今月、多発性嚢胞腎が見つかってから3年。兄猫が6歳を迎えた。血液検査では、相変わらずクレアチニンが高値ではあるが、サプリ(アゾディル)のおかげか、元気に毎日を過ごしている。


当初、多発性嚢胞腎が見つかった時には、手の施しようがないとさじをなげられ、治療法もないと言われ、途方に暮れ、涙が止まらなかった。しばらくは放心状態で、あとどれくらい一緒に過ごせるのだろうと思っていた。


そこから、何か打ってはないのかと、ひたすら情報を求めて試行錯誤の結果、様々な出会いと人に助けられ、今に至る。


やってやれないことはないのだ。諦めるにはまだ早い。手を尽くした上ではないと、恐らくきっと後悔の念に苦しむのは自分だ。いや、手を尽くしてもきっと、まだ何かできたのではないかと、きっと思い悩むであろう。ペットを待つ人々は、皆同じ想いかと思われる。


何故、ブリーディングの時点で、親になる子達に検査を受けさせないのか?遺伝子検査には、数万円がかかる。が、しかし、少なからずとも命を扱うプロとして、その命が全うするまで責任を負うのも当然ではないだろうか?それが命あるもので利益を得ている者の最低限の思いやりではないのだろうか?拝金主義だけに成り下がったペット業界は、国が介入すべきところまできていると思われる中、日本は世界に何十年も遅れをとっている。(日本では未だ所有物=物として扱われている)せめて、ブリーディングの資格と規律、そして購入者側にもある一定の権利がある者しか購入出来ない等、全てを一気に変えないまでも、何かしら変えていくことは可能だと思われるのだが、、、


購入者も見た目、流行り重視で、無責任に命を受け入れる者もおり、購入者全てとは言わないが、自分の意思ではどうにもならない命を救う術はないのだろうか?


ペットは家族と同様。いや家族なのだ。ペットにも意思があり、生きる権利がある。ならば、その命を引き受けた飼い主は、できる限りその命を全うさせるべく努力を怠ってはならないと思う。


それくらい命を預かるという事は、背負うものの重さを伴うものであることを、今一度心に留めていただきたい。もちろん、このブログを読んでくださっている方々は、重々その重みを感じている方々ばかりだと思われるので、ここで改めて言う必要もないのであるが、多発性嚢胞腎という病を持って生まれた兄猫を思うと、本当にこのような病気の遺伝子を持った命を生み出さないで欲しいと心から願う。


治癒のない病、短命な病に犯されると、その命を預かる者だけじゃなく、本人も治療や痛み、苦痛と大変辛い思いに晒されるのだ。


現在、ペットの食事環境は、昔よりかなり考えられた(世界には及ばないが)ものとなってきていることもあり、寿命が15歳前後となっている。そんな中、多発性嚢胞腎の病に犯された場合、平均寿命は7歳と短命だ。


兄猫の6歳の誕生日を無事に迎え、改めて喜びと、この多発性嚢胞腎という病に対して、考えさせられる日となった。来年もまた、元気に誕生日を迎えられることを祈らずにはいられない。毎日の兄猫との時間を大切に、これからも過ごしていきたいと思う。