多発性嚢胞腎

かなり厄介な嚢胞で、腎臓の正常な細胞を嚢胞へとどんどん置き換え、腎臓の正常な働きを犯していく。


トルバプタンという、人間では、いずれ人工透析へとなるべく時間を稼ぐ為に、使われることが多い薬だが、これが何故かかなり高額となっている。ちなみに人間では指定難病67だ。


ちなみにトルバプタンとは、サムスカという薬剤のジェネリックである。それでもこの価格だ。


人間の場合、トルバプタンは一錠15mgが2,500円。 1日の最低量が60mgで、1日10,000円。 健康保険がきいて三割負担としても1日3,000円。月に90,000円だ。最低量から、状態を見ながら増やしていくことを考えるとかなりの額となる。


猫の場合、1日18mg(6kgの場合)、10割負担なので、2,000円と処方料で、月に60,000円。それに石の薬と腎臓の薬が加わり約100,000円となる。

※薬価、処方料は、病院による。


先日、人間の医学会の方が、何故必要としている人がいるのに、この薬はこんなに高いのか?と言う声が上がっていた。その回答は、多発性嚢胞腎の人は、いずれにせよ、最終的に人工透析となる。人工透析とおおよそ同等の額となっているので、決して高くはないとのことだった。(上級国民の話し合い。ある政治家はカップラーメンの価格を聞かれ、500円と答えていた。どれだけ一般庶民との金銭感覚のズレがあるかお分かりだろう)


全く他人事だ。トルバプタンを服用することにより、人間の場合、社会人生活を送りながら、常に水分補給が必要となり、またトイレの回数も、格段に増える。そこに支障が出ることを理解してもらえれば、服用することに慎重になることはないだろう。(副作用の件はここでは除く)

何故ならば、人工透析に取られる時間に比べると、格段に通常の日常に近い生活を送れるからだ。また、人工透析も100%ではなく、いずれ腎機能が低下して、人にもよるが病により短命に終わる人もいることだろう。


だからこそ、人工透析までの時間稼ぎが重要となっているのにも関わらず、また指定難病にも関わらず、この薬価なのは、何故なのだろう。人の命よりも医薬会社の儲けの方が大切なのか?オリンピックの如く、懐を暖めている上級国民でもいるのだろうか?いずれ人工透析を受けるのだから、それに比べれば安価だと本気でいっているのだろうか?もし自分や自分の家族に、同じ病に侵された人が居たとしても、この人達は同様のことを言えるのだろうか?


トルバプタンは、そもそも利尿剤として開発され、偶然にも多発性嚢胞腎に効果があることがわかり、治療薬として認可されることとなったのだが、それ故、高額なのだろうか?ちなみに通常の利尿剤は、みなさんが病院で様々な薬を処方される薬価の差異はない。ただし、利尿剤のなかでも、このトルバプタンは、特殊で、バソプレシンV2-受容体拮抗作用を薬理学的特徴とする薬剤であり、腎集合管でのバソプレシンによる水再吸収を阻害することにより、作用を表す。

他の利尿剤でおこる電解質排泄の増加を伴わない利尿作用をあらわす薬剤となっている。よって、多発性嚢胞腎や、心不全や肝硬変などの過度な体液貯留などを改善する薬となっている。ただし、電解質排泄がないことで、脱水症状からの高NA血症に注意が必要だ。


多発性嚢胞腎は、トルバプタンの利尿作用により、嚢胞の水分までをも外へ出すことで、嚢胞が大きくなるスピードを遅くするメリットがある。が、完全に完治させることは、現時点では不可能であり、いずれ腎臓は、嚢胞に侵されてしまう。そうなると猫の場合、毎回の全身麻酔下での人工透析は、現実的ではなく。(全身麻酔自体が腎臓に相当な負荷を与える。)最後は、他の腎臓病と同様の処置しかなくなる。皮下輸液で脱水を補い、経口栄養等々。しかし、猫本人は、少しずつ身体の機能を停止する準備に入っているのに、人間が、もう少し一緒に居たいと言うエゴで行う処置により、苦しい時間が長くなる。私自身も実際、その時になれば、やはり少しでも、、、と思わずにはいられないと思う。弱っていく我が猫を何もせずに見ているなんて出来るだろうか。辛すぎる。何かできることがあるならばと思ってしまうのが愛情だろう。ただ、出来ることなら、無理やり辛い時間を引き延ばす延命より、楽な時間を過ごさせてあげれる処置(あれば)を優先してあげたいと思っている。


そしてやっかいなのが、多発性嚢胞腎の性質上、皮下輸液により、嚢胞が増えていくのだ。なので、多発性嚢胞腎末期の症状の場合、通常の腎臓病の猫同様の処置が、より命を短くする可能性もあり難しいところだ。


私としては、我が猫にこの病気が発覚してから、大いに泣き、数ヶ月に渡り情報収集をし、たどり着いた方法で、少しでも元気に楽しい毎日を送れるようにと考えている。長生きするだけが幸せとは限らない。その長さではなく、どう生きたか。幸せを感じて生きてくれたか、幸せだったと思ってもらえるよう残された日々を出来る限り一緒に過ごしたいと思っている。その思いが兄猫に伝わっていれば、これほど幸せなことはない。


<辛い治療を終え、日常を取り戻した兄猫>