命に関わる仕事をされている方々にも、いろんな考えの方がいて、儲け主義の方もいれば、金銭的なことは度外視で、本当に命を救いたいと思われている方もいると思われる。
ただ、病院として経営していけなければ、そもそも助けられる命を助けることもできない。ので、ある程度の金銭的な面も計算しながらではないと、現実命を救うのは難しいのだろう。
うちの兄猫のかかりつけ病院でも、トルバプタン治療をお願いしているのは、うちのみなので、薬価の高い薬を病院で立替購入するにも、急にうちで必要となくなった場合、何十万もする薬を在庫として眠らせる訳には行かないのだろう。申し訳なさそうに、毎回1箱分2シート(ひと月で必要な量は9シート)だけを事前に準備くださり、会計後、残りの7シートを注文され、届き次第郵送で送られてくる。
確かに他に、同じ病気で、トルバプタン治療を受けたいと言う人がいない限り、病院で公にトルバプタン治療を行っているわけではないので、仕方ないのだと思う。
それでも、他で一切取り持っていただけなかった中、やってみましょうと言ってくださり、ご協力くださっている、今のかかりつけ医の医院長には、本当に感謝してもしきれないくらいな思いだ。
他の病院の先生方も決して見捨てたい訳ではなく、知識と経験、実績データ等の少なさから、危険性を考えての断りなのだと思うのだが、今の時代、ネットでも調べることは可能だろうし、多発性嚢胞腎研究の第一人者の岩手大学と連携をとっていただければ、治療法等も学べるだろうし、もっと獣医同士でも連携しながら、多発性嚢胞腎に限らず様々な治療にあたっていけば、より良い治療法ももっと生まれてくる可能性もあると考えられるのだが、なかなかそのあたりが素人にはわからないが、難しい世界なのだろう。
患者としては、兎に角、目の前の命を救って欲しい、ただその一心なだけなのに、様々なしがらみが絡み合って、単純にはいかないものなのが悲しい。
また、私のような素人ではなく、実際現場で治療を行っている先生達が、SNSなどを使って情報発信をしてくれたら、どれほど心強く、ありがたいことか。もちろん守秘義務というものがあるのはわかっている。なので、もちろん出来る限りで構わない。しかし、先生と呼ばれる方々も人間である。仕事とプライベートをきちんと分けていないと、先生自体が疲弊してしまうのも理解できる。難しいところだ。
私の知人で、以前介護士をしていた人が、やめた理由が、仕事がキツイからでも、給与が安いからでもないと言っていた。やりがいもあり、感謝されることもあり、仕事には満足していると。なのに、何故辞めたのか?
それは、介護という現場は、病院のように治療をして元気になって行く人は皆無で、永遠の別れが突然やってくることがほとんどで、どれだけ一生懸命介護しても、中にはとても気が合い、仲良くなった方でも、自分の休日明け、ベッドがぽっかり空いていたりと、それが本当に頻繁に、日常的にあり、死と隣り合わせなんだと実感させられ、その気持ち的な辛さから、心が疲弊し、続けていくことが出来なくなったということだ。そして、霊なんて信じていなかったのに、親しかった人が、挨拶(感謝)に来てくれた経験もしたらしい。それは、怖いとかではなく、本当に亡くなられたという思いで、悲しみに押しつぶされるような思いだとも言っていた。
今回、愛猫である兄猫の遺伝性の難病「多発性嚢胞腎」と言う病気を通して、トルバプタンと言う新しい治療法を受けたいと言う思いの中、いろいろと考えさせられたことを書かせていただいた。
獣医を志した方々は、絶対に動物が好きで、その命を救いたい思いから志したはずだと思う。だとしたら、トルバプタン治療の導入を断らざるを得ないことで、心を痛めている先生方もいることだろう。是非、1人でも多くの獣医の先生方に勇気を持って、一歩踏み出していただけることを願って、愛猫家を代表して、ここに記したい。