めたような気がするよ。」と言って亡くなったそうです。
楽園の蓮がポンと咲いた気がしました。
それか、風の吹く、砂の丘で、春一番に咲くアネモネ。
手もかからず、薔薇色の柔らかな花弁が、静かに開いたそんな光景を思い浮かべました。